第51話 その一歩を踏み出すことはとても難しい。
それ程意識していなかったが、先日のファミレスでの食事は俺にとって初めての買い食いだったといえるかもしれない。
あのように学校帰りに何か食べるという体験を俺はしてこなかった。自販機やコンビニで飲み物は買ったりしたが、何かを食べたことはなかったような気がする。もっとも、ファミレスでの食事が買い食いにあたるのかどうかは微妙な所ではあるが。
「つまり、僕は美冬姉のことが……好きなんだ」
「あ、ああ……」
「はっきりと言い切ったな……」
そんな俺は、人生で二度目の買い食いを経験していた。俺は竜太と江藤という学校でもかなり有名な男子二人と、ファーストフードチェーン店に来ているのだ。
「言い切りもするさ……何せ、僕には時間がない」
「時間がない? 何か差し迫っているのか?」
「差し迫っているとも、由々しき問題が……」
俺の質問に、江藤は真剣な顔をしていた。
どうやら、何か重大な問題があるようだ。これはこちらも、真剣に聞かなければならないだろう。
「このままだと……制服デートができなくなってしまう!」
「……うん?」
「制服デート?」
江藤の質問に、俺と竜太は顔を見合わせた。
制服デートとは、一体なんだろうか。とりあえず俺はそれを考える。
その答えはすぐに出てきた。制服でデートをすることだ。それ以外の解釈なんてある訳がない。
つまり、江藤は制服でデートできなくなることを嘆いているということだ。なるほど、確かにそれは深刻な問題である。
「いや、違う違う」
「ろーくん? どうかしたのかい?」
「どうかしたのかい? じゃないんだよ。それのどこが由々しき問題なんだよ?」
一瞬空気に流されそうになったが、俺は冷静さを取り戻すことができた。
制服デートができなくなる。それのどこが由々しき問題であるというのだろうか。まったく訳がわからない。
「……美冬姉は、もうすぐ卒業してしまうだろう?」
「……もうすぐというには少し早い気もするが、まあ三年生である訳だから卒業するのは確かにそうだな」
「そう、美冬姉は三年生なんだ。受験だってあるし、これから美冬姉と過ごせる時間はどんどんとなくなっていってしまう」
「それは……」
俺が指摘しても、江藤は真剣な顔を崩さなかった。
初めは少し怪訝に思っていた俺も、説明を聞いている内に真剣になっていた。江藤の言葉の真意が見え始めたからだ。
「早く告白しなければならないんだ。そうしなければ、美冬姉と過ごせる高校生としての時間がなくなってしまう。僕はそれが嫌だ。できるだけ長く、色々な時間を美冬姉と過ごしたい」
「色々な時間……」
「もちろん、大学生になったからといって告白ができない訳ではない。でも、同じ学校で過ごせる時間はもしかしたらこれが最後かもしれないんだ。僕と美冬姉が同じ大学に行くとも限らないし……」
江藤は、とても不安そうな顔をしていた。いや、不安なのだろう。穂村先輩が学校からいなくなってしまうことが。
例えば先輩が進学したとして、その大学に行けばまた同じ学校に通えるようになる。しかし高校と大学は違う訳だし、問題はそんなに簡単ではないだろう。
高校生の穂村先輩は、二度と戻ってこない。要するに、江藤は今それを恐れているのだろう。
その気持ちはよくわかる。俺も戻ってこない九年という時間のことを最近考えて居たからだ。
「一歩を踏み出すタイミングは、何度もあったはずなんだ……でも僕は恐れて踏み出せなかった。でも、そうやって恐れていた時間はもしかしたら美冬姉と一緒に過ごせていたかもしれない時間なんだ。僕はそれをずっと後悔している。後悔しながらも、まだ恐れている……」
江藤の想いは、一体いつ芽生えたものなのだろうか。それはわからないが、きっと長い間その想いを抱えてきたのだろう。
もしもどこかで一歩を踏み出していたら、江藤は穂村先輩と恋人としての時間を長く過ごせていたかもしれない。タラレバの話ではあるが、長い間の想いが江藤にそう思わせているのだろう。
「……このまま制服デートもできずに、この学生時代を終えていいと僕は思わない。やはり、僕は一歩を踏み出さなければならないんだ。制服デートのために!」
「そ、そうか……」
よくわからないが、江藤は制服デートに並々ならぬ想いがあるらしい。こいつの中では、それも今告白しなければならないと思う要素の一つであるようだ。
しかし改めてよく考えてみると、それはもしかしたらとても大切なことかもしれない。
制服でデートすることができるのは、高校生の間だけだ。無論、卒業してから制服が着られないという訳ではないだろうが、それはなんというか趣が違う気がする。
