第7話 二人法師の人生②

『速報です。今から五分ほど前、千葉県西部にあるダムが倒壊しました。被害の状況などはまだ分かっていません。倒壊したダムは曰く付きダムとも呼ばれていた新西千葉ダムとのこと。新西千葉ダムは以前から様々な問題点が指摘されており――』

 

 上空からのヘリの映像に衝撃が走った。抉り取られた地面、押し流された大量の木々。見るだけでも怖い。近くに住んでいる人達は大丈夫なのだろうか。


「心配しすぎ。私達には関係ないじゃん」


 このえが私の肩を叩く。見上げるとなんともないようなケロッとした顔をしている。


「……そうだね」


 視線を下に下げると、逃げるように私は腕を伸ばす。指先が一冊の本に当たると私はそれを手に取った。カラマーゾフの兄弟とか、ノルウェイの森のようなカッコイイ本があったら良かったのだが私の家にそんな知的な本は置いてない。


『百人中百人が参考になった! 人と仲良く話せる本』


 と、どこの出版社が出しているのかも分からないようなハウツー本だった。


「それ、参考になる?」


「……百一人目だったみたい」


「知ってる。大体会話ってのは実践で訓練していくものだし……コガネの場合はコミュ力とか以前の問題でしょ?」


 このえは私から本を取り上げると、ぱらぱらとつまらなさそうに何枚かめくって、そのままゴミ箱へ放り投げた。ガタンと大きな音が鳴る。俯いている私を見てか、このえは私の頭を抱くようにして、胸に当てた。柔らかい大きな胸の感触が頬に、布越しに伝わった。安心して、目を細めてしまう。


「良いんだよ、コガネは頑張らなくて。今までずっと頑張ってきたんだからさ。休んだって大丈夫。お金なら私が代わりに稼いでくるから」


 頭を撫でられながら――凄く温かい。


 これも夢のような人生かもしれない。このえの言う通り、努力なんかしなくてもこのえが何とかしてくれる――できるかどうかは別として。だが、そこまで言ってくれる人がいる。私は多分、幸せな人間だ。


「……ありがと」


 一人で起き上がるとまたパソコンに向かう。記事を書き始めようとした時、このえが


「あ、ちょっと待って」


 と制止をかけた。


「何かあった?」


「郵便渡すの忘れてた。はい、これ。おばさんの病院からだよね」

 少し厚めの封筒に、九十四円になるように貼られた三枚の切手。嫌な予感がしつつも、ハサミで封を開けた。


 拝啓 綾崎コガネ様


 いつも当院をご利用賜り、誠にありがとうございます。この度は――様の入院期間が半年を経過いたしましたのでご案内の方させて頂きました。患者様の様態は現在安定しており、私どもといたしましては、ご自宅での治療へ移行しても良い段階かと存じます。つきましては一度コガネ様との面談を希望いたします。御日にちと時間につきましては下記の通りに指定させていただきました。ご都合悪いようでしたら、お手数ですが当院窓口まで連絡の方よろしくお願いします。


「……面談日は八月四日の十時か」


 あとは病院までの地図と、母親の様態について書かれた資料が何枚か入っている。


「面談……か。良かったね、回復しているみたいで」


「どうだかね」


 手紙を畳んで封筒に戻すと大きな溜息が出た。


「違うの?」


「違う……とは断言できないけれど、あんまり手放しで喜べないって感じかな。向こうからすればトラブルの種のようなものだから退院させたいのは間違いないだろうし」


「退院させるために嘘ついてるってことか」


「可能性があるってだけね。ま、仮に回復してたとしてもこの家に置いておくにはいかないし……新しい病院は見つけないといけないかな」


「でも、見つかるの?」


「分かんない。面談の時に聞いてみる。最悪、先生に頭下げるよ」


 そう言って、カタカタとコンピュータで文字を打ち、執筆作業を始めた。


 今回の記事のテーマは夏の花火大会特集だ。関東でも数多くの花火大会が組まれていた。参考の写真は過去の写真。SNSに挙げられた投稿や他のブログの投稿を参考にあたかも去年行ってきたかのようにでっちあげる。


 射的に焼きそばにりんご飴。


 綺麗な花火と浴衣が揺れる。


 思えば、最後に花火を見たのはいつだっただろうか。思い返して記憶がないくらい昔という事しか覚えていない。一番近いと八月七日に一つ花火大会がある……な。


「このえってさ。七日って暇?」


「七日? あーその日は予定入ってるかな。早い企業だとそこら辺からもうお盆休み入ってることもあるからさ。八月は掻き入れ時でもあるのよ。何かあった?」


「あぁ、いや……何か美味しいものでも食べれたらなって思って」


「美味しいもの? うーん、まぁ八月は色々あるからだけど――後半だったら時間作れると思う。何か食べたいものでもあった?」


「うん、お刺身とか……かな」


「なーんだ、それくらいなら市場に行って今日にでも買ってくるよ。一緒に食べよ」


「うん」


 再び画面に目を戻したら、文字を打つ手を止めてしまった。文字が頭に浮かんでこない。雑念が多いな、今日は。


「……ちょっと海に行ってくる」


「うん、分かった。雨降ってるから傘持って――気をつけてね」


 立ち上がると、私は立った寝癖をそのままに着替え始めた。

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