第3話 或る幼い日々は、


「ごめんなさい。本当に、本当に、ごめんなさい。でも今は嬉しいんだ。痛くて怖いくて、でもやっと行ける。ごめんね。こんな僕を許して、景」


「墜悼者協会を信用するな。中は底の無い泥水だ」


 そう言った彼の瞳はまるでその底の無い泥水を写した様にただ暗く濁っている。その瞳を覗き続ければきっとその泥の中に引き込まれてしまう。彼の瞳は黒では無いのに、何がそれを黒く見せるのか。……深く考えるほど足がすくわれるようだった。


「何でそんな綺麗な色をしているの?」

 まるでこのお空と同じ、幸せの色だね───



 ……目を覚ますと久しぶりに見る天井の模様が目に入ってきた。上質なベッドも、心地良い空調も何もかも完璧な場所だ。

 いつの間に眠っていたんだろうか。久々だな、阿良夜の家に来るのは。

 景はかかっていた布団を剥いで、起き上がる。

 それにしても懐かしい夢を見たな。いろんな夢を見た気がするけど、目覚める前の夢がこれで良かった。可愛い頃の阿良夜が出てきた夢を思い出して、無意識に笑みが溢れる。

 


「何を笑っているんだ? うなされていたくせに」


「っおま、い、居たのか。ちょうど良いから義足を取ってくれ」


「今は無い。兄さんが新しい改良版の義足を作っている最中だ。移動するなら手伝おう」


 そう言って阿良夜は車椅子を持ってきた。ずっとベッドの上でダラダラしている訳にもいかないので頷いて素直にお願いした。

 勿論向かうのは阿澄兄さんの所だ。



 阿澄あすみ兄さんは墜悼者協会のお偉い様の一員だったりする。

 墜悼者協会は1〜4番隊で構成されいるが、隠れた5番隊がある。そして、その隊の更に上に立つ全体の決定権を担う数字を持たない上層部【Back Numbers】通称BNS。これらは古くから存在する国の上流階級の貴族で構成される組織だ。 

 渡弩家は公爵の爵位を持っている。つまりは相当なお偉い様なのだ。

 それ故に、俺は阿澄兄さんに救ってもらったとも言える。


 俺は6年前から3年間にわたって起きた史上最大の神災じんさいの南部民族の生き残りである。独りで漠然としていた所を墜悼者協会の命で南部に来ていた渡弩阿澄さんに助けてもらったのだ。



「久しぶりだね、景。相変わらず綺麗な髪だ」


「阿澄に」


 兄さん、と言おうとしたその時には車椅子まで距離を詰められ身体を触られ、休む事なく喋り出した。


「足は大丈夫なのかな? どこに行っていたかは知らないけど、この義足が繊細なものだって事景が一番知っているよね。なんで戻らなかったんだろうね? 少しでも来ていれば手入れしたよ? それに力を沢山使っただろう。協会に話がきていることくらい分かっててその神の力を使ったのかな? だとしたら相当な阿呆だね。今回は本当に良くない。私はね、景が好きな事をして生きていけば良いとは思っているけれど、いつその力が無くなって君を傷つけるか分からないのに。……まして景は、他の"人工神じんこうしん"より力が強くて、多くを消費している事をきちんと自覚しなくてはいけないんだよ」


「……わかっています」


「なら良いんだ。これからは気をつけてね」


 そう、俺が阿澄兄さんと出会ったのは、今も仲が続いているのは、自分が英雄へーロースによって作り替えられて初めての成功した実験台の"人工神じんこうしん"だからだ。

 それまでの実験で死んだ人は数知れない。人工神達の過去は壮絶である。

 人工神とは身体の中に神の遺物を入れられ、人工的に人間が神の力を駆使できるように作った物だ。ただ力を使えるのなら良いのでは? と思うが、勿論神の力を行使するのには、それ相応の対価が必要な物だ。故に当たり前に人工神にはデメリットがある。