高校生の時にしかできないこと。制服デートをそう考えると、なんだか汗が流れてきた。
制服を着た由佳はとても可愛い。そんな彼女がもう見れなくなるという事実は、重く捉えてもいいことのような気がしてきた。
「そうだよな。制服デートはしてみたいよな……」
「やはり、ろーくんもわかってくれるか……」
「まあな……」
「く、九郎……?」
納得した俺に対して、竜太が怪訝な視線を向けてきた。
多分、こいつは制服デートのありがたみというものをわかっていないのだろう。四条とデートとかをしているのかどうかは知らないが、既に経験している者にとってそれはどうでもいいことなのかもしれない。
「……というか、制服デートを抜きにしても、時間が有限であるという事実には俺も賛同する。できることなら、今すぐにでも恋人としての時間を過ごしたい。そういうことだろう?」
「……まあ、その辺りに関しては俺にも理解はできる。できるだけ早く付き合いたいと思うのは当たり前の感情だろう」
「うむ……だから、僕は美冬姉に告白したいと思っている。だから、二人に色々と相談させて欲しいんだ。どうすればいいかを……」
「どうすればいいか……?」
江藤の言葉に、俺は固まってしまう。正直、そんなの知らねえよと思ったからである。
告白するにはどうしたらいいのかなんて、むしろ俺が聞きたいくらいだ。そんなことを相談されても言えることなんてない。
「江藤、悪いが俺はその質問に答えられない。告白なんてしたことはないからだ」
「そ、そうなのかい?」
「ああ、むしろ俺も教えてもらいたいと思っている。だからここは、竜太先生にご教授願おう」
今回の相談相手として、俺は不適切だ。
だが、幸いにもこの場には既に告白を経験していそうな男がいる。ここは、その竜太から色々と教えてもらうのがいいだろう。
「おいおい二人とも、勘弁してくれよ。俺だって、告白したことはない」
「何? そうなのか……」
俺の言葉に対して、竜太は首を振ってきた。
当てが外れてしまった。てっきり竜太が四条に告白したのだと思っていたのだが、逆だったということだろうか。
まあ、確かに四条が自分のものになれ、みたいな感じで竜太を手に入れるというのも結構しっくりくる。どちらが告白したとしても、違和感はないかもしれない。
「……というか待てよ。江藤は人から告白されているんじゃないのか?」
「ああ、確かにそうだな。江藤に好意を寄せている人は多いと聞く」
「それは……まあ、そうだね。告白されたことは何度かあるよ」
俺達の言葉に、江藤はゆっくりと目をそらした。
やはり、こいつは色々な人から告白されているらしい。既に四条のものだと周知されている竜太は告白されることもないが、江藤は人気が高く彼女もいない故にそういった経験は多々あるだろう。
それなら、俺や竜太よりもそういったことに関しては経験豊富だといえる。相談するよりも自身の経験から考えればいいのではないだろうか。
「今までのことを思い出して、それを自分でもやってみればいいんじゃないか?」
「今までのこと……」
俺の言葉に、江藤は顎の下に手を当てた。今までされてきた告白について、考えているのだろう。
そんな風に考え込む程に、こいつは告白を受けてきたということだろうか。
「……今まで僕に告白してきた人達は、本当に勇気がある人達だったんだな」
考えた結果江藤の口から出てきた言葉は、そのようなものだった。
告白する側になって、江藤は告白した側の気持ちがわかったということなのだろう。
そんな江藤の気持ちはわからないが、告白に勇気がいることだということは俺にもわかる。江藤に告白した者達は、とてもすごいといえるだろう。
「……まあ、僕も色々と考えてみることにするよ。なんというか、少しだけ気持ちが固まったような気がするからさ。二人とも、ありがとう」
「いや、別に俺は何もしていないが……」
「ああ、俺も特に何もしてはいないな……」
謙遜ではなく、俺も竜太も今回は特に何もしていない。江藤がただ自分の中で整理をつけただけだ。
多分、江藤は本当に穂村先輩に告白するだろう。その顔を見れば、それはわかる。
そして、俺は考えていた。自分自身が、いつ決断を下すのかを。
今のままなら、由佳と幼馴染として学生時代を過ごすことはできるだろう。
だが、俺はもっと深い関係で学生時代を過ごしたいと思っている。その時間は長ければ長い程いい。それを叶えるためには、一歩を踏み出す必要がある。
その一歩を踏み出すことが、どれ程難しいことであるか。俺はそれを改めて実感するのだった。
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