第50話 幼馴染という言葉にはつい反応してしまう。

 食事の最中、江藤は終始にこにことしていた。サッカー部のエースとして、華々しい活躍をしているはずの男が、冴えない男に柔和な笑顔を向けているという状況はいささか奇妙ではあったため、周囲の視線が少し痛かったような気がする。

 しかしながら、旧知の仲である江藤と話すのはそれなりに楽しかった。あの一度きりの関係ではあったが、それでもお互いにあの時の記憶は深く残っており、なんだかんだ話に花を咲かせられたと思う。


「それで、江藤の想い人って……?」

「ああ、えっと……」

「ああ、なるほど、あの人か……」

「え? どうしてわかるんだい?」

「江藤がわかりやすいからだ」


 そんな俺は、江藤からとある人物に関する相談を打ち明けられていた。

 正直、俺は相談相手としてまったく適切ではないと思ったのだが、江藤はそんなことはないと強く否定して結局俺を三年生の教室の前まで連れて来た。

 その教室の中にいる女子生徒の一人が、なんでも江藤の想い人であるらしい。


「美人だな……」

「ああ、美人だよ、本当に……」


 教室の前まで来た時点で、江藤が誰のことが好きなのかはすぐにわかった。なぜならその視線が釘付けになっていたからだ。

 長い黒い髪のその女性は、教室の中でも一際目立っている。ただ、彼女は四条一派の面々のように格好が派手という訳ではない。むしろきちんと制服を着ている。

 それでも彼女が目立っているのは、その長い黒髪とスタイルの良さからだろうか。背の高い彼女はその髪も合わせて、なんというか映える存在なのだ。

 というか、彼女も見覚えがあるような気がする。学年が違うためあまり聞かないが、もしかしたらあの人もこの学校の有名人だったりするのだろうか。


「……あれ? 晴君はるくん?」

「あ、美冬みふゆねぇ、こんにちは」


 そんなことを考えていると、件の女性がこちらに歩いて来た。どうやら、江藤の存在に気付いたらしい。

 そのやり取りから、二人が親しい関係であるということはすぐにわかった。ただ彼女は江藤の想い人ということなので、二人は付き合っているという訳ではないのだろう。


「どうかしたの? 晴君がこの教室を訪ねてくるなんて、結構珍しいような気がするけど」

「三年生の教室をわざわざ訪ねる用事なんてないからね。ただ、今日は紹介したい人がいるんだ」

「紹介したい人……?」


 江藤の言葉で、美冬姉と呼ばれた人物の視線が俺の方を向いた。

 その視線は一瞬怪訝そうな感じだったが、すぐに安心したかのような切り替わり方をした。よくわからないが、俺はこの人物にとって少なくとも不快になるような人物ではないようだ。


「いつも話していただろう? 昔僕が公園で助けてもらったということを。彼が、僕を助けてくれたろーくんなんだよ」

「……あなたが?」

「あ、えっと……藤崎九郎です」

「藤崎九郎君……ああ、九郎君でろーくん?」

「ああ、そうみたいだよ」

「ふふ、なるほど……」


 俺の前で、江藤と美冬姉なる人物は笑い合っていた。やはり、二人はかなり親しい関係であるようだ。

 先輩と後輩でありながら口調も砕けているし、二人は恐らくそれを意識する前からの関係であると予想できる。


「おっと、まずは自己紹介をしないといけないね。初めまして、藤崎九郎君。私は、穂村ほむら美冬。晴君とは生まれた時から一緒で、所謂幼馴染という奴なんだ」

「幼馴染、ですか……」

「どうかしたのかい?」

「あ、いえ……」


 幼馴染という言葉に、俺は思わず反応してしまった。その関係性を聞くと、やはり自分と由佳のことを考えてしまう。それは悪い癖だ。別に幼馴染という単語は、ありふれた言葉でしかないというのに。


「それにしても、君が例のろーくんなんだね?」

「あ、えっと……まあ、一応そうですね」

「一応? 含みのある言い方だね?」

「む、昔のことですから……」


 穂村先輩は、俺を興味深そうな顔をしながら見てきた。

 江藤の中で俺は、とんでもない存在となっていた。きっと穂村先輩も誇張された俺の話を聞かされてきただろう。

 だから、少々気まずい。本当の俺を知ったら、色々とがっかりされてしまいそうで。


「晴君の話だど、君は勇気に満ち溢れた才色兼備の正義の味方、といった感じだったけど、本当はそうではないのかな?」

「あ、ええ、それはもちろん過大評価です」

「そうだろうね。私もそうだと思っていた。いくらなんでも、晴君は大袈裟だ」

「え? そ、そうだろうか……?」


 俺の言葉に、穂村先輩は笑っていた。

 どうやら、彼女は俺に過度な期待をしているという訳ではなさそうだ。それは、なんだか少し安心できる。江藤からの期待の籠った眼差しは、正直重かったからだ。


「晴君にはそういう所があるよね……なんというか、時々周りがあまり見えていないというか」

「そ、そんなことはないさ。周りがよく見えていると先生や先輩方からお墨付きをもらっている」

「それはサッカーのプレイ上の話だろう? 私が言っているのは、そういう意味ではないんだ」


 穂村先輩は、呆れたようにため息をついた。江藤は、少し相手して疲れる相手のように思っていたが、もしかしたら先輩にとってもそうなのかもしれない。

 そこで俺は、あることを思い出す。そういえば、俺の幼馴染も接していて時々すごく疲れる時があるということを。


「穂村先輩も、色々と苦労されているんですね?」

「おっと、わかってくれるかい?」

「ええ、わかりますよ。でも、別に嫌ではないんでしょう?」

「……ふむ、本当にわかっているみたいだね」


 穂村先輩は、とても楽しそうな笑みを浮かべていた。その笑顔を見ればわかる。彼女が江藤との時間をとても大切に思っているということを。

 二人の関係は、俺と由佳の関係に似ているのかもしれない。幼馴染というだけではなく、性格などといった面でも。


「ふ、二人でそんな風に分かり合わないでくれないか?」

「ああ、ごめんごめん。それで、晴君はろーくん、藤崎君を紹介しに来てくれた、ということなんだね?」

「ああ、そうさ……おっと、部費とかの相談もしようか?」

「それは勘弁して欲しいな。晴君とまでそういう話はしたくない」

「……うん?」


 江藤と穂村先輩のやり取りに、俺は少し違和感を覚えた。

 そして、思い出した。穂村先輩にどうして見覚えがあったのかを。


「まさか……生徒会長?」

「あれ? ろーくん、気付いていなかったのかい?」

「あ、ああ……」

「ふふ、生徒会長の顔や名前なんて、普段はそんなに気にしないよね? 関わりがなかったら、わからないのも無理はない」

「そういうものなのか……」


 穂村先輩は、この学校の生徒会長であるようだ。

 多分、去年の生徒会選挙か何かで顔を見ていたのだろう。確か立候補が一人しかおらず信任投票になったはずだが、生徒会長の顔を俺はぼんやりとしか覚えていなかったようだ。


「まあ、何はともあれ、これからよろしく、藤崎九郎君。晴君と仲良くしてくれると、私としても嬉しいな」

「あ、えっと……はい」


 穂村先輩の言葉に、俺は困惑しながらもとりあえず頷いた。

 サッカー部のエースが幼馴染の生徒会長に想いを寄せている。なんというかすごい関係だ。俺はぼんやりとそんなことを思うのだった。

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