 今現在で知られている中で景は、神の遺物の恩恵を一番色濃く受け継いでいる1人だ。


「阿澄兄さん、それより義足のことありがとうございます。毎回すみません。っうわ」


 謝った瞬間に阿良夜が車椅子を引いた。「兄さんと近い」と俺に言い放って。

 コイツ! と思ったが意気揚々と阿澄兄さん話し始めたので抑えた。


「それなんだけどね、ちょうど完成したんだよ。改良版バージョン 234号」


 後ろにいる奴を少し睨んでから、笑顔で阿澄兄さんの方を向いた。


「また、数字が増えましたね。今回はどんな仕様が付いたんですか?」


「これからは魔法学園に通うから移動が増えるだろうと思ってね、浮遊魔法、空間魔法、風魔法、それにナイフとか銃の機能とかも付けてみたよ」


「「は?」」


 後ろにいる奴の声が自身と被った。阿良夜がこんな反応をするんだからそうだよな? コレって相当ヤバい代物だよな? 

 あまりに阿澄兄さんが平然と言うものだからこれがおかしくないのかと勘違いするほどにあり得なすぎて可笑しい代物だ。

 まず一つの道具に特殊魔法を2つ付与するなんて聞いた事がない。コレは世紀の第発明ってやつなんじゃないのか?


「浮遊魔法と空間魔法の2つを合わせると上手く扱えないのではないですか。兄さん」


「ははは、一年も時間があったんだよ。これくらいのこと出来るようになったよ。心配せずとも上手く起動するから大丈夫だよ、景」


「いやいや、これは国宝級の代物だと思うんですが」


「そう言えばだけど、イドが君に渡したい物があるって言ってたから明日にでも一度行った方がいい。何しろ約1年間も音沙汰なしの可愛い自分の子が帰ってきたなんて堪らなく嬉しいだろうからね」


 そう言えばって何だ、と思ったがこの人はそう言う人だ。天才なんだ。努力は勿論しているだろうけど、常人には何えない事をする人なんだ。だからこそ尊敬するし、感謝しかない。


「俺はイドの子じゃないです。……明日じゃなくて今日行きます。次の日は試験ですしもうここに居る必要はないですしね」


「……け」


「私も行こう」


 阿澄兄さんが何を言おうとしたのか、それを遮るように阿良夜が声を出した。そして流れるように改良版234号を阿澄兄さんから俺に手渡すと車椅子をドアの付近まで押して「先に行っててくれ」と言った───



「兄さん、何であんなに凄い魔法道具の義足を作ってしまったんですか」


 これじゃあまるでまで、景にいつでも「長旅をして良い」と言っているようなものじゃないですか。と続く思いを阿良夜は押し潰して。


「そうだね。阿良夜が予想している通り本当にそう思ったからだよ。今日景の顔を見れて良かった。前より良い顔をしているようだからね。ただ、この家を自分の居ていい場所とは思っていないみたいだ」


「……」


 阿良夜もまた、渡弩阿澄にとても助けられていた。家族だからとはあまり言えない少しむず痒い仲だ。2人はあまり一緒に時間を共有せずに育った。

 

 何故ならば、阿良夜も景と同じく人工神じんこうしんだからだ───





「じゃあ、行こうぜ阿良夜」


 景は目の前に広がる花を指先でくすぐりながら「懐かしいな、小さい頃阿良夜は駄々っ子だったからな」とからかうと、「今は違う」と落ち着いた声で阿良夜が返した。


 渡弩家の庭園は王宮の庭と渡り合えるほどだ。季節によって変わる草花や木はとても美しく、それを見るために貴族たちは渡弩家に招待されたいと望む。

 そして、四季が移ら変わっても永久に変わることのない場所が一つあった。

 「嫌だ! 景のお花がないと嫌!」と小さい頃の阿良夜が駄々を捏ねてからずっと咲き続けるポピー。景の人工神の能力によって生まれた庭。それがここだ。


 記憶の中は、人工神の能力と切り離す事は出来ない。

 

