第97話 俺達はあの頃からちっとも変わっていない。

 二日間の間由佳と会えないというのは、思っていたよりも辛いことだった。

 電話やメッセージなどでやり取りはしていたが、やはり目の前に彼女がいるかいないかでは大きな差があるというものである。

 そんな事情もあって、俺は今日という日を非常に楽しみにしていた。ゴールデンウィークが明けて学校が始まるのに喜びに溢れているというのは本来であればおかしな話ではあるのだが。


「ふう……」


 俺は由佳の家の前でゆっくりと深呼吸をした。

 家を出る時に身だしなみはきちんと整えたはずだが、なんだか少し心配になってくる。だが手鏡などは持っていないので、とにかくインターホンを鳴らしてみるしかないだろう。


「はーい。ああ、ろーくん? おはよう」

「おはようございます」


 まず出てきたのは、由佳のお母さんだった。

 由佳のお母さんはこんな朝早くの来訪に、特に驚いている様子はない。ということは、由佳から事情は伝わっているということなのだろう。


「由佳? ろーくんが来てくれたわよ?」

「あ、うん。すぐに下りるー!」


 お母さんの呼びかけの直後に、階段を少し急いで下りてくる足音が聞こえてきた。

 その足音だけで、俺のテンションはやや上がる。もうすぐ由佳に会えると思うと、心がとても温かい。


「あ、ろーくん、おはよう!」

「ああ、おはよ……う?」


 そこで俺は、思わず言葉を詰まらせることになった。

 それは俺の目の前に満面の笑みで現れた由佳の印象が、一昨日までとは大きく違ったからである。

 その理由は明白だ。一目見ればわかる。彼女のあの特徴的だったピンク色の髪が、真っ黒になっているのだ。


「ふふ、驚いた?」

「あ、ああ……」


 困惑する俺の前で、由佳はゆっくりと一回転した。

 その髪の毛の色は、間違いなく黒色になっている。恐らく黒く染めたということなのだとは思うが、以前までとのギャップに俺は驚きを隠せない。


「ふふ、私も驚いたのよ。なんだかすごく地味になったわよね? まあ、前がピンク色だったということもあるんでしょうけど」

「え、ええ……」


 由佳のお母さんの言葉に、俺はとりあえず頷いた。

 確かにこうして黒に戻ると、ピンク色がとても派手だったということを改めて認識できる。慣れたので忘れていたが、やっぱりあれはすごい髪色だったのだ。


「ろーくん、どうかな?」

「……由佳だな」

「私だな? それって、どういうこと?」

「いや、昔の由佳のことを思い出していたんだ。やっぱり俺にとっては、こっちの方がしっくりくる。これが本来の由佳の髪色であるのだからこういう言い方は変なのかもしれないが、とてもよく似合っている。もちろん、ピンクも悪くはなかったが」

「ろーくんが喜んでくれているなら、良かったよ」


 俺の少々長い説明に、由佳は笑顔を見せてくれた。

 髪が黒くなっているからか、その笑顔からはいつもより鮮明に昔の彼女が見える。その輝くような笑顔は、本当にあの頃から変わっていないのだと改めてわかる。


「しかし良かったのか? ピンク色の髪にこだわりとかあったんじゃ……」

「まあ、好きな色ではあるけど、実はもういいんだ。だってあの髪の色は、ろーくんと再会するための色だったから」

「俺と再会するための色?」

「うん。ピンク色の髪って目立つでしょ? だからね、ろーくんも見つけやすいかなって思ったんだ。人ごみとかに紛れていても、目線を向けてくれるかもしれないし、目線を向けてくれたら顔を見て私だってわかってくれるかもしれないし」

「それは……」


 由佳の言葉に、俺はとても驚いていた。

 彼女の髪の毛の色は、おしゃれのためなのだと思い込んでいた。だが、それだけではなかったのだ。どこに住んでいるかもわからず連絡も取れなかった俺と再会するために、由佳は色々な方法を模索してくれていたのだ。

 そこで俺は思い出した。そういえば入学式のあの日、俺が由佳にいち早く気づけたのは、その特徴的過ぎる髪の色が目に入ったからだったということに。


「だから、ろーくんと再会できたら黒に戻そうかって考えていたんだ。結構不便なことも多かったし……でもなんとなく、決着がついてからにしようって思ったんだ。前にも言ったけど、一区切りついてからの方がいいかなって」

「そうだったのか……」


 由佳の笑顔を見ながら、俺は考えていた。

 本当に由佳は俺のことをずっと想っていてくれていたのだと。俺との再会を夢見てくれていたのだと。


「俺は世界一の幸せ者だな」

「え?」

「由佳にこんなに想ってもらえている俺より幸せな奴なんていないと思えるよ」


 俺は思わず、そんな言葉を口にしていた。

 だがそれは、俺の素直な気持ちだ。誰かにここまで想ってもらえるなんて、こんなに幸せなことはないだろう。


「……残念ながら、ろーくんは世界一の幸せ者じゃないよ?」

「む? そうなのか?」

「うん。ろーくんは世界で二番目だよ。だって一番は……私だもん!」

「……そうかもしれないな」


 俺と由佳は、二人で笑い合っていた。

 端から見れば馬鹿みたいな会話かもしれないが、それがどうしようもなく楽しかった。大切な人と他愛のない時間を過ごすことができる。きっとそれ以上に幸せなことなんてないのだろう。由佳と話しながら、俺はそんなことを思いっていた。


「……二人とも、早く行かないと遅刻しちゃうわよ?」

「え?」

「あっ……」


 そこで俺達は、由佳のお母さんの存在を思い出していた。

 なんて会話をしてしまったのだろう。その恥ずかしさに二人で顔を赤くしてしまう。そんな俺達を見ながら、由佳のお母さんは嬉しそうに笑っていた。


「二人とも大きくなったのにちっとも変わっていないのね?」

「それは……」

「……そうかもしれませんね」


 由佳のお母さんの言葉に、今度は三人で笑っていた。

 確かに俺達は、あの頃と何も変わっていないのかもしれない。色々と変わった部分はあるが、こうやって二人で笑い合う毎日はあの頃とまったく同じである。


「由佳、そろそろ行こうか?」

「うん。いってきます。お母さん」

「いってらっしゃい。ろーくん、由佳のことお願いね?」

「はい、任せてください」


 俺は由佳の手を取りながら、由佳のお母さんの言葉に力強く頷いた。

 そのまま俺達はあの頃と同じように、しっかりと手を繋ぎながら出かける。今日も俺達は歩み続けるのだ。この広い世界にあるまだ見ぬ楽しいことを最愛の人と一緒に見つけるために。



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最後までお読みいただきありがとうございます。

本作品は、一応ここで一区切りという形とさせていただきます。

次回からは番外編として続きを書いていきたいと思っています。

付き合ってからの二人、またその周辺が気になる方は引き続きお楽しみいただけると幸いです。

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