第10話 リトルヨシワラ

 キゼトの片隅、道路で区切られた城壁沿いの小さな一画に、その街がある。

 街の名前はリトルヨシワラ。どう考えても、日本出身の転移者が創った街だ。


 どんな街かは名前でお察し。野性を持て余した男を慰める為に必要不可欠な場所だ。


 下卑た気持ち悪い笑顔が止まらないモリの案内で、そのリトルヨシワラに足を踏み入れた。

 エルの察知能力には感心させられる。


「この街を作ったのは、転移者だそうですよ!」

「だろうね。そういう名前だよ」



 モリは一軒の娼館の前で立ち止まった。


「このお店にしましょう!その名もフジヤマ!」


 その名も「フジヤマ」ではなく「その名もフジヤマ」だ。

 看板に「その名もフジヤマ」と書いてある。


「ネーミングセンスやべーね」


 その名もフジヤマの売りは、「お淑やかな黒髪の美女のおもてなしが受けられる」というものだ。

 ハードなサービスは無いが、女性陣のレベルの高さと、行き届いた接客態度に定評があるらしい。


「いらっしゃいませ、モリ様」


 店に入ってすぐの場所に立っていた姿勢の良いボーイが、モリに深々とお辞儀をする。常連か。

 良い店はボーイの教育も行き届いている。そういうものだろう。


 待合室のソファに座ると、スッと飲み物が出された。

 良い店はおもてなし精神が行き届いている。そういうものなのだ。


「今日は友達を連れてきましたよ!」

「噂の変な荷車のニグルさんですね」

「どうも。こっちじゃ初めてなので、明るくて優しくてサービスのいい子よろしく!」


 待合室から個室へと案内された。この辺は元の世界のそういう店と同じようなものだ。


 個室の中で待っていると、引き戸が開いて、黒髪の女性が現れた。

 しなやかな黒髪、切長の瞳、小ぶりな鼻、白く滑らかな肌、いかにも和風美人だ。ベタだ。


「いらっしゃいませ、ニグルさん」

「なんで名前知ってんの」

「店長から聞きました」


 女性は小さく笑った。


「私も転移者なんですよ。名前はルルと言います」


 え、としか言えなかった。

 転移者は冒険者になるしかない。そんなのは男の目線でしかない。考えもしなかった。

 女転移者がどうやってこの異世界を生き抜くのかを。


「女性転移者は、こういう仕事に就く人多いの?」

「多くはないですよ。私が知る限り、他に二人です。二人とも他の街から流れてきた転移者です」

「それ以外は冒険者?」

「そもそも女性の転移者が少ないですけど、冒険者の女性も確かにいますね。私も最初は冒険者でした」

「なぜ辞めたの?」

「色々と・・・怖いから」


 ルルはクスクス笑いながら言った。


「ニグルさん、時間には限りがありますよ?色気のないおしゃべりをいつまで続けるつもりなのですか?」


 フッと笑いを収めると、ルルはこちらの目を覗き込んで言った。


 多くを語りたくなさそうな雰囲気だし、余計なことは一旦全て忘れよう。

 とにかく没入しなければ。せっかく命懸けで稼いだ金を使うのだから。

 何よりも、俺の野性そのものが、早く窮屈さから解放しろと強く主張している。



・・・・・・・


 その男は、他の転移者の男達とは違う雰囲気を持っていた。


 転移者の男達は、妙に舞い上がって自己陶酔しているか、いつまでも塞ぎ込んでいてやがて不貞腐れるか、大抵そのどちらか。

 好感を持てる転移者の男なんて、今まで見た事なかった。


 少し怠惰で常に不真面目、たまに感情的でごく稀に活動的。

 その男はきっと、元の世界にいた頃と何も変わらない顔で、何も変わらない声で、何も変わらない感情で生きているのだろう。


 最低限の親切心と少し足りない気遣いも、意外と深い優しさに触れてしまえば、元の世界の匂いと併せて、私を普通で居させてくれる大きな力になる。




 女冒険者と聞くと勇壮に聞こえもするけれど、この世界では、転移者の女冒険者なんて所詮は色物扱い。

 露出度の高い服装を強要され、危機的状況になった時、真っ先に見捨てられる。

 あくまでもお飾りであって戦力として期待されていないから、パーティー内での命の優先順位は低い。


 それでも戦い続けて名を挙げる、精神的にも肉体的にも強い転移者の女冒険者もいる。

 けれど、私はそうじゃなかった。

 男達にチヤホヤされて、おだてられて、その気になって冒険者になったものの、私は元々ごく普通の女。

 腕力も無いし体力も無い。


 何度も見捨てられて死にかけて、それでも何とか生き延びて、すっかり人間不信に陥った。

 私を置いて逃げる時の男達の目を忘れられない。

 私の存在がその瞳に映っていないと確信させる、蔑みも冷淡さも無い、恐ろしい目だった。



