第74話 俺の好みを考慮する必要なんてないと思う。

「……ねぇ、ろーくん。さっき私の頭を撫でようとしてたよね?」

「え? あ、ああ、そのことか……」


 俺がぼんやりと由佳の顔を見つめていると、彼女はそのような質問をしてきた。

 それは一度家に帰る前にあったやり取りだ。確かにあの時俺は、つい由佳の頭に手を置いてしまった。


「すまなかったな。急にあんなことをして……」

「謝らなくていいんだよ? 嬉しいって言ったでしょ?」

「いやしかし、女の子の頭に急に手を置くというのは、どうにも褒められることではないような気がして……」

「もちろん、普通の女の子にそんなことしたら駄目だよ?」

「やはりか……」


 あんなことをしてしまったのは、小さな頃の癖が原因だ。俺は彼女を褒めたり慰めたりする時、よく撫でていた。

 それは単純に両親の模倣であった。俺もそうしてもらっていたから、同じようにしたのである。

 ただそれが許されたのは、お互いに小さかったからだ。高校生にもなって女の子の頭に手を置くなんて、普通に失礼なことであるだろう。


「でも私にはむしろ積極的にして欲しいな?」

「え?」

「ろーくんなら撫でていいんだよ? だってろーくんは、特別な人だから」

「……」


 由佳の言葉に、俺は固まってしまった。

 特別な人、その言葉に色々なことを思ってしまったからだ。

 ただそれは、単に幼馴染だからという意味しか含まれていないだろう。俺が期待している意味なんて込められている訳がない。


「髪が乱れてしまうかもしれない」

「そんなに乱暴にしなければ大丈夫だよ?」

「……そうか」


 由佳は、頭を少し下げていた。それはつまり、俺に撫でて欲しいということなのだろう。

 手を伸ばしていいのかどうか俺は一瞬迷った。髪に触れるのは、中々大事だと思ったからだ。

 しかしその直後に思い直した。よく考えみれば、抱きしめたりしているのだから今更なような気がしたのである


「それなら失礼して……」

「んっ……」


 ピンク色の髪をゆっくりと撫でると、由佳は嬉しそうな声をあげていた。

 その声を聞きながら、俺は幸せな気持ちになっていた。由佳の髪は触り心地もいいし、彼女の温もりを感じられる。このままずっと撫でていたいくらいだ。


「ろーくん、私今すごく幸せだよ?」

「そ、そうか……それなら良かったが」


 由佳は笑顔を浮かべてくれていた。その笑みに偽りはなさそうだ。本当にそう思ってくれているのだろう。

 それは握っている方の手からも伝わってきていた。彼女は先程から、俺の手を握る力を強めたり弱めたりしているのだ。

 それはなんというか、楽しいということを伝えてくれているような気がした。もっとも、そちらに関しては俺の想像に過ぎない訳ではあるが。


「……そういえば、由佳は結局髪の色をどうするつもりなんだ?」

「え?」

「あ、いや、前に黒髪に戻すようなことを言っていただろう?」

「あ、うん」


 頭を撫でることによって、俺は由佳の髪色に関することを思い出していた。

 以前俺が黒髪の由佳を見てみたいと言った時、彼女は黒髪に戻すことを考えると言っていたはずだ。

 ただ、彼女は今もピンク髪である。別に無理に戻して欲しい訳ではないが、それはどうなったのだろうか。


「……戻すつもりだよ? でも少し迷ってるんだ」

「迷っている?」

「うん。一区切りついてからの方がいいのかなって思ったりしていて……」

「一区切り? 何かきっかけがあったらということか?」

「そうだね……でもろーくんが黒髪の方が好きならそういうことはあんまり気にしなくてもいいかも」

「いや、由佳の好きにすればいいさ。俺なんかのことは考慮しなくていい」


 別に俺は、由佳の髪色が何色であろうと構わなかった。

 黒髪の彼女は見てみたいと思うが、ピンク色だって似合っている訳だし、別に変えなくてもいいように思える。

 というか、俺の好みなどというものは気にしないでもらいたい。由佳の髪の色なのだから、彼女の自由にするというのが一番いいだろう。


「私の好きにするっていうことは、ろーくんのことを考慮するってことなんだよ?」

「……何?」


 由佳がポツリと呟いた言葉に、俺は思わず変な感じで声を出してしまった。

 今俺はとんでもないことを言われたような気がする。いや、別にそういう訳でもないのだろうか。単純に幼馴染としての言葉なのだろうか。

 由佳が俺のことを慕ってくれているということはわかっている。だから今の言葉も、そんなに深い意味はないのかもしれない。


「ろーくんにはできれば、可愛いって思ってもらいたいから」

「……可愛い? いや、由佳はもう既に充分過ぎる程に可愛いと思うが」

「え?」


 由佳の自信のなさそうな声を聞いて、俺はつい反論を力説してしまっていた。

 だが実際問題として、彼女が可愛いのは事実である。何度も告白されているみたいだし、それは客観的にも証明されているのだから、今の言葉は多分許容範囲といえるだろう。


「……人気も高いと聞いているし」

「あっ……」


 そう思って補足した俺の言葉に、由佳は表情を曇らせた。その表情に、俺は撫でる手を止める。

 多分今の一言はいらなかったのだろう。自分でもそれはわかっていた。だが、つい口に出てしまったのだ。

 また失敗してしまったようである。なんというか、今日の俺は駄目駄目だ。余計なことばかり言ってしまう。


「……ごめん」

「え?」


 次の瞬間、俺は由佳の体を一気に引き寄せていた。

 そのように行動した理由は、自分でも上手く言語化できない。だがとにかく、今はそうするべきだと思ったのだ。

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