第4話

多摩刑務所の刑務作業は勤労意欲の養成として、木工、印刷、洋裁、金属を製造する生産作業と、刑事施設の炊事・洗濯や経理を担当する自営作業、職業に必要な知識及び技能を習得させる目的として行う職業訓練がある。


私が面会する受刑者は洋裁を担当しているが、死刑執行が近い事もあり、その日に作業を撤退させると聞かされた。

工場棟の作業室の1番奥の席に受刑者が座っていた。


「先生に渡したい物がある。これを確認してもらえますか?」

「針などはない。生地には糸だけしか使ってないな。…先生、これを受け取ってください」

「何か伝えたい事はあるか?」

「診察室は衛生上、生物なまものは置けないと言われたので、その代わりに刺繍を作りました」

「この花は?」

「睡蓮です。僕が好きな花なんです」

「良い出来栄えだ。ありがとう、受け取るよ」


彼は深く一礼をした。


「僕からも聞きたい事がある。質問しても良いですか?」

「どうぞ」

「何か好きな食べ物はありますか?」

「そうだな…小さい時に親が離婚したからあまり覚えていないけど…お母さんの作った肉じゃがが食べたいかな」

「普段は3食は食べているか?」

「残すこともありますが、何とか食べるようにしています」

「それが聞けてよかった。作業に戻ってください」

「あの…手を握っても良いですか?」

「手を出しなさい。…何もついていないな。良いぞ」


「…先生に会えて良かったです。刺繍がお礼になれば嬉しいです」


「こちらこそ、時間を作ってくれてありがとう」

「部屋に戻る時間だ。作業台はこのままの状態でいい。ついてきなさい」

「はい」


受刑者は一礼して看守とともに作業室から出て、独居房に戻っていった。

私も作業室から出て診察室に戻り、午後の診察を行なった。


10名の受刑者を診た後に次の受刑者が中に入ってきた。

その者は無言で自分の指を触る行動を取っていた。

特に異常はなかったので、診察を終えようとした次の瞬間、私の両肩に掴みかかり机の角に背中が強く当たった。


看守が取り押さえても抵抗をやめず、私の首に両手で鷲掴みをしてきた。


「綺麗事ばかり言いやがって。何が大事にしろだ?!医者がムショにいる俺らの辛さも分からねぇくせに偉そうな面構えするんじゃねぇっ!」


私は何とか振り切り身体から離れて、看守が2人がかりで受刑者の身を固めるとその者は暴言を吐きながら叫び続けていた。


数分後、興奮状態が鎮まると私の顔を睨みつけながら診察室から出て行った。


「怪我はなかったですか?」

「ああ。ああいう風に抵抗する時はあるのか?」

「心にない言葉を投げつけられると突然暴れることはあります。ただここしばらくはあのような事はありませんでした」

「一度見たものを覚えやすい方ですか?」

「ええ、あります」

「次回の診察の時も気をつけた方がいい。僕も慎重にします」


ひとまずの騒動は収まり続いて診察を行い、その日の勤務は終わった。


帰りがけに市橋所長に呼ばれて、先程の騒動でこの職務を退去するかと問われたが、続行する事を伝えると引き続き宜しく頼むと告げてきた。


自宅に帰ると妻が私の首元についた薄いアザを見て心配していたが、日常茶飯事だと返答すると、私の手を握りしめて無理はしないでくれと助言してくれた。


数日後、刺繍を渡してくれたあの受刑者の死刑が予定通り執行された。


季節は数ヶ月が過ぎて、気づくと初霜が降りた頃になっていた。

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