第2話 或る夜汽車と英雄の訪問者(2)

「おめでとう、メガネ君。君は今日で死んだんだよ。協会に追われる事もない。新しい人生を始めるんだ。……はぁ、あの部屋にいたままだったら本当に死んでたねえ」


 墜悼者協会は信用出来ないかもしれないな、そう誰にも聞こえない音量で景はまぶたを伏せて呟いた。

 景がそう言うと、1人用のソファに座る目覚めたばかりで混乱顔の青年の肩がビクッと跳ねた。

 分厚いメガネをかけて髪はボサボサ。隣の部屋で血だらけになっていたのはまさにこの人である。

 なぜ彼が生きているのか?

 こんな事になっているのか?

 捨てられた子犬のような彼が、数十分まえまで自殺を図ろうとしていたなんて誰が思うだろうか。



───30分前。


 バリンッ! と言うガラスが割れるような音とドスッと何かが落ちる鈍い音がして、俺と阿良夜は隣の部屋へ行く事にした。

 ノックを三回しても、返事が一向になく「もしかして、死んでたりするかもな?」と俺が冗談めかして言った途端、阿良夜が扉に蹴りをかまして扉が吹っ飛んだ。

 景は一瞬何が起こったのか全く分からなくて唖然としている。


「……は? お、お前何やってんだよ。てかこれ、オートロックの鉄製の扉だぞ。どうなってるんだって、そうじゃなくて壊したらダメだろっ」


「……景が、死んでるかもと言ったんだ」


「……」


 蹴った張本人は、俺から目を逸らして俺のせいにしようとしている。

 だが今はそんな話をしている時ではないのだ。阿良夜によって壊された扉から部屋に入った。


「えっーと、すみません? 物音がして何かあったんじゃないかと思って、どうかされたんですか?」


 景はそう言って、申し訳なさそうに手で頭を押さえながら入室する。


「……君たちは一体なんなんだ。ど、どうかしているのは君たちじゃないか」


 吹っ飛んだ扉と2人を見ながら、その人は怯えたように声を張り上げた。

 その人の部屋は、荒れに荒れていた。

 机は倒れているし、コップはいくつも地面に落ちていてガラスの破片が散らばっている。裸足で歩いたらたちまち足の裏が血だらけになりそうな床だ。それに加えて包丁が落ちていたり、天井からは縄がいくつも吊るされている。

 この形は多分、首を吊ろうとしていたであろう形状になっていた。


「どうした、自殺でもしようとしてたのか? いや、強盗にでも襲われたか?」


 景はいきなり自殺について言及してしまったことをまずいと思ったのか、この高級車両では起こりえないことを口に出した。


「強盗なんて入れるわけないだろう」

  

 景の気遣いを一言でぶった斬った阿良夜は先程オートロックの扉を壊した本人とは思えない。


「き、君達は犯罪を犯しているんだぞ。わ、わかっているのか?!」


「ははは、……メガネ君は面白い事を言うね。先に犯罪を犯したのは誰だ? 俺たちが何もなく物音だけで部屋に入って来るようなやばい奴らに見えるのか?」


 そう景は自分で言って、先ほどまでの行動を思い返す。……自分でも入ってきそうな奴らなんじゃないか? そんなふうな思いが浮かぶ。


「ああ、見えるに決まっているじゃないか!!」


「あー。もうなんか面倒臭いから言うけど、この列車内での魔法の使用は禁止されている。これは墜悼者協会が定めた全国共通のルールだ」


 そう、先程の物音は魔法が発動されたと共に鳴ったもので、それに気付いた景達は急いでこの部屋に向かったのだ。

 景は頭を掻きながら阿良夜に近づき斜め背後から胸元に手を突っ込んだ。そして胸元をまさぐり「お、あった」と口にしてから手をヒョイっと引っこ抜く。

 その手に握られていたものは青色のブローチだ。ただ、藤の形を模しただけのブローチがそこにはあった。


「な、なんで……」


「ん? 墜悼者協会【二番隊青花せいか】副隊長の渡弩阿良夜様がここにいて、この事態に気付いているのに見逃すわけないだろ?」


 その青色のブローチはまさに彼が墜悼者協会の二番隊に所属していることの証明だった。

 それを見て言葉を失ったメガネの青年は絶望したように項垂れた。そして自分に問うように小さな声で喚く。


「こ、これには深いわけがあるんだ。今捕まってしまったら全てが終わりだ。いや、そもそも【青花せいか】の副隊長に見つかってしまった時点でアウトだなんだ。そもそもさっき死ななかったのがいけないんだ。どうする、どうする、どうすればいい」


