第73話 失敗するのは久し振りな気がする。

 幼馴染である由佳の家にはよく泊まりに行っていた。

 一緒にお風呂に入って、一緒の布団で眠って、朝一緒に目覚める。そうやって由佳と長い時間を過ごせるというのは、小さな頃でも嬉しかったことだ。

 もちろん今も由佳の家に泊まれるのはとても嬉しいことではあるが、やはりどうしても色々と考えてしまうことがある。

 とはいえ、由佳の両親もいる訳だし、そもそも昔のように一緒にお風呂に入ったり一緒の布団で眠るなんてあり得ないし、それどころか俺が寝泊まりするのは別の部屋になるだろう。


「ろーくんがベッド使ってもいいよ?」

「……いや」


 そう思っていた俺は、由佳の部屋に敷かれている布団に目を細めることになった。

 一度家に帰ってから由佳の家まで戻って来て、彼女の両親に快く迎え入れられた俺は、由佳の部屋に通された。そこで目にしたのが、以前までは彼女の部屋にはなかった布団だ。

 つまりそれは、俺が今日寝泊まりする場所がここであるということを表している。しかしそれは流石にまずいだろう。いや、すごく魅力的な提案ではあるのだが。


「由佳、俺はこの部屋で寝るのか? 空いている部屋とかではなく……」

「あ、そのことについてはごめん。正直に言っちゃうと、準備が間に合わなかったんだ……ほとんど物置みたいになってるから片付けて掃除しないといけなかったんだけど、その、私が急に言っちゃったから……」

「……なるほど」


 どうやら急な提案だったことによって、本来俺が寝泊まりする予定だった部屋が用意できなかったということらしい。

 だがだからといって、俺が由佳と同じ部屋で寝るのはどうなのだろうか。一つ屋根の下どころか一つの部屋の中なんて、何かしらの間違いが起こりかねない。

 ただそれはどちらかというと俺側の問題であるような気もする。今回の件は、由佳にも彼女の両親にも信頼されているのだと思って、俺は鉄の理性を固めるべきということなのかもしれない。


「まあ、この部屋に泊まるにしても、俺は布団でいい。ベッドは由佳が使ってくれ」

「ううん。ろーくんはお客さんだし、ベッドを使ってよ」

「いやいや……」


 由佳の提案に、俺はゆっくりと首を振る。

 当然のことながら、彼女が普段使っているベッドで眠るなんてことになったら理性を保てなくなる可能性は高い。この部屋にいるだけで平静ではいられないのだから、ここは断固として拒否するべきだろう。


「そ、それなら一緒にベッドで寝ちゃう?」

「……何?」


 由佳の驚くべき言葉に、俺の頭は一瞬真っ白になった。なんとか返答したが、正直とても動揺している。思考が追いついて来ない。


「ご、ごめん。流石にそれは冗談。別に二人くらいなら寝られるとは思うけど、狭いもんね」

「いや……ああ、まあ、そうだな」


 狭いことに関してはまったく問題はないし、むしろ歓迎するような事柄ではあるのだが、俺はとりあえず同意しておいた。

 ベッドで一緒に寝たりしたら、それはもう理性なんて期待できない。何かしらの間違いを起こしてしまいそうだ。

 というかよく考えてみれば、由佳はそれをわかっていないのだろうか。

 やはり俺は異性として見られておらず、幼馴染としか思われていないのかもしれない。普通に考えて、付き合ってもいない男女で同衾するなんて提案はしないだろうし。


「そもそも、空いている部屋に泊まる場合、俺は布団で寝ることになっていたんだ。だから別に布団で構わない。というか、それが自然な形であるだろう」

「それは……確かにそうかもしれないけど」


 とりあえず話をまとめようと思った俺は、適当な理由をつけてみた。

 しかしこれは少し言葉が強かったかもしれない。由佳の少し悲しそうな表情を見てそう思ってしまった。

 理性とか意識などについて考え過ぎて、俺は固くなり過ぎてしまっているようだ。これは反省しなければならない。由佳を傷つけるなんて、最もあってはならないことである。


「……いや、ごめん。別にベッドが嫌という訳ではないんだ。ただなんというか、由佳がいつも使っている場所をわざわざ使うというのは気が引けるというか……」

「そうなの?」

「あ、ああ……」


 俺の釈明の言葉に対しても、由佳は不安そうな顔をしていた。

 なんというか、失敗してしまった。最近は結構調子が良かったような気がするのだが、久し振りに少し気分が重い。


「ろーくん、ちょっとこっちに来て?」

「え?」

「ここに座って」


 そこで由佳はゆっくりとベッドの上に座り、自分の隣を手で叩いた。

 それは要するに、俺に対してそこに座れと促しているということなのだろう。

 ベッドに座るというだけでも少し抵抗はあったが、俺は素直に従うことにする。失敗もあったので、その方がいいと思ったのだ。


「……えい」

「うおっ……」


 次の瞬間、俺は由佳に体を押されてベッドに倒れることになった。

 布団もあるしそれ程勢いがあった訳でもないので、特に痛みはない。しかし、一体これはどういうことなのだろうか。

 そう思っていると、ベッドが少し揺れた。由佳が俺の隣に倒れたからだ。


「ごめんね、ろーくん」

「え?」

「ろーくん、私が落ち込んだから落ち込んじゃったんだよね……」

「いや、それは……」

「これもお相子ってことにしよう? どっちが悪いとかじゃないし……」


 そう言って由佳は、俺の手に自分の手を絡ませてきた。何をしようとしているかはわかったので、俺はゆっくりと彼女の手を握る。


「ろーくん、こっちを向いてくれる?」

「あ、ああ……」

「えへへ……」


 俺が横を向くと、由佳は温かな笑顔を見せてくれた。それだけで心が安らいで、自然と笑顔になってしまう。

 しかしなんというか、すごく由佳の顔との距離が近い。少し顔を動かせば、本当に間違いが起こってしまいそうだ。その衝動は、抑えなければならない。

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