第9話 二人法師の人生④

 少女の身体はぷかぷかと力なく浮いていた。生きているかどうかもここからじゃ分からない。とりあえずは海に入って陸に上げるのが先決だろう。だけど……。


 身体がすくむ。


 出来るのか? 私一人で。


 周囲をきょろきょろと見渡してみるが、人っ子一人。車すら通る様子もない。どうしよう。助けを呼ぶにも携帯を持ってない。何より……。


 ――どうして魔法少女を殺したんですか?


 記憶がフラッシュバックする。違う、私は関係ない。私のせいじゃない。でも……これで助けられなかったらどうなる? また――いや、今より酷くなったら……。


 少女死亡。間違った救護が原因か?

 間違った救護を行ったのは「あの」綾崎コガネだと判明しました。


 いや違う、そうはならない。ならないんだ。


 ……でも、分からないじゃないか。事実、姉の時は私までとばっちりを受けた。


「このえ……助けて」


 言って咄嗟に口元を抑えた。


 今、私は何を言った? このえに助けてって言ったのか?


「はは……ははは」


 なんだそりゃ、おかしくて笑えてくる。都合が良いにも程があるじゃないか。


「そうだ、このえを呼んでこよ」


 ここから家まで走れば十分くらい。そこから準備して来れば合計三十分くらいで着くはずだ。いや、そもそも呼ぶ必要もないか。無理に関わる事はない。知らなかった。関係ないのだからそれで終わりだ。その証明なんて出来まい。


「だから……」


 言い訳がましく振り向くと、猫がジッと私を見ていた。


「……馬鹿みたい」


 何がしたかったんだっけ。山吹の言う通り悩みなんて最初からなかった。猫の瞳に私の姿が反射する。酷く惨めな顔だった。


「ニャアー」


 天に届きそうなくらい高い鳴き声。手に持っていたペットボトルが地面に落ちた。


「助けろって言ってんのか? お前」


「ニャアー」


 助ける? 私が誰かを?


 俯いて、泣きそうな顔を強く叩いた。カッコ悪い、本当に私は。スパッと決められたら良いってのに。


「……分かった」


 一度頷いて足を海へと踏み出す。意外に水深が深い。ドボンと肩まで浸かると、ぎこちない形のクロールで少女の元へと近づいていく。波が強い。


 身体が押し返されそうになるのを、息を大きく吸って堪える。


 届け……届け!


 手が触れた。冷たい身体の感触と、血の匂いが鼻を刺す。そのまま抱きしめると、閉じていた目をゆっくりと開く。目が合った瞬間、彼女は微笑を一瞬だけ見せた。


 温かい風が肌に触れる。


 そうか、今は夏だった。


「ありがと」


 ぼそりと少女は言った。弱々しい、今にでも消えてしまいそうな声だ。


「今際の際みたいな事言わないで。すぐに救急車を呼ぶから、それまで頑張って」

 そう言うと、ギュッと私の服を掴んだ。弱弱しい力、でもどこか強い。

「呼ばない……で」

「え? 呼ばないって?」


 何も言わずにゆっくりと目を閉じていく。力がどんどんと弱くなっていく。急がないと、でもどうする? 岸に上がった所で私じゃ何もできない。応急処置も分からないし、それに救急車を呼ぶなって。でも、このままじゃ……。


「お前何してんだ? そんなところで」


 ふと声がする。見上げると缶を背負った闇医者がこちらを見ていた。


「この子、怪我してるの。応急処置くらいならあんた出来るでしょ!」

「ん……あぁ、出来るが。まぁ良い。応急処置くらいなら善良な市民である俺がやってやる。早く上がってこい。早くしないと低体温症で死ぬぞ」


 相変わらずふてぶてしい顔。でも、この時ばかりは頼もしい。


「ありがと。助かった」


 * * *


 何とか、岸まで泳ぎきって彼女を横に寝かせると怪我の酷さに目を疑った。ボロボロの服に、身体のあちこちから流れる血。それも切り傷から穴が空いたようなものまで――これは銃弾の跡か?


「酷い有様だな。銃弾の方は気持ち悪いほど急所を避けてる。ショットガンの弾すら。わざとやってるんなら気持ち悪いくらいだな」


 山吹はそんな事を言いながら、着々と応急処置を続けている。闇医者とは言え、腐っても医者。手慣れた手つきで止血を行っていた。


「なにぼーっと立ってんだ。早く公衆電話でも見つけて救急車を呼んでこい。時は一刻を争うぞ」

「それなんだけど……」

「なんだ?」

「さっき、この子救急車を呼ばないでって」


 少し躊躇いながら口にする。間違ってることは分かってる。ここは意地でも助けを呼ぶべきなのだ。けれど――。


「だろうな」


 あっけらかんとした声。


「え?」


 思わず訊ね返してしまった。


「何だ、驚いて欲しかったのか?」

「そうじゃなくて! どうして分かるの?」

「そりゃ……」


 そこまで言いかけて、山吹は手を止めた。何を考えているんだろうか。しばらく空を見上げた後、視線を向ける。


「お前、なんでこいつを助けようと思った?」


 どうしてか? どうして……どうしてって。そりゃ


「助けるもんじゃないの? 普通、溺れている人がいたら」

「それだけか?」


 それだけ? 他にあるのか? いや、まぁ、確かにあるけど。


「……猫」

「猫?」

「猫が鳴いたから」

「なんだそりゃ」


 そう答えると、山吹は顎に手を当てる。しばらく沈黙してからゆっくり息を吐くと、私を一瞥して言った。


「こいつは、もう助からない」

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