第5話 醜態を晒した元天才
百坪ほどの敷地の中央には井戸があり、土壁の小さな家屋がその左側にある。
井戸より右側は小さな畑になっており、畑の隅には果樹が植えられている。
これが、何故か魔道具作りしかしていない不思議な天才魔法使いの、住居兼魔道具店だ。
敷地の入り口に立つと、小さな畑の傍にしゃがみ込んでいる小柄な女が見えた。
ダークブロンドの髪が、尻を隠し切って地面に着きそうな程長い。
モリはその女に向かって声をかけた。
「エルさん!こんにちは!」
モリにエルさんと呼ばれた小柄な女は、しゃがんだまま振り返り、振り返った後でゆっくりと立ち上がった。
「モリさん・・・」
見たところ、年齢は十代の半ばから後半くらいに見える。しかしモリが合法ロリと言っていたからには、実年齢は成人を超えているのであろう。
濃厚な緑色の瞳を持つ目は伏し目がちで、それだけで全体の雰囲気を暗くしてしまっているが、エルは癖の無い整った顔をしている。
一言で言えば美少女だ。とても美少女だ。
「エルさん!こちらの方が色々と相談したい事があるそうなので、お話を聞いて頂けませんでしょうか!こちらの方、そう言えばお名前伺っていなかったですね」
そう言えば名乗っていない。本名を言っても仕方ないし、覚えやすそうな名前を適当に名乗ろう。
「じゃあニグル。変な荷車のニグル。にしよう」
「いいですね!異世界っぽいですね!」
「モリさん、異世界って言うのやめて下さい。あなたにとっては異世界でも、この世界で生まれ育った私にとっては普通の世界です」
エルは冷たくて落ち着きのある声でモリを制止した。
モリは静止した。
静止したモリを見て見ぬふりして、俺はエルに挨拶をした。
「エルさん、初めまして。さっき決まったばかりだけど、俺の名前はニグルです。よろしく」
「この場で名前を考えて名乗るなんて、変わった方ですね。初めましてニグルさん。最近転移されたばかりの方ですよね」
話し声に抑揚は無い。話している間も、美しいその顔に、表情と呼べる程のものは浮かんでいない。
「俺が最近転移してきたばかりって、何で知ってんです?」
「さっき変な荷車と仰ったので。変な荷車の転移者さんの事は、街で噂になっていますから」
エルはそう言うと、意外なことにクスクス笑った。
無表情で抑揚の無い話し方をするこの女が笑った事に驚き、その笑顔が驚くほど可憐である事に感動し、さっきまでの無表情と可憐な笑顔のギャップの振れ幅の大きさで頭の中が真っ白になり、次の思考が始まらない。
「変な荷車のニグルさん、どうされたのですか?さっきまで切長だった目がまん丸になっていますよ?」
エルは悪戯っぽく言った。こっちが本物のエルなのだろうか。
「あ、うん、潜在スキルとか適性を見て頂けたらなと思って。突然押しかけてしまって大変申し訳ないですけど」
悪戯な問い掛けに対してズレているという自覚はあるが、冷静な自分に戻るために、とりあえず来訪理由を告げた。
本当はバイクに使う燃料の事を相談したかったのだが、少しでも第一印象を悪くしない為にも、初対面で長引きそうな話は避けた方がいいだろうと判断した。
認めざるを得ない。俺はこの外見美少女の合法ロリに、少しでもいい印象を持ってもらいたいと考えている。
エルの表情から笑みがスッと消えた。
「私は常に人の役に立ちたいと思いながら時を過ごしています。あなたのお役に立てるのであれば、そのご依頼、喜んでお受けします。家の中へどうぞ」
エルは、元の抑揚の無い話し方で言った。
単にモードに入ったのか、俺がちゃんと会話のキャッチボールをしなかったから興醒めしたのか。
後者であればもう躓いたという事だ。萎える。
それにしても奇特な人だ。常に人の役に立ちたいと思いながら生きているなんて、偽善でなければ奇特だろう。
少なくとも俺はそう思う。
俺の考え方が一般的なのか、それとも、俺の性根が腐っているのか。
「じゃあ、お願いします」
「そちらの椅子にお座り下さい。瞬きはしてもいいですけど、私の目をしっかり見ていて下さいね」
エルに促され椅子に座った。俺の目線の高さと、エルの目線の高さが同じになった。