 何度も元の世界に帰りたいと思い、何度も泣いた。

 泣き疲れてそのまま寝てしまう日も、何度あったかわからない。


 所属していたパーティーを抜けて途方に暮れていた時、その名もフジヤマのオーナーに声をかけられた。


 現オーナーは転移者三世。

 現オーナーの祖父にあたる初代オーナーは、立場の弱い女転移者が一人前の収入を得られるような雇用を創出しようと、娼館を始めたらしい。


 もっと他の方法は無かったのだろうかとも思うが、この世界で女転移者を雇う事業主は皆無であり、また、転移者が既存の事業に参入する事は出来ないというのが、当時の現実だったそうだ。


 今は少しマシだけど、それでも、女転移者がそれなりの収入を得られる仕事に就くのは難しい。

 よほどの知識やスキルがあれば別だけど、前の世界ではごく普通の事務員だった私には、女転移者という立場を覆せるほどのものは何も無かった。


 冒険者を辞めた私がそれなりの生活をするためには、オーナーのお世話になるしかなかった。



 オーナーは本当に優しい人だ。

 嫌な客に当たって心が荒んでいる時は、必ず優しく抱きしめてくれる。

 私がいつまでも泣き止まない時には、一緒に泣いてくる。


「私も歳だからね、涙腺が緩くなっているのさ。もっと話を聞いてあげなくちゃいけないのに、すまないね」


 オーナーのために良い商品になろう。オーナーを困らせないように、前向きに仕事をしよう。

 そう思える様になったのは、オーナーの愛情が普通の人より、遥かに深かったからだと思う。




 その男が私の前に現れたのは、オーナーの深い愛情のお陰で前向きになれた、ちょうどその頃だった。


「ふふふ。ねぇ、ニグルさん。ずっと我慢してたんですか?すごかったですよ。量も勢いも」

「やだもー。ルルさんが素晴らしかったからだよー。色々と、ね。顔も体も湿り具合も締まり具合も声も体温も、全部素晴らしかったよ!」

「やだ、言葉にされると恥ずかしい。でもありがとうございます」


 ニグルが、汗ばんだ私の肩の匂いを嗅いだ。


「命の匂いがする」

「どういう事?私、汗臭い?」

「違うよ。体温を感じる匂いだよ」

「何言ってるかわからない」


 この人は鼻腔で温度を感じるスキルでも持っているのだろうか。


「もう、元の世界に戻れなくても良いけど、この世界の日常にも戻りたくないよー」

「じゃあ私と一緒に暮らす?」


 私はそう言いながら、ニグルの唇に自分の唇を重ねた。

 ニグルの口の中に舌を挿れ、ニグルの舌を愛撫した。


 ニグルの髭は硬くて、少し痛い。

 それでも、お互いの下半身を再び重ね、お互いにまだ求め合っている事を確認すれば、髭の痛みなど忘れて夢中になれた。



 返事は貰えなかった、と言うより、返事を聞くのが怖くて、返事をする暇を与えなかった。まだプロとして割り切れていないという事なのだろうか。

 返事を聞くのが怖かった自分を思い返すと、どうしても認めたくなってしまう。私はニグルに情を求めている。




「このパンツ、勝負パンツなんだぜ」


 紫色のビキニパンツを得意げに履くニグルを眺める。

 身に着ける服が一枚増える度に、ニグルが離れていく。

 身に着ける服が一枚増える度に、寂しさが募る。


 それが恋とまでは思わないけれど、元の世界の空気をまとったまま生きているあの人に、心の安寧を求め、依存したいと思っているのが、きっと私の本心なんだと思う。


「また来てくれる?来てくれたら、嬉しいな」


 無意識の内に、縋るような声になってしまった。


「来るよ。絶対来る。また来る為に、泣く泣く現実の世界に戻るよ」

「無理はしないでね。死んだらもう会えないよ」

「うん」


 平均より恐い顔をした四十歳のおじさんが、無垢な子供みたいに「うん」と頷く。


 冷静になって考えれば、ちょっと気持ち悪い気もする。

 でも、一度その人柄に触れてしまえば、むしろ可愛いが強い。

 ギャップってずるい。



 寂しさを見せないのも、プロの努めなのだろう。ニグルと腕を組み、笑顔で待合室まで見送る。

 ニグルが入っていった待合室から、若い男の声が聞こえてきた。


「ニグルさんの相手の方、喘ぎ声がすごく大きかったですね!」

「デリカシー!」


 モリとか言ったかしら。

 もしも指名されたら、必ず拒否しよう。


・・・・・・・

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骨を担いだ異世界人 @desa

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