第2話 幼馴染の友人達は少しいやかなり怖い。

「ろーくん、寂しかったよね……でも、ろーくんのことを忘れたことは一回もないよ。それは、本当だからね?」

「え? あ、はい……」


 由佳は、俺との距離を詰めながら、色々と言ってきていた。正直、俺は今彼女がなんと言ったかよくわかっていない。近づかれた時点から、俺の意識は会話から離れてしまっているのだ。

 現在の俺は、可愛いだとか、いい匂いがするだとか、そういう邪な気持ちで胸がいっぱいになってしまっている。頭を切り替えるべきなのだろうが、目の前にいる可愛らしい少女を見ていると、そんな考えは一気に吹き飛んでしまう。


「ろーくん? どうしたの?」

「いや、別になんでもない……」

「でも、下がってるよ?」

「なんでもないんだ。本当に……」


 結局俺は、由佳から離れることにした。あの距離で会話すると、思考が働かないので、これは仕方ないことなのである。


「ろーくん……」

「うっ……」


 そんな俺に対して、由佳は悲しそうな瞳を向けてくる。なんだか、子供や小動物にねだられている時の気分だ。

 こんな瞳を向けられると、もう後退なんてできるはずもない。由佳が距離を詰めてきても俺は動かず、また至近距離に逆戻りだ。


「ねえ、ろーくん、連絡先交換しようよ」

「え? 連絡先?」

「これから毎日連絡するから。今までの分、埋め合わせしないとね」


 可愛らしくウィンクしながら、由佳は俺にスマートフォンの画面を見せてきた。そこには、俺でも知っているアプリの画面が写し出されている。

 由佳の連絡先。それは、俺にとって非常に魅力的なものである。

 しかし、今はそれが必要ないと思ってしまう。これ以上、彼女と関わるとよくない。俺は別にいいが、由佳が変な噂の的にでもされるのは嫌だ。

 幸か不幸か、俺にはこの提案を断る口実があった。とても簡単だが、相手が確実に折れてくる言葉を俺は知っているのだ。


「悪いが、俺はそのアプリを入れていない」

「え? そうなの? それなら、今から入れようよ」

「……へ?」


 俺の言葉に、由佳はすぐに返答してきた。おかしい。こう言えば、大抵の人は諦めるはずなのだが。

 俺は、頭を回転させた。今のが駄目だった以上、他の口実を探さなければならない。

 いや、他の手もある。今の由佳の言葉に反論すれば、それでいいのではないだろうか。


「いや、通信料が……」

「あ、そっか。それなら、帰ってから入れてね」

「え? あ、はい……」


 名案だと思っていた返答は、一瞬で崩されていた。よく考えてみれば、由佳とはこれから毎日同じ教室で顔を合わせることになる。例え、今乗り切れたとしても、明日があるのだから、今の言葉はまったく意味がなかったのだ。


「でも、今日電話したいから、普通に番号教えて」

「え? いや、それは、個人情報なので……」

「別に、悪いことになんか使わないよ?」

「………………はい」


 迫って来る由佳に、俺は思わず頷いていた。もう頭の中はいっぱいいっぱいで、これ以上逃れる方法を考えられなくなっていたのだ。

 こういう強引な所は、昔とは少し違う点かもしれない。やっぱり、由佳は輝かしい世界の住人になっているのだ。

 いや、どうだろうか。そういえば、昔もこんな感じだったかもしれない。彼女に押し切られることは、よく考えてみれば前にもあった気がする。


「あれ? 由佳? こんな所で何をしてんの?」

「あ、まい、それに竜太りゅうた君も」

「よう、由佳」


 そこで、とある者達が現れた。その人物達のことを、俺はよく知っている。もっとも、あちらは俺を知らないだろう。知っていたなら、こんな顔はしていないし、何より由佳が俺を知らなかったというのがその裏付けになるのではないだろうか。

 何故、俺があちらを一方的に知っているか。それは、とても単純な理由で、彼らが有名人だからである。

 有名人といっても、テレビに出ているとか、そういう訳ではない。この学校において、もっと細かく言えばこの学年において、彼らはある程度名が通っているのだ。


「あんた、誰?」

「えっと……」


 俺をきつい視線で見つめてきたのは、四条しじょう舞という人である。由佳の友達の中でも中心にいる恐ろしい人物だ。

 俺は心の中で、彼女を女王だと思っている。この学年にいる輝かしい世界の住人の頂点。それが、彼女なのだ。


「舞、そんなに睨みつけてやるなよ。こいつが、怖がっているじゃないか」

「……別に、睨みつけてないけど」

「うっ……いや、すまん」


 そんな四条に小言を言って、すぐに引き下がったのは立浪たつなみ竜太という男だ。端的に言えば、この男は四条の彼氏である。

 だが、ここの立浪という男は王と呼ぶべきではないだろう。どちらかといえば、騎士という表現の方が正しいはずである。


 基本的な力関係としては、四条が上で、立浪が下だ。それが明確なのかどうかはわからない。俺が自分で見た光景や、周りから聞いたことで判断した非常に主観的な意見でしかないからだ。

 もっとも、今重要なのはこの輝かしいカップルの関係性ではない。この二人が、俺の前に現れたという事実の方である。


「それで、あんたは一体何者なの?」

「あのね、舞。彼は、藤崎ふじさき九郎くろう君……私がいつも話していたろーくんだよ」

「ろーくん……こいつが?」


 由佳の説明に、四条は目を細めていた。信じられないというようなそんな目をしている。一体、由佳は俺のことをどのように説明していたのだろうか。


「……意味がわからないんだけど。大体、どうして二年になってから、あんたの幼馴染が現れる訳? 何? 転校生なの?」

「そうじゃないんだけど……」

「そうじゃない? 何それ?」


 四条が驚いていたのは、由佳の説明とかけ離れているからという理由だけではないらしい。二年になって、俺が現れたことに困惑しているようだ。

 考えてみれば、それは当然のことである。この再会をおかしいと思うのは、とても真っ当な意見だ。


「三人とも、とりあえず、教室に入った方がいいかもしれないぜ」

「竜太? どうして?」

「もう、ホームルームの時間だ。それに、由佳や藤崎は気づいていなかったのかもしれないけど、結構目立っているぜ?」

「え?」

「何?」


 立浪の言葉に、俺と由佳は周囲を見渡した。確かに、なんだか俺達に視線が集まっている気がする。

 そもそも、廊下で顔を合わせてしまったことが、この話の発端だ。当然、廊下で言い争っている男女がいれば目を引く。人の目が集まるのは、別におかしいことではない。


 なんだか、変な汗が出てきた。いつも目立っている由佳はともかく、俺なんかが目立ってもいいことなんて何もない。そんな俺と由佳が関わっているというのも、非常にまずい状況である。俺と関わることで、彼女に不利益がかかるなんて、あってはならないことなのだ。


「あれ? ろーくん?」

「お、行動が早いな……」

「行動が早いって、何も言わないで行くことはないじゃない」

「ま、あいつにも色々と事情があるんだろう」


 という訳で、俺は一目散に教室に逃げ出した。これで、周囲の人達は目立つ人達に絡まれていた哀れな男くらいにしか思わないだろう。

 黒板に書かれている座席表を見て、俺は自分の席を発見した。ついでに、由佳の席も見ておいた。どうやら、俺達の席は離れているようだ。


 これで、とりあえず一安心できそうだ。もし隣の席だったりしたら、先程の話が繰り返されるだけである。

 こうして、俺は一先ずではあるが、安息の地を得るのだった。

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