冷徹な表情の外見美少女の顔がすぐ近くにある。
その外見美少女の緑色の瞳を間近で見つめる。
当然、緊張する。ザブザブと、目が泳ぐ。
「やばいね。見惚れちゃうね。俺の顔、赤くなってない?」
緊張を誤魔化す為に軽口を叩く。
「なっていません。静かにしていて下さい・・・ここに来る前にニンニク入りのトマトソース食べたんですね」
息が匂っているぞと、遠回しに言っているのであろう。
恥ずかしいから、素直に口をつぐむ。
今のところ、悪い印象しか与えていない気がする。
椅子に座った俺の目を小柄なエルが立ったまま覗き込み続けている。
集中しているせいか、ダークブロンドの髪の毛が俺の方に垂れてきても直しもしない。
いい匂いだ。集中している様だしバレないだろうと、鼻息を抑えもせず、何度も髪の毛の匂いを吸い込んだ。
どんな匂いかと言えば、甘美な匂いだ。何しろ外見美少女の髪の毛の匂いなのだから、多少臭くてもきっと甘美に感じるだろう。
エルは突然、凄まじい勢いで顔を離した。
「ゔぇ、ゔぇぇぇぇ」
顔を離したエルは、勢い良く嘔吐した。
この世界のこんな外見美少女でも、元の世界同様、臭いものは臭い。
モリは何故か、目を輝かせながら眺めている。
「人の顔見て吐くとは・・・あはは」
苦笑いしか出来ない。
俺の顔を間近で見て気分を害したのだろうか。
いや、間近で無遠慮に髪の毛の匂いを嗅ぐおっさんが気持ち悪かったのかも知れない。
もしくは俺の口臭を思い出して気持ち悪くなったのか。
「すみません。ごめんなさい。あなたの深淵まで見えてしまったのです。見るべきではなかったのです。でもそんなの予測出来ないです。私の呪縛に関わる事なのです。まずは頭を切り替えます。少しお待ち下さい」
エルはちりとりの様なもので吐瀉物を片付けながら、抑揚の無い早口で言った。
何を言っているのかさっぱりわからない。
深淵、呪縛、俺の深淵、エルの呪縛。わからない。
「お恥ずかしい姿をお見せしてしまって、本当に申し訳ございませんでした」
エルは落ち着きを取り戻すと、何事も無かったかのように、俺のスキルについて淡々と話し始めた。
ただし、決して俺の目を見ようとはしない。
「ではまずスキルですが、一つは魔法無効です」
「無効になるって事は、この世界には本当に魔法があるんだね・・・」
「魔法の存在を認めなられない思いが強過ぎて生まれたスキルなのかも知れませんね。転移者の方には、ごく稀にいらっしゃるようです。私があなたのスキルを見たのも、魔法を使って行ったのですけどね」
黙って見守っていたモリが、急に身を乗り出した。
「異世界転移の定番、チートですね!」
さっき異世界って言わないでと言われたばかりなのに。
「モリさん・・・まあいいでしょう」
エルの無表情は、癖の無い整った顔なだけに、かなり冷ややかに見える。
「魔法によるダメージを受けないと考えると便利そうですけど、回復魔法も補助魔法も効かないという事だと考えられるので、不便さもあるかと・・・それは時に致命的でしょう」
魔法をこの目で見ていないだけに、説明されても何の実感も湧かない。
今まさに目の前で魔法を使っていると言われても、見えない以上、眉唾感が消え失せない。
「他に気の集中が出来るようです。発動条件や効果は私にはわかりかねますが」
「気功みたいなものかなぁ。それなら何となく理解出来る」
「あと、魔力量が多いです。けど、ご自身が魔法を無効化してしまうので、使い道が無さそうですね。仮に魔法を覚えて発動したとしても・・・あなたの体から発動されたその瞬間に無効化されるんでしょうからっ。ぶっ」
その不条理さに、努めて表情を消していたらしいエルが吹き出した。
自分でも間抜けな話だと思うから何も言えない。
「今日はもうお帰り下さい。私はとても疲れました」
ついさっき吹き出したばかりである事を忘れたかのような、冷徹な表情のエルに唐突に追い出された。
感情の行き来が忙しい人なのだろうか。
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