第84話 幼馴染のことをいつ好きになったのかはわからない。
改めて考えてみると、俺がいつ由佳のことを好きになったのかはわからない。
その想いは物心がついた時には既にあった。ということは、それ以前から俺は彼女に好意を抱いていたということなのだろう。
もしかしたら俺は初めて会った時から、由佳のことが好きだったのかもしれない。
彼女の笑顔を見る度に、俺はその眩しさに恋い焦がれてきた。それはきっと、赤ちゃんの頃だって同じだったのではないだろうか。
「ゆーちゃんはさ、人と話すのが嫌い?」
「うん……だって、怖いんだもん」
「怖いか……まあ、それは仕方ないか」
昔の由佳は、内弁慶な性格だった。
身内にはあの輝かしい笑顔を向けてくれるのに、知らない人のことは怖がって俺の後ろに隠れてしまう。そんな子だったのだ。
「でもゆーちゃん、それはもしかしたらもったいないことかもしれないよ?」
「もったいないこと?」
「うーん……例えば、ゆーちゃんはオムライスが好きだよね?」
「あ、うん。好きだよ?」
だけど俺は由佳に知って欲しかった。この世界にはたくさん素晴らしいものがあって、それを知れば世界がもっと楽しくなるということを。
「ゆーちゃんは、どうしてオムライスが好きなの?」
「どうして? おいしいからだよ?」
「うん。そうだよね……でも、どうしてオムライスがおいしいってわかるの?」
「え? えっと……だって、食べておいしいって思うから」
今思い返してみると、俺は単純に由佳の笑顔が見たかっただけなのかもしれない。
彼女に楽しいことをいっぱい知ってもらって、もっと笑顔を見せてもらいたい。そんな気持ちから、俺はあのような言葉の数々を発していたのではないだろうか。
その時の気持ちは、自分でも正確にいえる訳ではないが、なんとなくそんな気がしている。だって俺は、由佳の笑っている顔が好きだから。
「それはつまり、ゆーちゃんはオムライスをおいしいって知っているから好きだということだよね?」
「うん……そうなのかな?」
「でも、オムライスがおいしいって知るためにはオムライスを食べないといけないよね?」
「え? あ、えっと……そうだよね。食べたことない物がおいしいかどうかなんて、わからないもんね」
ただあの時の俺は、由佳が自分にだけ笑顔を向けてくれているという事実をそれ程重く受け止めていなかったようにも思える。
子供だったからだろうか。今よりも独占欲がなかったのかもしれない。
今ならあんなことは言えないような気もしてしまう。その笑顔を独占したいという気持ちが、俺の中には確かにあるから。
「人と話すことだけじゃなくてさ、きっと色々なことがそうなんだと思う。何か新しいことに挑戦したら、自分の世界が広がるんだよ」
「そうなのかな……?」
もっとも、俺はあの時のあの言葉を後悔してはいない。
自惚れかもしれないが、あれは由佳には伝えておくべきことだったように思える。
四条達と話している由佳などがいい例だ。彼女は広がった世界を謳歌している。それは俺にとっても嬉しいことだ。
「
「あ、由佳ちゃんおはよう。今日も元気いっぱいだね?」
「うん!」
俺の言葉で勇気を出してくれたのか、由佳は色々なことに積極的になった。
その結果人見知りなどは改善されて、明るく社交的な性格になった。友達もたくさんできたし、小学校のクラスの中でも人気者だったような気がする。
「あ、藤崎君もおはよう」
「ああ、おはよう。
「ふふ、二人はいつも一緒だね?」
「えへへ、だって幼馴染だもん」
「そっか」
一方で俺は、それ程クラスに馴染めていなかったように思える。なんというか、俺は由佳以外のクラスメイトとは少し距離があったのだ。
別に嫌われている訳ではなかったと思う。普通に話はできたし、一緒に笑い合ったりもした。しかし友達といえる程親しいクラスメイトは、いなかったような気がする。
「ろーくんがいなくなるなんて、嫌だよ」
「ごめん、ゆーちゃん。でも仕方ないんだ……」
「わかってる……でも!」
それでも楽しかった小学校生活は、突如として終わることになった。
父さんの転勤によって、俺は慣れ親しんだ地を離れることになってしまったのだ。
由佳と会えなくなる。それは俺にとって、何よりも悲しいことだった。でも仕方なかった。それは少なくともあの時の俺には、どうしようもない問題だったのだ。
「……ろーくん、約束してくれる?」
「約束?」
「私、ろーくんのお嫁さんになりたい……ろーくんのことが、大好きだから」
「ゆーちゃん……」
しかし由佳は、俺に希望を残してくれた。結婚の約束、あの頃は果たされると信じて疑っていなかったその言葉によって、俺は遠く離れていても頑張れるとそう思ったのだ。
「俺も……ゆーちゃんのことが大好きだ。大きくなったら、結婚しよう。約束だ」
「うん……うん」
だけどその希望は、一瞬にして打ち砕かれてしまった。俺は新天地で失敗してしまったのだ。
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