第2話 プロローグ①
午前零時くらいの眠気では目が冴えてしまって眠れない。多分、今日までの記憶を全部消さないと無理だ。だったらと、たらふく飯を食うために食堂に行くことにした。
ホテルの一室を出て、お洒落なカーペットの上を歩き、突き当たりにあったエレベーターで下に降りる。十五階から五階へ。七階にあるゲームセンターと温泉、映画館の文字にやや誘惑されながらそのボタンを押した。
今日から八月。和洋中、ありとあらゆる食事が食べられる食堂には、この時間でもまばらに人がいる。今日から食堂のメニューが更新され、和食のコーナーには、新しく「鮎の塩焼き定食」が導入されていた。
オススメのようなのでこれを買っておくか。
「鮎の定食を一つ。ごはん大盛りで」
人差し指を一本立てて注文すると、がたいの良いシェフが腕組みをしながらコクリと頷いた。
「了解。今から焼くから少し待ってな、嬢ちゃん」
やたら男前である、このシェフ。
「……どうも」
少し申し訳なさそうに言うと、調理工程を眺める。水槽から取り出した鮎を華麗に締め、パラパラと塩をまぶす。直火で焼いている間に、ご飯と汁物を装い、刺身、茶碗蒸し、漬物。最後には天ぷらまで仕上げる。一流シェフの腕前を忽然と見ていたら、後ろからトントンと肩を叩かれた。
振り返ると、私の上司、岡田アカネが立っていた。胸に付けた金のバッジには魔法部隊第一部隊隊長という文字が深く刻まれている。魔法少女の死後に編成された対魔獣機関、魔法部隊。彼女はそこの第一部隊の隊長だ。
「なんだ、えらく風流なもん食ってるじゃないか。副隊長」
にやりと綺麗に揃った歯を見せる。悪戯をする前の子供のような顔をしていた。
「なにか用ですか? 隊長」
「そう釣れない事言うなよ。用がないと話しかけちゃダメなのか?」
「そういうつもりじゃないですよ」
「だったら良いんだ。ま、折角だから昨日の式典の内容、色々聞かせてくれないか? な、《英雄》さん?」
はっきりと強調するように言う。賛辞のような言葉。だが、そう呼ばれるのは苦手だ。
「止めてください。私は別に――」
そう言いかけた時、食堂に置いてあったテレビの音が耳に入ってきた。
『ニュースをお伝えします。魔法少女の追悼式典が昨日、お台場の魔法平和記念公園で行われました。魔法少女が息を引き取ってから九年。式典には多くの人が参列し、献花や黙祷を捧げ、鎮魂の一日となりました。式典には魔獣殺しの英雄である、建羽ルリ魔法部隊副隊長も出席し――』
「な、ルリ。正真正銘の英雄だよ。ニュースでやってるんだ。自信持てって」
「そういう問題では……私の話は止めましょう。大した話はないですし」
丁度定食が出来上がった。トレイを持ち上げ、席へと向かう足を一度だけ、隊長に向けた。
「席はどこが良いですか?」
透明な声が出た。ひょっとしたら冷たく聞こえたかもしれない。だが隊長は、気にも留めていない様子で私と同じものを注文した。
テレビの近くの席を選ぶと私と隊長、向かい合わせで席に着いた。鮎の塩焼き定食。実際見てみると、その豪華さは定食というより御膳の方が良いだろう。これを魔法部隊の人間は無料でいくらでも食べられる。いや、食事だけではない。先程の映画館やゲームセンターなど、ここ魔法部隊東京支部の基地内にある施設は全て無料だ。
「至れり尽くせりよな」
鮎の上質な脂、刺身も口の中で溶けるほどの絶品だが……私は眉を上げた。
「どうしたんですか? 今更」
「いや、この時期になるとな。魔法部隊の人間としては思うところが一つや二つあるもんだ。寧ろ何も思わないのか?」
「別に私は。隊長は情が厚すぎるんですよ。危険な仕事には違いありませんし、その対価だと思えば……違いますか?」