「おい大丈夫か、メガネく」


「君達何をやっているんだ!!! なんで扉が壊れて……」


 景がメガネ君と言いかけたその時、元々扉があったはずの場所から車掌さんらしき人が現れた。

 だが、その人が彼らを見るなり言葉を失った。

 いいや、もっと具体的に言うならば『景』を見て言葉を失ったのだ。


「あ」


 そうして、景は何かを思い出したかのように声を出した。


「な、何故。何故景様が、ご、5番隊隊ちょ」


「を、おい。な、何を言い出すつもりだ。この阿呆。発言する前に一度自分にその言葉を投げかけてから言葉を発するんだ。そうしないといつか痛い目を見ることになるからな」


 景は慌てて車掌に近づき、彼の口を手で塞いだ。車掌はただ目を見開いて微かに頷いた。

 離された手はそっと口元に運ばれ、人差し指を立てて「シー、約束だ」と景は声に出さずに口だけを動かす。口元は程良く三日月を描いて真っ黒な瞳が悪戯に細められる。

 その光景を目の当たりにした車掌は頬を赤らめ、ゴクっと喉仏を上下に動かし喉を鳴らして、先程よりも強く何度も頷いた。

 強く頷いたかと思うと次の瞬間には「ひっ」と声を上げて後ずさる。景は不思議がり車掌が見ていた方を見るがそこにはいつも通り無表情な阿良夜が立っているだけだった。


「おい! いい加減にしろ! もう出て行ってくれ。……それか俺を殺してくれ。【青花】の副隊長なんだろ? いや、違う。殺さないでくれ! もう、どうすればいいんだ?! どうしたって俺は死ぬ以外は無いんだ。そうじゃないと、殺される。……なら今自殺した方が」


 メガネをかけた青年は、先程から様子が変わった。元々変ではあったものの、これはまるで気が狂ったようだ。

 青年は度々たびたび時計を見て、頭を抱え青白い顔をしている。


「本当にどうしたって言うんだ。なんで阿良夜に殺してくれなんて言うんだ? それに殺されるって一体どう言う意味なんだ」


「どう言う意味かって? そんなのそこの副隊長さんに聞けば分かるんじゃないか?」


 メガネの青年は阿良夜に睨みを利かせて阿良夜の反応を探る。

 だが、睨まれる阿良夜はただ静かに彼を見つめ返すだけで何も言わない。


「……はぁ。ったく、こいつは人見知りなんだよ。あまり見つめてやるな。なにがどうであれ、魔法を使った理由と死にたい理由とやらを話して貰おうか。何か墜悼者協会と深い関係があるんだろ? 話してくれるってんなら……俺が殺してあげるよ」


 その言葉を聞いて、膝をついてうずくまり垂れていた頭を持ち上げたメガネの青年と景の目があった。

 メガネの青年はこっちにこいと手を招く。招かれた景は、彼に近づき膝に手をついて顔を寄せる。2人の距離は息遣いが聞こえるほど近くなった。そして、メガネの青年は景の耳元で静かに息を吸って彼と景だけに聞こえる声で「墜悼者協会を信じるな。中は底の無い泥水だ」と囁いて身体を戻す。


「……どう言う意味だ?」


 メガネの青年は少し落ち着いたのか、正座をして感情を落としたような声で淡々と話し始めた。


「私はあと30分もすれば墜悼者協会に潜んでいる英雄へーロースに殺される。元を言えば私もその英雄へーロースだったんだ。私は逃げた。あの場所にはいられない。墜悼者協会は、英雄へーロースはあまりに酷い。だが、一度知ってしまった者を彼らが見逃すはずがなかったんだ」


英雄へーロースと協会が? 英雄へーロースと言えば自らを殺された神の使徒と言い張って神災じんさいを起こしたり、人工神じんこうしんを作っているところだろ? そいつらは墜悼者協会の敵だぞ。真反対の存在だ。そんな事があっていい訳がないし、ある訳がない」


「どうであれ時が来れば私は死ぬ。それ以外は無い。私もまた、罪を重ねすぎたんだ」


「……ある訳がない、と思いたいが約束は約束だ。メガネ君が話してくれたんだからしっかり殺してあげないとな?」


 その言葉を聞いて車掌とメガネの青年が肩を揺らした。

 メガネの青年は景を目の前にしてただ目を見開いていた。それは、この言葉のせいではない。見上げた景の瞳の中に夕暮れの朝焼けのような橙色を見つけたのだ。真っ黒な瞳の底に浮かぶその色を。


「……【5番隊黒花こくか】。そうか、貴方だったのか」


 墜悼者協会にいる者なら一度は聞いた事がある噂を知っているだろうか。よわい15歳で隊長格に上り詰め、彼の為に新しい部隊が作られた。表には公表されることはない墜悼者協会の眠る5番隊。彼は一ヶ月間隊長として君臨していたが、その後は姿を消している。彼を見た事がある人は協会のほんの一部だけで、彼が消えたからは【5番隊黒花こくか】も無くなってしまったという。

 でも、彼に出会えばすぐに分かるだろう。彼は綺麗な黒い瞳と、腰まで伸びている黒い髪を首の後ろで束ねている。彼自身が纏う雰囲気と匂いは花のように儚く、魔法を使う時にその真っ黒な瞳が色づく姿はたまらなく美しい。その様は同じ人とは思えない。


「少し眠っているといい」


 そう景が呟くと柔い光の粒がぱちぱちと弾け、儚い花の匂いがし始める。これはポピーの香りだ。

 その言葉を合図に急な眠気でメガネの青年は目を細めた。「ああ、そうか私は死ぬのか」そう思いながら眠気に身を委ねメガネの青年は前に倒れ込む。 

 

