髪鶴

にゃ者丸

髪鶴 ~黄泉へ連れてく、怨の糸~

 鳴いている。鳴いている。息を吸うような声で、鳴いている。ずるずると、何かを引き摺るような羽音で飛んで、それは鳴く。


 闇の中、都市の暗がりに僅かに届く夜空の光を浴びて、それは光の線を浮かび上がらせる。悲鳴が上がった。甲高い鳴き声は、路地裏の暗がりへと消えていき。


 やがて悲鳴は、掠り声に変わって消えてった。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





「ねぇ、今朝のニュース見た?」


 事務仕事にパソコンに向かっている傍らで、ひそひそと同僚の後輩達の話し声が聞こえた。仕事に集中しろよと思いながらも、私は自然と話し声に聞き耳を立てていた。


「見た見た。女の人の変死体だってー。これで何人目だろう」


 ああ、またあの話か。例の連続事件。




 最近になって、この街には奇妙な事件が連続して起こっていた。それは、人目を避けた場所で、首や手首、足首に細い糸を巻き付けた女性が自殺する事件が多発していたのだ。

 被害者、というのも変な話だが、自殺した彼女らを知る人物達は、総じて「自殺するほど思い詰めているように見えなかった」とか、「毎日、夫や子供達と幸せそうに過ごしていた」とか、自殺した事が信じられないというのだ。

 人間、誰しも思いつめる程の何かを抱えて生きていて、それを他人に悟らせないよう隠しているだろうに……そんなひねくれた考えが頭に浮かぶのは、私が苛々しているからだろうか?


「こーらっ、喋ってないで仕事しなさい。あのバーコードにどやされたくないでしょう?」


 まあ、お喋りもほどほどにしておかないと、流石に上司に目をつけられて無駄にガミガミと怒鳴られる。なら、切りの良い所で止めておくのが良いだろう。

 と、私はひそひそとお喋りしていた二人に小声で注意した。


「あ、カナミさん、ごめんなさーい」

「仕事に戻ります」


 二人は小声で謝罪をして、素直に仕事に戻って行った。まあ、私の冗談にくすりと笑って机に向かったので、悪感情は抱かれなかっただろう。後輩の面倒を見るのも、大変ではあるが楽しい面もある。

 実際、あの二人は入社以来から可愛がってきた子たちだ。わりと、この部署内では一番なつかれている自信がある。


 さて、私も仕事に戻るか……とやる気を出した時にちょうどお昼休みの合図チャイムが鳴る。まるで小学校みたいと思ったが、分かりやすいので私は好きだ。

 何せ、これであのバーコード――――上司の目から逃れる事ができるのだから。


「カナミさーん!一緒にご飯食べに行きませんか?」


 さっき、ひそひそと話していた子の一人が声をかけに来た。けれど、申し訳ない。この時間は彼との先約ならぬ、約束があるからだ。


「ごめんねー、今日は先約がいるの」


「えー?」


 露骨に残念そうに眉を寄せる後輩達、こういう所が可愛いのだが、いかんせん今回は本当に外せないのだ。


「また今度、美味しいところに連れてってあげるから、ね?」


「むぅ……はーい、絶対ですよ?」


「はいはい、じゃ、またね!」


 私は小さくまとめた荷物を持って、部署を後にする。向かうのは当然、彼のいる所だ――――なのだが、当然、身だしなみというのは気になるので、途中で化粧室に入って見た目を整えてから会いに行った。



会社を出て、少し歩いたところにある銅像。そこに彼は立っていた。


「お待たせ!待たせちゃってごめん!」


「いや、僕も今来たとこだよ」


 そう言って、手に持っていた本を閉じながら、彼は微笑んだ。ああ、この時の為に生きてる。そう実感した瞬間だった。


「? カナミさん?」


「っ…あ、ごめんなさい。なんでもないわ」


「ふふっ、そっか。じゃあ、行こうカナミさん」


 差し伸べられた手を受け取り、私も彼に微笑んだ。


「ええ、行きましょヨシヒコさん」



 この時の私は想像もしていなかった。まさか、あんな事が起こるなんて。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





 その日は運が悪かったのか、中々、仕事が終わらず残業をする羽目になった。急遽、上司が犯したミスの尻拭いを私がする事になったからだ。このお蔭で、今日の夜の予定をキャンセルする事になったのは、本当に腹立たしい。


(せっかくヨシヒコさんとの真夜中デートだったのに……最悪だわ)


 僅かな電灯とパソコンの画面の光だけが光源で、画面の端にびっしりと貼ってある付箋の数が私の残業分の仕事だ。

 まだまだ終わらない作業に辟易としながらも、何とか頑張れていたのは後輩の子たちが置いて行ってくれた差し入れと、ヨシヒコさんからの応援メッセージだろう。


 正直、彼からの応援メッセージが一番の活力になっている。さっさと終わらせて、彼に会いに行きたいものだ。まあ、会いに行けたとしても、そのまま寝てしまうかもしれないが。