 結局俺は人工神の力と共に生きていて、そのおかげで今もずっと命を繋げている。


「何も違わないじゃあないか。可愛い口調だけは変わっちゃったけどな」


 そう言い合いながら転移魔法の魔法陣が彫られた噴水の前に立つ。転移魔法もまた特殊魔法の一つで使える者はごく僅か。これは墜悼者協会が設置した物だ。さすが協会。


「俺はずっとこうだ」


「そうかい」


 と言って、景は阿良夜の肩につかまった。身体の接触があった方が安全なのだ。魔力を注げば決められた場所へ即座に移動する。

 転移したらもう、そこは墜悼者協会だ。


 一度少し強い風が辺りを通って、花弁の頭を揺らす。ザワザワっと擦れ合う音が一面を支配する。2人の間を少し寒い風が髪を撫でながら通り過ぎた。


「……大丈夫だ」

 

 何が大丈夫なのかを聞く前に、阿良夜が魔法陣に魔力を注いだ。



「いきなり移動するな。びっくりするだろうが!」


「……報告に行かないといけない。だから景は且座理さざりさんに会って、ウラノスについてしっかり聞いてくるといい。協会の皆んながどれだけ景を心配しているかがわかる。……報告が終わったら迎えに行く」


 そう言ってやはり何を聞くわけでもなく颯爽と去っていく後ろ姿を見ながら、景は懐かしい場所に無意識に足を運んだ。


───【白昼の庭園】

 時間、天候、季節に左右される事なく永遠に日が照り続ける。孤城の中で一番神の遺物の力の恩恵を受ける場所であり、基本的に立ち入り禁止区域になっている。天候の変わらない見渡す限り真っ青な空、それは雲ひとつないアクリルの青だ。その空の日差しを地面は一身に受けてまるで自ら白く発行している様である。



◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿


 少年と言うよりは幼くて、まるで少し前までの自分を見ているみたいだった。


 泣くこともままならない苦しみ。悲しみ。

 のくせにその目は真っ赤に充血していて、泣きじゃくったようにも見える。でも今は全く泣くようなそぶりもなく、ただ感情を落としてしまったようだった。


 よく分からない大人に連れられて、この場所を目にしたその子はきっと世界を許せないと思っているに違いない。俺がそうだったんだから。


 そうだ。俺じゃなくて、お兄ちゃんに似てるんだ。あの真っ赤に腫れた目なんてそっくりじゃないか。


「ねぇ、これあげるよ。ポピーっていう花だよ」


 そう言って同じような背丈の、お兄ちゃんに似たその子にオレンジ色のお花を一つ顔の前に持っていった。白く長い前髪は、少し驚いた衝撃ではっきりと赤くなった目を晒した。

 お兄ちゃんに似ていると気付いた時には無意識に人工神の力を使っていた。



───そうして俺は幼い頃の阿良夜とこの墜悼者協会の白昼の庭園で出会った。

 それで終わりなら良かったが、その頃の自分といえば能力を全く制御できなかった。

 そのせいで、阿良夜が花を受け取ろうとした瞬間力が暴走して何処もかしこもポピーだらけになった。地面は辺り一面オレンジで、阿良夜と大人達まで覆うように花が盛られてしまった。


 幸いな事に阿良夜は目を丸くして、最後には綺麗だと少し、本当に少し目尻を丸めて言った。


 この花を綺麗だと、夕暮れの空を指差して、先ほどまでの表情が嘘のように可愛らしい口調で「幸せな色だね」と言った。



 この事がきっかけで協会の【白昼の庭園】の一部には真っ白な光が差し込まぬ、草花が咲く天候に左右される場所が生まれた。



「泥水……か。ねぇ、どうすればいいんだ? もう、協会には頼ってはいられない。幼い頃のようには……いかないかもしれない」



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或る獣に、アンダーブルー 井ノ花淵暝 @rem_sleep

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