「景」


 これまでまったく口を効かなかった阿良夜が急に名前を呼んだので景は即座に振り返った。


「……あー。まあ、一旦部屋に戻ろう」


 振り返った阿良夜の腕の中には想定外に眠っている車掌がいた。


「……あまりその力を使うな」


「別に大丈夫だよ」


◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿ ◸◿


───現在。


 景と阿良夜は隣の個室から大きな音を聞き、幻影で作ったメガネ君が死んでいるのを確認すると自室に戻った。


「あの魔法はいったい何なんだ? まずどうやって殺した? 窓ガラスが割れていたのを見ると外からの射撃のような形で殺されたようだが、外はもう暗いし、何よりこの速さで動く列車に乗っている人を正確に当てる事ができるものか?」


「わからない。まず俺たちは魔法についてはあまり深く知らないだろう」


「……確かに」


「それよりも早く義足を取ったほうがいい。義足のほうがもう駄目になっている。魔道具を約一年間も修理せず使っていたからそんなことになっているんだ。駄目になっている魔道具を付けているのは足に悪影響だってわかるだろう?」


 部屋に帰るなり阿良夜の小言がうるさい。俺は別に大丈夫だって、と口にして広いソファに腰をかけた。


「……そいつはそんなに喋る奴だったのか?」


 ソファに寝かせていたメガネ君が目を覚まして、嫌味たらしく言った。


「一番に出てくることばがそれか? だから言ったろ。こいつは人見知りだって」


「……じゃあ聞くが、私は何で生きているんだ?」


 その言葉を聞いて景は「おっ」と声を上げてソファから立ち上がる。


「おめでとう、メガネ君。君は今日で死んだんだよ。協会に追われる事もない。新しい人生を始めるんだ。……はぁ、あの部屋にいたままだったら本当に死んでたねえ」


 そう言って景は幻影である死んで無惨になったメガネ君の襟を掴み持ち上げ見せびらかした。

 流石にそれを見たメガネの青年は嗚咽気味に背を丸めて口を塞いだ。

 それを見て景はやっぱり死んだ自分を見せるのは良くなかったか、と思いその死体を手放した。幻影で作られたその死体が地面につくと思われたその瞬間、瞬きをするその一瞬に、その肉体がポピーの花に姿を変え何十本、何百本と床を濡らした。


 そうした中で景は考えていた。

 あの特殊な力、魔法なのだろうか。この幻影の死体からは神器の匂いが少し感じられた。英雄へーロースか、墜悼者協会か。

 どちらにせよ信用はできなくなった。メガネ君が墜悼者協会に居たことは、俺の噂を知っている時点で確実だろうし、嘘をついても仕方ない。……調べる必要がある。


「……それが貴方の力なのか。影に眠る【5番隊黒花こくか】の隊長、芥生景あざみけい。人類史上最も美しい"人工神じんこうしん"と謳われているのは」


「あー、その呼び名辞めてくれ。力はまあ、美しいのかもな? 後、むやみやたらに"人工神"って言葉を使うな。もうお前が墜悼者協会の一員でなくてもな」


 景の最後の言葉の圧は、常に柔らかな雰囲気を纏っていた姿に似つかわしくなく、ただ「ああ」と青年は頷くだけだった。


「君は永遠に景に近づくな。名前を上げるのも、それに近しい話もするな。君が墜悼者協会にいたという過去は無い。名前を変え生きていくんだ。これがこの事実を知れた対価だ。心配せずとも俺はこの事を公言することは絶対にしない」


 後ろでただ静かに立つ阿良夜が、黙々と彼に告げた。


「って、訳だからよろしく。あの時にメガネ君はこの世からいなくなった。協会側もそう思っている筈だ。……君は今日死んだ。そして今新たに生き返った。新た人生を謳歌するんだな」


 景はそれをさも当たり前のように言う。そしてどうでも良くて、他人事のように話す。

 人工神は選ばれた者しかなれない。人を神にする実験はまさに英雄へーロースが行った大量虐殺の過去を持つ負の遺産。

 叶う事なら、人工神など生まれるべきではなかった。

 平然と話す彼を見て「人工神とは、やはり本物の神のような人なのだ」とメガネの青年は思った。美しいから? 力を持っているから? 新たな人生を貰ったから?

 否、その全てがただの夢物語のように、白昼の夢のようにどうでもいいと言うように、彼はただ気まぐれで私を救ってくれたのだろうと思うからだ。


 人が自らの手で神を作る世界で、景と呼ばれる彼は不幸にも選ばれ、与えられてしまったのだろう。人は簡単に死ねないし、死なない。生まれ変わるのもまた難しい。

 ……私を殺し生まれ変わらせてくれたその人は、いつか生まれ変わる事ができるのだろうか。この私も、英雄へーロースとして人を殺した過去が無くなる訳ではないのに。

 そんな疑問が頭の中に渦巻きながら目の色が心なしか変わったメガネの青年は沈黙の後に「ありがとう、善処する」と言った。







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