政略結婚とはこういうものです。

桜乃花

第1話 貴族に恋愛など

「ミアンヌ様!オリヴァー様との婚約を破棄なさって下さい!」


 人気のない校舎裏。呼び出されて行ってみれば、一人の女生徒。

 彼女は亜麻色の髪をなびかせ、勝気な表情をに向けている。

 もう一方の私は金髪を揺らし、一つ息を漏らしては手にしていた扇子を広げ口元を覆う。

これまで何度あったかわからない、様々な令嬢からの脅迫。自分が私の婚約者と結ばれる為という、分不相応な願いを持った女性達から幾度となく言われた事だ。


私の名はミアンヌ・リストン。リストン侯爵家といえばルビアン国の王家とはるか昔から親交が深く、これまでもリストン家から王家へ嫁いだり、逆に王女殿下がリストン家へ降嫁する事もあった。

つまり、リストン家の令嬢である私が王太子殿下と婚約するのも、いわば古くから続く慣習のようなものなのだ。


ただ、それを面白くないと思う人間も多少居る。

目の前の彼女もその一人なのだろう。


「……仰る意味がわかりませんわ。何故私が婚約破棄をする必要が?」

「まぁ、白々しい!この期に及んで図々しいですわよ」


 そう言われても、私は小さく首を傾げるしかない。


「オリヴァー様は貴女ではなく私を愛して下さっているのです。良心が残っているのでしたら、オリヴァー様を解放なさるべきですわ」

「オリヴァー様が、貴女を?」


 一方的な彼女の言葉に、反芻してからつい笑ってしまう。

 私の婚約者が誰かを好きになどなるはずが無いと、わかっているからだ。


「先に申し上げておく必要がありますわね」

「な、何を……」


 私は広げていた扇子を小さく音を立てて閉じてから、彼女へと数歩近づく。

 勝ち気な令嬢はその様子にたじろぎつつも、逃げ出そうとはしなかった。


「まず貴族の婚姻に恋愛など必要ありません」

「……は?」


 突然の言葉に、彼女は唖然とした表情を浮かべるが私は気にせず言葉を続ける。


「貴族の令嬢には自分で結婚相手を選ぶ権利は殆どありません。自分の家より爵位が低い者だったとしても、自分と歳の離れた相手であっても、将来を決めるのはなのです」


 家にとってどれだけ価値があるか、一族の繁栄に利用出来るか。

 貴族の結婚とはひたすらにロマンスからは程遠く、機械的なもの。

 故に駆け落ちなどという品の無い事をする貴族もいるが、そんな人間はそもそも貴族の器ではなかったのだ。

 私はそういった説明を口にしつつ、小さく息を吐く。


「誇りある貴族の一員であるならば、高貴たるものの義務ノブレス・オブリージュを守るのは当たり前です。ましてや、愛などという不確かなものに縋るなどありえません」


 先程彼女が告げた愛という言葉。

 貴族の婚約者同士に愛は必要ない。無くても良好な関係は築けるのだ。

 愛が無ければ関係が悪くなるというのであれば、私と彼はとっくに険悪になり、それこそ彼女と愛し合っていたかもしれない。


「オリヴァー様は次期王太子と言われている御方。そんな方が婚約者を蔑ろにして、大して得もない家柄の貴女を選ぶ筈ありませんわ」

「……っ!家柄家柄って!オリヴァー様は家柄ではなく人柄を見ているのです!貴女のような人を婚約者にしなければならないオリヴァー様がお可哀そうですわ」

「家柄でなく人柄?ならば余計に貴女は選びませんわ。わざわざ私に嫌がらせをした挙句、それでも婚約破棄しないからと直接乗り込んでくる者と、誰が結婚したいと?」


 そう、彼女は遠回しに婚約破棄させようとしていたのだ。

 嫌がらせ自体は地味で鬱陶しい程度のものだったが、それは彼女が男爵令嬢だから。

 爵位の低い令嬢が出来る範囲の嫌がらせなど、たかが知れている。

 だからわざわざ取り合う必要はないと放置していたのだ。

 勿論、彼女が嫌がらせをしたという証拠は集めた上で。


「そ、そんな事……私は……!」

「あら、否定なさらずとも証拠はきっちり揃えてありますわ。貴女が騒がなければ、この証拠も使う必要はありませんけど」

「そんなもの……そんなもの、いくら捏造したってオリヴァー様はきっと私の事を」

「僕が何だって?」


 背後から声が聞こえ、私の前に立つ令嬢は驚きから声を失ってしまう。

 私は背後に立つのが誰かわかっている為、驚きもせず振り返るとカーテシーをする。


「オリヴァー殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……」

「ミアンヌ」


 私が礼の形を取ったままそう告げると、私の婚約者である王太子殿下───オリヴァー様はそのまま近づいてきて私を抱きしめてきた。


「……オリヴァー殿下、一応人の目もあります。そのようなお戯れは……」

「ミアンヌ、怪我はしてない?嫌な事とか言われなかった?」

「………はい」


