第37話 幼馴染が料理上手であることは間違いない。

「よいしょっと……」

「……慣れた手つきだな」

「え? そうかな?」


 ホットケーキを綺麗に裏返す由佳を見ながら、俺は思わず感嘆の声をあげていた。

 俺と話をしながらも、着々と料理をする様は本当に見事だ。改めて、由佳が本当に料理上手であると実感させてくれる。


「まあ、いっぱい練習したからね。流石の私も、多少は慣れているのかな?」

「あまり自信がなさそうだな?」

「今までたくさん失敗してきたからね」

「そうなのか?」

「うん、材料間違えたり、焦がしちゃったり、色々失敗してきたよ?」

「そうか……まあ、初めはそうだよな」


 由佳の言葉を聞いて、俺は彼女が改めてすごいと思った。

 慣れた手つきになるまで、由佳は努力をしてきたのだ。どれだけ失敗してもめげずに頑張ってきたのである。

 俺という人間は、今まで多くのことを投げ出してきた。そのため、ひた向きに努力してきた由佳を尊敬する。それができることがすごいことだとそう思う。


「由佳は今まで努力を重ねてきたんだな……」

「そ、そんな大そうなことじゃないよ。ただ私は……」

「うん? どうかしたのか?」

「ううん、なんでもない」


 由佳の表情に少しだけ陰りのようなものが見えて、俺は少し心配になってきた。

 今の会話の中で、何か由佳を悲しませる要素があっただろうか。特に何の変哲もない会話だと思っていたのだが。


「ろーくんは料理とかしないの?」

「ああ、しないな。まあ、偶に手伝ったりすることはあるが……」

「そうなんだ。偉いね?」

「いや、偉いということはないさ」


 俺が色々と考えている内に、由佳の表情からは陰りが既に消えていた。

 今のは一体なんだったのだろうか。それが少し気になったが、別に由佳が悲しんでいたかどうか確信がある訳でもないので、どうにも聞きづらい。


「ろーくんのお母さんも、料理は上手だったよね?」

「まあ、そうだな。上手だとは思う」

「……そういえば、ろーくんはいつもお弁当じゃないね? 作ってもらったりしないの?」

「ああ、最近はそうだな」


 話が移り変わってタイミングを逃したので、由佳の先程の表情を問うことはできなくなってしまった。

 だが、今の由佳はいつも通りの由佳である。そのため、多分大丈夫なのだろう。

 もしもまた先程のような表情をしたら、聞けばいい。俺は、そう結論付けることにした。


「最近は、ということは何か理由があるの?」

「まあ、母さんの負担の軽減さ。こっちに戻って来てから、母さんは婆ちゃんの家によく行くようになったんだ」

「あ、そっか。ろーくんのお婆ちゃんとお爺ちゃん、この近くに住んでるんだったね」

「ああ……爺ちゃんが少し前に亡くなってさ。今は婆ちゃん一人になって、だから母さんも心配でよくそっちに行ってるんだ」

「そうなんだ……」


 俺の言葉に、由佳はまた悲しそうな表情をした。しかし、これは先程のとは違う類の表情だ。どうしてそんな表情をしたのかという理由も明白なので、特に問う必要はない。


「近いといっても距離はあるし、行って帰るだけでも結構疲れるだろう? だから、少しでも負担を減らすために昼食は各自で買うということに、父さんが決めたんだ。まあ、俺も父さんも料理はできないからな……」

「そんな事情があったんだね」

「俺も父さんも婆ちゃんのことは心配だからさ。とりあえずは今の形でいいと思っている。まあ、いずれは変わるのかもしれないが」


 話しながら、俺は由佳の隣の家の辻村さんのことを思い出していた。

 あのお婆さんも一人暮らしだったが、息子さん夫婦の元に行ったという。いずれは家もそうなるのかもしれない。


「そっか……色々とあったんだね」

「そうだな。色々なことが変わった。何せ九年だからな……」

「うん、そうだよね……」


 俺と由佳が離れていた期間は、とても長い。それを俺達は、改めて実感していた。

 俺の周りの環境も、俺自身も随分と変わってしまった。そういう風に変化する程の多大な時間が、俺達にはあったのである。


「……でも、由佳は変わっていなかった」

「……え?」

「成長しているし、見た目も随分と変わったが、それでも由佳は俺の知ってる由佳だった。俺はそれがとても嬉しかったんだ」

「ろーくん……」


 改めて、離れていた期間を実感したからだろうか。俺は由佳が変わらないでいてくれたことが、なんだかとても嬉しかった。

 同時に、彼女が変わらないと信じ切れなかった自分が情けない。俺にもっと勇気があれば、九年を八年にいやもっと短くできたはずなのに。

 とはいえ、その反省はもう散々したことだ。少なくとも、由佳の前でどうこう言うのはやめておいた方がいいだろう。それは、彼女を落ち込ませるになるだろうし。


「私だって、色々と変わったんだよって言いたいような気もするけど……でもそうだね。私は、変わっていないよ? あの時から何も変わっていないんだ」

「そうなのか?」

「うん、そうだよ」


 由佳は、俺に笑顔を見せてきた。その笑顔と言葉に、俺はあることを思い出す。

 ずっと昔に交わした約束、あれも変わっていないのだろうか。もしもあれが変わっていないのであれば、俺と由佳は。

 それを問いたい。そう思ったが、言葉が出てこない。やはり、俺は恐ろしいのだろう。そのことを聞いて、今の関係が壊れてしまうのが。


「……由佳、なんだか焦げ臭くないか?」

「……え? あ、ああ!」


 そこで俺は、台所に妙な臭いが漂っていることに気付いた。

 それを言った瞬間、由佳はホットケーキを裏返した。その表面は真っ黒だ。どうやら話に夢中になって焦がしてしまったらしい。


「ひ、久し振りにやっちゃった……」

「ま、まあ、誰にでも失敗はあるさ……」

「ううっ……」


 火を止めながら、由佳はその場にうずくまってしまった。久し振りの失敗が、彼女をひどく落ち込ませているのだろう。

 俺は立ち上がり、由佳の傍に行く。こういう時にどうするべきかはもうわかっている。本当にいいのかとも思うが、先程許可ももらったし多分大丈夫だろう。


「由佳……」

「ろ、ろーくん……」

「そう落ち込むことはないさ」

「……ありがとう」


 俺がゆっくりとその体を抱き寄せると、由佳からはリラックスしたような声が聞こえてきた。

 とりあえず、落ち着いてくれたようだ。これで一安心である。

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