 それから、三時間の格闘の末、ようやく納品まで持っていく事ができた。これで、必要最低限の仕事は終わらせた事になる。


「んー!――はぁ、やっと終わった……あのバーコード野郎、今度会ったら意地でも奢らせてやる」


 凝り固まった筋肉を、身体を伸ばす事でほぐしていく。バキバキと鳴る音が心地好いが、さすがに早く会社を出ないと終電を逃してしまう可能性がある。

 時間的に余裕があるとしても、さすがにホテルで泊まるなんて余計な出費は観念したい。


 さっさと荷物をまとめて、退勤カードを押して会社を後にする。手首に巻いた時計を見て、時間を確認した私は終電の時間が迫っている事に気づいて早歩きになった。


「やばいやばい……急がないと」


 コツコツと、自分の足音だけが響いている。途中、時計を確認したら終電に間に合いそうだと気づき、ホッと胸を撫で下ろした。

 そのまま、無言で道を歩いて行く。街灯の明かりに群がる羽虫と、未だに明かりがついている部屋を横目で見ながら、駅を目指す。


 コツコツ、コツコツ。足音だけが鳴り響く。


 足は着実に目的地に向かっていた。十字路を左に、人通りの少ない道を目指して歩いて行く。


 コツコツ、コツコツ。自分の足音だけが鳴り響く。


 周辺には誰もいない。いつのまにか住宅街にまで来ていたのか、明かりは街灯のみで、角の闇が異様に目立つ雰囲気だ。


 コツコツ、コツコツ…………ずるずる、ずるずる。


 コツコツ、コツコツ…………ずるずる、ずるずる。


 寒気がした。鳥肌が立ったような気がして、痒くもないのに腕を掻く。


 何かが、何かが自分の後ろにいる。何者かも分からず、私は恐怖から息を押し殺して足の歩みを早めた。


 コツコツコツ、コツコツコツ。


 殆ど、走っているようなものだった。それでも、気配は消えてくれない。必死で、無我夢中で走った。足が痛いのも我慢して走った。怖い、助けてと叫びたい。なのに、恐怖からか声が出ない。

 だから、せめて足を必死に動かした。走って、走って、走り続けた。


 もはや自分がどこを走っているのかも分からなくなって……息切れして、足を止めた時には、どこかの路地裏に私は立っていた。


「え……?どこ…どこよ、ここ……?」


 ばっと、後ろを振り向く。そこには誰もいない。冷静になって、周囲を見回してみたら、気配はどこにもいなかった。路地裏には人は文字通り自分しかいなくて。

 ほっと安堵して胸を撫で下ろした、その時―――。




「suxu―――――――」




 何か。まるで、息を吸うような鳴き声が聞こえた。不思議と耳に入って来る鳴き声だった。思わず聞き入ってしまい、動けなくなってしまう程に。

 だから私は気づけなかった。頭上から迫るの存在に。


 ずるずる、ずるずる。何かを引き摺るような羽音と共に、それは私に影を降ろした。


 ふるふると、本能的な恐怖から確認しなくてはいけないという使命感に駆られて、私は頭上を見上げてしまった。


「―――」


 咄嗟に、悲鳴も何もかも出なくなった。開いた口が塞がらず、ただ、それを見つめる事しか出来なかった。目を離すことすら、許されなかった。


「suxu―――――――」


 奇妙な鳴き声を上げて、それは私を見下ろした。闇の中、暗がりの中にいたら気づけなかっただろう黒い姿。

 細長い首、長い嘴。大きな翼と、細長い尾羽。シルエットは鳥というかネットの画像で見た鶴そのものだったけれど……それは、全てが違っていた。


 細長い、黒い糸。髪の毛の如くサラサラとした糸の束が、むりやり鶴の形を成している。そんな化物が、私を静かに見下ろしていた。


「あ、ああ……あ……」


 ようやく出てきたのは、情けない声。細長い糸のような細い束が、自分に迫って来るのが見える。けれど、動けない。金縛りにあったみたいに、身体だけは眠ったように、むしろ凍ったように動けなかった。


 化物は、無防備な私にほくそ笑んだのだろうか。糸の束は、真っすぐに私の首に伸びていく。そこで、私はこれまでの怪事件の正体と真犯人が、目の前のこいつなのだと悟った。


(このまま、私も殺されるんだろうな)


