第49話 幼馴染からの呼び名がもたらした縁は不思議なものだ。

「あのね、ろーくん。ろーくんは覚えてるかな? 小さい頃に公園で遊んだ時に、少し事件が起こったことを」

「……うん?」


 俺達が廊下の曲がり角から覗き見をしていたことを咎めることもなく、由佳はそのように切り出してきた。

 その抽象的な言葉に、俺は考える。一体、由佳が何のことを言っているのかを。


「事件……色々とあったような気がするが」

「あ、そうだよね……砂場でおっきいお城を作ったのも事件といえば事件だし」

「ああ……できれば、もう少し具体的に言ってもらえないだろうか?」


 由佳の言う通り、公園であった小さな事件はあげたらきりがない。そもそも、どれくらいが小さな事件なのかもわからないので、なんというかとても曖昧だ。


「あのね……」

「……瀬川さん、そこからは僕に話させてくれないか?」

「あーあ、うん。そうだよね、ここから先は江藤君が話した方がいいね」

「……うん?」


 俺の言葉に返答しようとした由佳を江藤が止めた。

 江藤は、真剣な顔で俺を見つめてくる。こいつも顔面の偏差値が高いため、俺は思わず後退ってしまう。


「藤崎君、もしかしたら君は覚えていないかもしれないが、僕は君に助けられたことがあるんだ」

「た、助けられたこと?」

「公園で虐めっ子達に色々と言われていた僕を君は颯爽と助けてくれたんだ。僕とあいつらの間に割って入って、かっこよく啖呵を切って……」

「……ああ」


 江藤の言葉で、俺はとある出来事を思い出していた。

 確かに、目の前の顔のいい男が言っていた通りの事件があった。それは、俺もきちんと覚えている。


「……え?」


 俺は、改めて江藤の顔を見た。彼は、きらきらとした瞳で俺を見てくる。その憧れのヒーローを見るような目に、俺はまたも後退ってしまう。


「た、確かにそのような出来事があったとは思うが……まさか」

「ああ、そのまさかなんだよ。僕も驚いている。こんなことがあるんだな……運命というものは、とても不可思議だ」


 江藤は、俺に輝かしい笑顔を向けてきた。その笑顔に、俺は混乱してしまう。このイケメンが、あの時助けた男の子であるということに俺は驚きを隠せない。


「瀬川さんが君のことをろーくんと呼んでいたのを聞いて、まさかとは思って話しを聞いたんだが、やはり君は僕をあの時に助けてくれたろーくんだったんだ……こんなに嬉しいことはない。こんなに嬉しいことはないよ!」

「あ、ああ……」


 江藤は、なんだかとてもテンションが高かった。まるで子供のようにはしゃいでいる。本当に嬉しそうだ。

 だが、俺の方はそんな風にはしゃぐことができない。運命の再会ではあるが、複雑な心境である。

 あの日助けた男の子が、こんなに立派になっているというのは俺としても少しは嬉しいことだ。

 だが、そんな彼と自分を比べて落ち込んでしまいそうになる。それが意味のないことだとわかっていても、ついそう思ってしまうのだ。


「本当にすごい偶然だよね。私も江藤君から話を聞いた時は驚いたよ」

「ま、まあ、そうだよな……」

「あの時のろーくん、とってもかっこよかったよね……あ、今でもかっこいいとは思っているよ?」

「そ、そうか、ありがとう……」


 江藤だけではなく、由佳もそれなりにテンションが高かった。彼女も俺が江藤を颯爽と助けた場面は見ていたので、この再会を喜んでいるようだ。


「まさか、江藤と九郎が知り合いだったとはな……」

「立浪、君もろーくんと仲が良いみたいだね?」

「まあ、由佳繋がりでな……」

「まあ、それはそうか。瀬川さんも立浪も、四条さんのグループだもんな……」


 竜太は江藤とそのようなやり取りを交わしていた。やはり二人はそれなりに親しい仲ではあるようだ。そのやり取りからそれがわかる。

 もっとも、よく考えてみれば二人ともこの学校では有名人だ。その共通点によって仲良くなったということはあり得るのかもしれない。


「いや、本当に嬉しいよ。ろーくんと再会できるなんて思っていなかった。本当の名前すらわかっていなかったからね」

「ああ、そうか……ろーくんという呼び名しか知らなかったのか」

「そうだよ。君は僕を助けた後、すぐに女の子の方に帰って行ったからね。あれが瀬川さんだったんだよね?」

「あ、うん。そうだよ」


 江藤と俺が会ったのは、たった一度きりである。俺が彼を助けた。ただそれだけの関係だ。そのため、再会できるとは思っていなかったのだろう。

 それは俺も同じだ。あの時の男の子が同じ高校に通っているなんて、思ってもなかったことである。

 ただ、江藤には少々申し訳ないような気もしてしまう。あの頃と随分と俺が変わってしまったため、その期待を孕んだ瞳を曇らせてしまう結果になりそうだからだ。


「瀬川さんが今も昔もろーくんと呼んでいなければ、僕はろーくんのことを見つけられなかった訳だね……まあ、お礼を言うのも変かもしれないけど、ありがとう、瀬川さん」

「ううん。それは本当にお礼を言われるようなことではないかな? 私はただ、ろーくんのことをろーくんと呼んでいただけだし」

「……というか、ろーくんの本名は藤崎九郎君だったよね? どうして、ろーくんなんだい?」

「あ、それはね。くろうくんっていうのが舌足らずでそうなったってお母さんとお父さんが言ってた」

「ああ、なるほど、そういうことか……」


 俺と江藤は、由佳の呼び名だけで再会することになった。それはなんとも、不思議な縁である。

 色々と思う所はあるが、この再会というのは喜ばしいものなのだろう。由佳や江藤の笑顔を見ながら、俺はそんなことを思った。


「ああ、そうだ。ろーくん、せっかく再会したからさ。少し話をしないかい?」

「話?」

「君に色々と聞いてもらいたいことがあるんだ。よければ、この後食堂とかでどうだろうか?」

「まあ、俺は構わないが……」


 江藤の提案に、俺は少しだけ考えることになった。

 江藤も江藤で、この学校では有名人である。そんな奴が俺と昼食なんて取って本当に大丈夫なのだろうか。

 ただ、それに関しては既に四条一派の面々と関わっているので今更のような気がしなくもない。もしかしたら、そういった事柄は俺の杞憂なのだろうか。


「まあ、積もる話もあるのだろうし、二人でゆっくりと話せばいいさ。俺はそろそろ行かせてもらう。舞達を待たせているだろうからな」

「あ、そうだよね……ろーくん、江藤君、存分に二人で話してね」

「瀬川さん、本当にありがとう。突然呼び止めてごめんね」

「ううん、全然大丈夫。それじゃあ、また教室でね、二人とも」

「あ、ああ……」


 気を遣ったのか、竜太と由佳は俺達の前から去って行った。これで俺は江藤と二人きりだ。

 正直、あの時助けたとはいえほぼ他人である江藤と二人というのは気まずい。だがこいつの方はかなり嬉しそうだし、これはなんとか乗り切るしかないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る