「いや、間違ってないよ」
大盛りのご飯をかき込みながら言った。納得はしてなさそうだ。
「昨日何かあったんですか?」
「ん? 別に。隊長の私は魔獣退治を任されて、副隊長は式典でスピーチしているのを不満に思ってるわけじゃないぞ」
子供か。
「止めてくださいよ。災害レベル二程度の魔獣じゃ式典を断れませんって。災害レベル二ってちょっと大きい地震くらいですし、半年前から持ちかけられた話で、何千万ってお金が動いているんですから」
そう言うと、隊長は腹を抱えながら大きな声で笑い始めた。
「ははは、冗談だよ、冗談。私がそんな事で怒るわけないだろ?」
そうか? 結構しっかり恨み節を言っていた気がするが。疑惑の視線を向ける私に弁明するように、隊長はそのまま話を続けた。
「ま、そんだけ立派になったって事だ。私は誇らしいよ。ルリ副隊長が英雄って呼ばれるようになってから……四年くらいか? 魔法部隊のイメージも昔よりはマシになった。今じゃ志願者すら出てくるって話も聞くくらいだ。副隊長目当てにな」
「……そうですか、ありがとうございます」
と言ったものの良い報告として受け取っておいて良いのだろうか? 命を賭けるなんて、誰かに憧れてなるものでもない気がするが。
「で、どうだった? 昨日の式典は?」
「どうだったって言われても、別に普通ですよ。人の話を聞いて、皆さんの前でスピーチして、会が終わった後は偉い人と挨拶ですかね。来年が丁度十年になるのでその時はまた来てくださいと、本当にそれくらいです」
「……普通だな。そりゃ良かった」
しみじみと、隊長は呟くとテレビの方を向いた。画面は丁度、私の姿が映っている。昨日のスピーチの映像だった。
『……あなたたちが命をかけて守ったこの街をこれからも守るため。私達は日々、精進していく所存です』
ぼーっと、まるで魂が抜けたかのような目で、私のスピーチを聞いている。ありきたりな内容だと思うのだが、しかし隊長の瞳がうっすら揺らいでいるように見えた。
「大丈夫ですか?」
「うん。いや、大した事じゃない。それこそ九年前には想像できないだろうなって。魔法部隊の人間がこうしてテレビに出てるのがさ」
「あぁ……」
テレビから流れる言葉は確かに私らしくない。
本当の私は皆が思うよりずっと冷たい人間だ。誰かのために、なんて、そんなことを思った事はない。いや、思えるような人間なら私も隊長もここにはいなかっただろう。どうして、もっと早くこういうことを言えるようにならなかったのだろう。後悔は塵のように積もるばかりだ。
「……そうですね」
静かに頷くと、立ち上がる。完食したが、まだしばらく眠れそうにない。
「この後の予定はあるのか?」
「ちょっと射撃練習でもしようかと」
「相変わらず真面目だな」
「いえ、気分が乗ってるだけです。それにこの時間帯なら周囲の視線を気にせずに撃てるので」
「そうか、じゃあ楽しんで――」
そこまで隊長が言いかけた瞬間、突如けたたましいアラートが建物内に響き渡った。心臓を掴まれるような冷たい音。この音は――。
隊長に視線を向けると目が合った。
「……最悪だ。仕事の時間だ。私は状況を確認する。お前は隊員を外に待機させること。何かあったら連絡してくれ」
「分かりました」
そう言うと、急いで走り出す。
この音は魔獣が出現したときの音じゃない。脱走者が現れたときのサイレンだ。余計な仕事を増やしやがって。
胆の底から湧き上がる怒りをグッと堪える。
言っても仕方がない。魔法部隊にいるやつは碌な奴じゃない。
最初から分かっている話だ。
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