ステップ6

 金曜の夜、セント・ジョン・ザ・ディバイン大聖堂を臨む通りの向かいの貸部屋で、ハグと対話のプログラムが始まった時、プープーはハグの前に話したい事があると切り出す。

「聞くよ」

 僕は椅子に座り直す。

 ルルが努めて優しい声色で言う。話してみてくれ。

「いいかしら。これを言うのは初めてよ」

 プープーは、しきりに左耳のピアスを弄っている。

「あたし、神じゃないの。失望させたかしら」

 僕は言う。いや、全然。君の言う事は信じてなかった。

 ルルは言う。まあ、あんまり神っぽい感じはしてなかったな。

「あら、そう。悲しいわね」

 プープーは、元、神のふりしたプープーは肩をすくめてみせる。でもね。前置きをして、自信たっぷりにプープーは言う。あたしたちにかけられた奇跡は本物よ。神は存在するの。

 僕たちは、お互いの顔を見合わせる。助けを求めてルルを見たら、ルルも僕を見ていた。

 ルルの顔はこう言っている。こいつ、こんなに信心深かったか?

 僕の顔はこう言っている。いや、ただのクレプトマニア(注:病的窃盗、窃盗症)のコプロフィリア(注:糞尿愛好症)女だと思う。

 ルルの顔が言う。コプロフィリア女って?

 僕の顔は言う。なんでもないよ。

 そうして、ぼくたちは同時にこの部屋に存在するもうひとりを見た。ハッピーを見た。今日のハッピーはハロウィンに合わせた魔女モチーフで、ジギタリスの造花とカボチャのアクセサリーで飾られている。着せ替え人形みたいなハッピーは笑っている。微笑みを崩さない。

 プープーは、ハッピーを見つめる僕たちを見て笑っている。

 ルルが沈黙を破る。「ハッピーが本物なのか」

 シャッターを切る。

 椅子から立ち上がったプープーが、車椅子上のハッピーを柔らかく抱き締めているカットだ。二人の表情からは、確かな絆と、僅かばかりの罪悪感が感じられる。

 タイトルを付けるなら、『奇跡と使徒』だ。5ドルできみに売り付けよう。

「ハッピーは奇跡を起こせるの」

 プープーは言う。ジェリコの奇跡もハッピーが起こしたの。他の奇跡も全部そう。ハッピーの行く所には奇跡が付いてくる。ずっと、あたしの願いを叶えようとしてくれてるの。

「OK、話が飲み込めてきた。つまり、ハッピーが奇跡を起こしまくってるスーパーキリストガールで、プープー、きみはそれを自分の力だと吹聴していた?」

 プープーはバツが悪そうな顔をして──多分、この顔は演技に違いない──言う。「直接的な言い方をすれば、そうとも言えるわね」

 僕は更に続ける。「しかも、ハッピーはきみの願いを叶えてるって言った?」きみの願いってあんまりいい事じゃなさそうだな。

「あたしの願いは、一言で言い表すなら、自由になる事よ」全てのしがらみから解放される事。救済されること。満ち足りること。プープーは言う。普遍的に存在する願いよ。

「秘密を話してくれてありがとう。プープーに拍手を」ルルはあくまでグループリーダーを努めて言う。勇気が要る行動だ。ルルは言う。神の立場を降りるとなれば尚更に。

 部屋に僕ひとりぶんのまばらな拍手の音が響く。ぼくたちは言う。ありがとう、プープー。

「待って、話はまだあるの」

 プープーはハッピーを抱き締めたまま言う。

 僕は言う。「聞くよ」

「ハッピーは、本当は歩けるの」プープーは言う。というより、多分、歩けると思う。

「この前ハッピーを抱っこした時は、そんな風には感じなかったけれど」

 僕はスカートと毛布に隠れたハッピーの脚に目を向ける。記憶の中のハッピーの身体は、病的なほどに痩せ過ぎで、筋肉を殆ど感じられないほどに細かった。

「あたしがわざわざ秘密を打ち明けたのは、かわいいかわいいハッピーちゃんのためなの」プープーは続ける。ジェリコの奇跡は強過ぎるの。確かにあたしの自由の願いを叶えようとしてくれてる。だけど、ハッピーは奇跡を起こす度に、奇跡を保ち続ける為に、身体に莫大な負荷がかかってる。それこそ手足の自由が奪われるほどよ。あたしの最初の願いはあたしの自由。けれどね、今のあたしの願いはあたしたちの自由、ハッピーの自由よ。あたしはハッピーを歩けるようにしたいの。ハッピーと並んで歩きたいの。

 ルルが喉を鳴らす。

 僕は言う。「自分で自分の手足を治せないのか?不具が治るのは典型的な奇跡だろ?」

 ルールその一。プープーは言う。「奇跡は他人の願いしか叶えない」それに、とプープーは続ける。あたしがハッピーの手足が治るように祈っても駄目だった。

「OK、じゃあどうすればいい?」

 プープーは言う。「奇跡を終わらせる。それしかないわ」

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