 私の制止など聞こえていないのか、私を抱きしめる彼からは心配の声が返ってきた。

 王族の言葉をこちらは無視出来ない為に、仕方なく頷く。


「君はいつも一人で解決しようとするんだから。言っただろう?僕にも頼って欲しいと」

「このような事、わざわざご報告する程の事では……」

「僕が、心配なんだよ」


 いつになく真剣な声に、思わず顔を上げる。

 端正な顔立ちに鮮やかな緑の瞳、金色の髪が透き通って輝いているようにすら見える。そんな彼が少し怒ったような表情をしているのを見ると、小さく笑ってしまった。


「ミアンヌ……」

「失礼致しました。臣下にまでそのようなお気遣い……やはりオリヴァー殿下は次期王太子になられるべき御方」

「え?……いや、心配なのは臣下だからじゃなくて」

「オリヴァー殿下。私も殿下に恥じぬ臣下であるよう、努々忘れず日々精進致しますわ」


 オリヴァー様はいつも私のような一臣下にまで細やかな気遣いをして下さる。

 それ故に彼に心から忠誠を誓う者も多い。勿論、私もその一人だ。


「オリヴァー様!」


 私達の会話に割って入るように、すっかり放置されていた令嬢が声を荒らげる。


「……何かな?」


 一瞬で、空気が変わる。

 オリヴァー様は張り付いたような笑顔を浮かべ、だが令嬢を拒絶している事がありありとわかる態度で返事をした。


「……っ、オリヴァー様。私はミアンヌ様にいじめられておりました。オリヴァー様の居ないところで、教科書やノートを捨てられたり靴を隠されたり……」


 令嬢は少し怯んだものの、元来の強気な性格故か気丈に訴えかけてきた。

 彼女の言うは何とも貧相で、程度の低い者しかしないと高位貴族にはわかるものだが、本人は必死だ。


「そうか。それはいつ頃?」

「教科書とノートを捨てられたのは三日前の昼休みで、靴を隠されたのは昨日の放課後です」

「どうしてそれがミアンヌだと?」

「彼女の後ろ姿を見たからです!ミアンヌ様が去った後に、それらがわかったのです」


 当然だが、そんな事実はない。そもそも彼女の机や靴箱の場所など知りもしないのに。

 私ですらそれがわかるのだから、当然オリヴァー様もわかっている筈。


「……そうか、よくわかった」


 オリヴァー様は私から身体を離すと、貼り付けた笑顔のまま彼女へと近づく。

 令嬢はようやくオリヴァー様が自分を見てくれた事が嬉しいのか、頬を赤く染め期待を込めた表情を浮かべている。


 ……だが、彼女の予想に反してオリヴァー様は一転、冷えた表情で言葉を続けた。


「……君が王家に不敬を働く者だという事がね」

「……え……?」


 令嬢は呆気に取られた顔になる。先程まで優しい笑顔を向けていた王太子が急に態度を変えたのだ。戸惑いも大きいだろう。


「ミアンヌが君をいじめた事実は無い。全て君の捏造だ」

「違います!本当に私は……」

「ミアンヌは王太子の婚約者という立場だ。彼女の行動全てが、僕にふさわしい者の振る舞いであるか常に監視されている」

「……か、監視……?」

「わかりやすく言えば、ミアンヌには常に護衛とは別に監視もついているという事だ。もし君の言ういじめを行っていたのなら、当然僕の耳にも入る」


 貴族であれば当然知っている事実。王族の婚約者はそれに相応しくあらねばならない為に、いつ如何なる時も監視がついている。


「だから彼女が君に何かをする筈はないんだ。わかったかな?」

「で、ですが……!」

「話は後で詳しく聞かせて貰うよ」


 まだ言い募ろうとする彼女へ軽く首を振ると、すっと右手を挙げる。

 すると何処かから待機していたであろう部下達が彼女を拘束し、何処かへと連れて行く。

 恐らく王宮にて処罰を言い渡されるのだろう。


「オリヴァー殿下、ご助力ありがとうございました」


 彼女の姿が見えなくなってから、私はオリヴァー様に頭を下げる。

 すると彼はこちらへ近づいてきたかと思うと再び私を抱きしめた。


「君にはいつも嫌な事をさせてしまってすまない。でもさっきも言ったように、僕にもっと頼って欲しいんだ」

「このような事でわざわざ殿下のお手を煩わせるのは……」

「……君は僕が、王族としての義務や君への親切心でこう言ってると思ってるんだろうね」


 耳元で聞こえる彼の声が、少しだけ寂しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。


「僕は一度たりとも、義務や善意で君を助けたいなんて思った事はないよ」

「それは───」


 どういう意味でしょうか、と問いかけようとしたが言葉が止まる。

 私の視線の先に、ある人物の姿が映ったからだ。

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