第2話 新しい世界に来たバイク好き中年


 四十歳になった。髪の毛は減ってない。白髪も無い。顔の皺も無い。肉は全体的に弛んできている。


 身だしなみには気を遣っている。世間一般の四十歳と比べれば、遥かに若く見える自信がある。

 


 親父が死んだ。母は早世だった。姉とは元々疎遠だ。

 結婚はしていない。恋人は5年程いない。友人は少ない。仲のいい知り合いは多い。しがらみを感じない程度の友達が多いと言い換えてもいい。


 親父が死んで、自分に嘘をついてまで、やりたくない仕事をやらなくてもいいと思った。


 やりたい事を仕事にする程の才能は無かった。貧乏に耐える根性も無かった。だからサラリーマンにしかなれなかった。楽しくはなかった。


 標準書類、定められた手順、品質活動、環境活動、報告書、不具合対策、いずれ崩れる出来もしない綺麗事の積み重ね。仕事は全てが茶番なんじゃ無いかと疑いながら過ごしていた。


 だから親父が死んでしばらく経ってから、やりたくもない仕事を辞めた。



 田舎の古民家を買った。海と山に挟まれた農村の、眺めの良い古民家だ。ツーリングで訪れた時に惚れ込んだ古民家だ。

 これからは毎日、好きな景色を眺めて、好きな景色の中に溶け込んで、死ぬまでに最高の写真を1枚撮ることを目標に生きていくのだ。


 生活は遺産と自給自足で支える。自給自足のスキルは無い。遺産が無くなるまでに身に付ければ良いだろうと思う。



「じゃあそろそろ行くわ」

「今度の連休で泊まりに行くよ。家族で」

「んじゃ、なるべく家の中を散らかさないようにしなきゃだな」

「ん。じゃあ気を付けてな。これから新しい人生なんだし」


 引っ越しを終えて、心許せる数少ない友人らへの挨拶を済ませ、ツーリングがてらバイクで新居に向かう。急ぐ必要はないから、のんびり、キャンプをしながら行く。


 今までに経験したことのない変化だ。育った家に戻る可能性が完全に無くなる門出だ。

 少し動揺しているかも知れない。焦点が定まらない。頭がぼーっとする。


 何時間走っても、運転に集中出来ないままだ。

 山深い峠道を走っていても、危険予知が甘い。

 見通しのいいカーブですら体重移動が遅れがちだ。

 なのに恐怖を感じられない。どうかしている。


 と、思ったらとうとう曲がり切れずに、谷に落ちた。


 谷に向かって落下している最中に意識が飛んだ。意識が戻った時、見覚えのない道路の上で、ちゃんと停車していた。

 


 道路は狭くないが未舗装だ。多分丘の中腹だ。

 道路の両側は切り開かれている。その先は、両側とも深い森だ。

 道路の先、丘を下り切った先には、中世のヨーロッパ世界のような、城壁に囲まれた街がある。


 夢を見ているのだろう。どこからどこまでが夢なのかはわからない。が、こういうのは経験がある。


「寝るしかないな。目が覚めたら現実に戻ってるだろ」


 こんな時は夢の中で寝るしかない。そうしたら、起きた時には現実に戻っている。そんなものだ。荷物を降ろすのは面倒だし、その辺で適当に横になろう。どうせ夢の中なのだから、深く考える必要は無い。




「あの・・・起きて下さい。もうすぐ日が沈みますから。起きて下さい」


 誰かに起こされている。


 何時間経ったのだろう。意外と数分しか経っていないのかも知れない。どこからが夢なのかも分からないから、考えても詮がない。起きればきっと、そこは現実の世界なのだろう。


 さて、俺はどこで目覚めるのだろう。実家かな。新居かな。テントの中かな。


「って現実に戻れてないのか!」


 目が覚めた場所は、横になった場所のままだった。

 未舗装の道路も森も丘の下の城壁に囲まれた街も、ちゃんと視界に入っている。


「なんだこれ。夢の中で寝て、夢の中で起きたのか」

「寝ぼけていらっしゃるところを申し訳ないのですけど、そろそろ城壁の中に入らないと危ないですよ?この森には魔獣がいますから。昼はそれほどでもないですけど、夜は森から出てくることもありますから危険です!」


 見たところ普通の人間の、普通の太った若者だ。

 普通の人間の太った若者が、少し怯えながら起こしてくれたのだ。


「魔獣・・・」

「あなた転移者じゃないですか?実は僕もです。日本からですよね?僕もなんです!」

「今までと違う世界に転移・・・バイク乗ってる最中に。それ、まんまダンバインじゃねぇか」

「ダンバインが何かはわかりませんけど、異世界転移おめでとうございます!」

「何がめでたいの?」

「魔法とエルフと合法ロリのファンタジー世界に転移なんて最高だと思いませんかー!」


 太った普通の人間の若者は、急に元気が良くなった。ちょっと無理している感じがする。

 先日まで働いていた会社にいた、明るくてコミュ力の高いアニオタに似ている。そいつも合法ロリがどうのこうのと言っていたな。



 視界はクリア。

 指紋の一本一本もしっかり見えてる。

 太った若いアニオタらしき奴が発する言葉を理解する冷静さもある。


 これはもう、今が現実と認めるしかないのだろう。

 割り切ろう。諦めの早さには自信がある。

 延々と、だらだら考えても答えが出ない事に執着する習慣は無い。



「そっか。ここは今までと違う世界なんだな。何でか分からないけど、違う世界に来たんだな。しかも魔法なんてものが存在する世界なのだな。ふんふん」

「早く城壁の中に入りましょう!近そうに見えて結構遠いから急がないと!」

「歩くのめんどいからバイクに乗って行こう。君も乗りなよ。後ろ」

「乗り物ごと転移とか激レアですよ!でもこれエンジンかかるんですかねぇ」


 セルスターターは付いていない。祈りながらキックペダルを踏み込む。まさかの、普通にエンジンがかかった。


「よし。乗れ。抱きつくなよ。せめて肩を掴め」

「おおー。ちゃんとエンジンかかるんですねー。ではお願いします!」


 旧車ながらもオフロードバイク。未舗装の道でも問題無い。

 轍があるから、馬車くらいはある世界なのであろう。


「この世界にはガソリンってあるの?」

「多分無いです!」

「燃料となる油は?」

「動物の脂を照明に使うこともあるけど、そういうのは魔石の方が一般的です!」

「じゃあ今あるガソリン無くなったらバイク乗れなくなるね」

「そうですね!でもファンタジー世界ですから、きっと大丈夫ですよ!」

「何が大丈夫なんだよ。適当な奴だな。ところでバイクで街行ったら、住人に驚かれない?」

「どうでしょう?転移者が珍しくない街ですし、未知のものへの耐性はあるでしょうし、そんなに驚かないと思いますけど」


 こいつにあれこれ聞いても結局解決しなさそうだし、歩くのは嫌だから、とりあえずバイクで城壁の近くまで行く。


 今出来る事はそれだけ。今意識出来る事もそれだけ。

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