第五話 春の雷
「恋い慕うその子に?」
(伝わってない。素直にまりあに恋い慕うと言えない。俺はやっぱり臆病だ)
「龍之介くんが好きになる子は良い子なんだろうね」
「まぁ」
「あ! あれはわたしの住むマンションだ」
高級マンションのオートロックを開けて、エレベーターで九階までゆく。玄関に着くとまりあと龍之介を待っていたのは
「まりあ! 随分帰りが、遅くなったから心配したんだぞ」
「お父さんを紹介してなかったね。わたしのお友達の桜井龍之介くんです」
「
「ええ、こちらこそ、娘がいつもお世話になっております」
「まりあ。頰、どうしたんだ?」
「あ、変な人がいて、頰に傷作っちゃったんだ。その暴漢から龍之介くんが助けてくれたんだ」
「お? 龍之介くん? 良かったらうちで夕食一緒に食べます?」
「良いんですか?」
「龍之介くん。気にしないでね。娘が世話になったお礼です。どうぞ、どうぞ、あがってね」
「お邪魔します」
龍之介は靴を揃えた。美味しそうなカレーライスが並んでいた。
「龍之介くん座って! いただきます!」
「いただきます」
「美味しいね」
「今日は帰りが遅かったから私が作ったんです。熱いので龍之介くんもゆっくり召し上がってくださいね」
食にうるさい龍之介でも舌に合う。このような家庭料理は、はじめてだ。
「美味しい?」
とまりあが問うた。龍之介は頷いた。食が進む。
「龍之介くんはどこにお住まいなんですか?」
「俺は、埼玉県の所沢です」
「あらそうなの。わざわざ遠方から来てくれたんだね」
「龍之介くん、慎之助も居るよ」
龍之介は犬に目をやった。慎之助はドックフードを食べていた。相変わらず龍之介に対して、吠える。
「完食。お父さん、待ちくたびれて料理を作っちゃった甲斐がありましたよ」
「龍之介くんも、たくさん食べてくれましたね」
龍之介はまりあの父を見ると優しき家庭への羨望の気持ちが渦巻いた。
(俺の家も昔はああだった。普通に家に父さんがいて、楽しく暮らしていたのに)
いかんいかんと龍之介は渦巻く気持ちに蓋をした。リビングを見ていると真ん中にまりあがいて右にお父さん、左にお母さんと思しき家族写真が飾られていた。龍之介は渦巻く気持ちは自分だけではないことに気付く。まりあも幼稚園の頃に悲しい思いもたくさんしたことだろう。
あれは高一の入学式の日。
女子生徒が父親と話しながら桜の太い幹に寄りかかった。その日はちょうど雨上がりだった。空は晴れ、虹がかかった。春の陽に照らされたまりあの顔が思い浮かぶ。綺麗な目に真っ白な肌。嫋やかな髪の黑。美しい女性と思った。まりあは父に招かれ、走って校門を潜る。長い黒髪を揺らして走って校門を潜るとき。その瞳と龍之介の視線がかち合った。龍之介はまりあのその瞳に射抜かれた。一瞬にして龍之介はまりあの虜になった。
何かと共通点がないか探したり、下駄箱で待ち伏せしてもまりあは気付かない。龍之介は桶川にちらっとまりあのことを聞いた。だが、まりあは人生で一度も恋したことはないと言っていた。
そう、龍之介はまりあに思い届かぬ人なのだ。捨て犬を拾ったときに、はじめてまりあに話しかけられた。龍之介はとても嬉しかった。龍之介はまりあのように素直な性格ではなかった。素直に告白できない。会えて素直に嬉しいとも言えない。
龍之介は道から踏み外した。そんなまりあに振り向いて貰えることもない、と思った。
「どうしたの?」
まりあに訊かれた。
「少しぼーっとしただけ」
龍之介は返した。
「龍之介くん、大丈夫かな?」
まりあの父も心配そうだ。
「……いえ、平気です」
龍之介は答えた。
そう、龍之介はまりあに憧れていた。可愛くて素直なまりあに。
「そろそろ俺は帰ります。お料理、ご馳走さまでした」
「龍之介くん! 気をつけて帰ってね!」
まりあが手をブンブンと振っている。まりあの父もそうだ。
「また明日!」
龍之介は手を振ってみた。まりあは花のように微笑む。その笑顔が龍之介だけに向けられれば良いのに。
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