 うすぼんやりと浮かんだ言葉の次に出てきたのは、謝罪の言葉だった。


「ごめんなさい、ヨシヒコさん……私、あなたにもう会えない……」


 ああ、やっと、やっと幸せになれたと思ったのに。神様は残酷だ。欲しい物が手に入る寸前で、平然と取り上げる。

 これで、私はこの化物に殺される。そう思うと、何だか悲しくて寂しくて、涙が溢れ出てしまった。

 抵抗する気力も起きなくて、私はそのまま自分にゆっくりとせまる、怪物の黒い糸を眺めて―――――寸前で、意識を失った。


「ああ、危ない危ない。さすがに七人目ともなると、焦っちゃうな。危うく儀式が完遂されるところだった」


 誰……?薄れゆく意識のさなか、男か女の声が聞こえた気がしたけど……緊張の糸が切れたのか、それとも別の要因か。私はあっさりと意識を手放した。





・・・

・・・・・

・・・・・・・





「ととっ、危なかったー。ほんっっとに、危なかったー」


 意識を失い、地面に倒れそうになったカナミを受け止めた男性は、不敵な笑みを浮かべながら、黒い鳥の化物を見上げる。

 化物は、なぜか先ほどまでカナミに伸ばしていた糸を引っ込めて、忌々しそうに男を見据える。


「ははっ、やっぱり条件は意識のある女性に限るか。こうして外部から意識を切り離しさえすれば、お前は手が出せなくなる、いや………」


 びしり、と一指し指を男は化物に突き付けた。


「黄泉に連れて行く魂が引き摺り出せなくなる、が正しいのかな?」


 赤いスーツを身に纏い、白い手袋をしたこの男は、明らかに外国人の容姿をしていた。ハーフのようには見えないし、かといってクオーターという訳でもない。


「ああ、そうそう。私はこの国の出身ではないからね、黄泉の国に連れて行こうとしても無駄だよ」


 黒い鳥の化物は、男に伸ばしかけた糸をぴた、と止める。


「何せ、文化も信仰も技術体系も考え方も、根本から神秘の構成が何もかも違うからねぇ、やはり外部の領域からの来訪者たる異質な存在には、不確定要素が多く残るのかな?はてさて、興味が尽きないねぇ」


 男はそっとカナミを地面に寝かせた後、再び不敵な笑みを浮かべて両手を広げて会釈した。


「ともあれ、挨拶は大切だ。初めまして、異邦の術理によって生まれた魔の物よ。私はこの地より遥か彼方の辺境よりやって来た魔術師にして、神秘の蒐集者」


 懐に手を入れて、小さな小瓶を取り出す。小瓶の中には、これまた赤い…血のように真っ赤だが金属光沢のある液体が入っていた。

 それを手に構えた彼は、続きの名乗り声を上げる。


「〝緋柩〟の名を継いだ十七代目の異界番、ディエゴ・ブエル・カスケィドだ。短い間だけど、お見知りおきを?」


 黒い鳥は、その身を形作る糸、いや………髪の束を唸らせて眼前の人間を威嚇する。己の役割を全うする為、果たすべき使命を成し遂げる為。

 最後の犠牲者を手に入れる為、死力を尽くさんと魔術師を名乗る男に襲い掛かった。







「いやはや、意外と粘られたねぇ」


 しかし、結果は至極あっさりとしたものだった。自らの持ちえる全てを講じても相手には通じず、しかし、逆に自らの存在ごと捉えられる始末。彼の魔物の運が悪かったのは、この男に出会ってしまった事だろう。

 もう少し、もう少しで黄泉平坂への扉が開かれんとしたところを、偶然にも見つかってしまったのだから。


 ああ、口惜しい。そう思いながらも化物は眠りにつかされる。今後、もう暴れる事など無いようにと、小瓶の中で赤い結晶に捕らわれたまま、意識を手放すのだった。


「いやはや、誰が出した手紙かは知らないが、想いもよらぬ収穫があったものだね」


 大事そうに化物の封じ込められた小瓶を懐に仕舞って、男はほくほくと笑みを浮かべる。そして、ふと地面に寝かせた女性の顔を覗き込んだ。


「……貴女のお蔭で、貴女が最後の犠牲者になってくれたお蔭で、この呪いの鳥を捕らえる事ができましたよ、カナミさん」


 さら…と髪をひと撫でして、男は立ち上がる。


「この一か月、として貴女と共に過ごした日々は悪くなかったですよ?」


 そうして、男はその場を去っていく。路地裏の闇の中へと、溶けるように消えていった。





―――――翌日



 あの後、会社から出た後の記憶がない。確か、私は残業をしてまで会社に残って仕事を終わらせて…………ああ、そうだ。あの子たちとランチに行く約束をしてたんだっけ。

 次の日にちょうど皆で有給が取れたから、そのまま遊びに行こうと提案したんだわ。なんで忘れてたんだろう?

 それにしても――――


「何だか、すごく怖い夢を見たような………まあ、気のせいか」


 さて、早く支度しなくちゃ。あの子たちが待ってるんだから。




fin

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