BACKGROUND  殲


 世界一孤独な瞬の背中へ、僕は腕を伸ばした。瞬の前には誰もいない。何も存在しない。空しかない。

 空に溶けこもうとひたすら独走するその背中は、ただただ、一人になりたい人が発するオーラを身に纏っている。

 空で引きこもり・・・おまえもか!

 そうは、させんぞ瞬。

 もうちょっと、あとちょっとで、この腕が届く。そうしたら、瞬のヤツ、ムリにでも抱きついて、マシンから引っぺがしてやる。

 空の引きこもりから、こっちの世界に引き戻してやる!


 ヒューーーーーーー!


 瞬を捉えた手応えが、マシンから伝わってきたその時だ。

 瞬が、トップを譲るように塞いでいた前方から退いた。

 

 なに? なんなんだよ? おまえ!


 最初、それは、全景を占める小さな一つのドットに過ぎなかった。

 そのドットが、一瞬にして膨らみを帯びて形をなした時には、すでに遅い。

「アガ!」

 左脚を粉砕して、すでに種類のわからないぺちゃんこの鳥が、膝にめりこんでいる。

 凄まじい空気摩擦に焼夷部をゴリゴリ痛めつけられて、強烈な激痛に、意識が遠のく。

 痛みで霞んだ前方の瞬が、親指をたてて、再びインコースを塞いだ。

 

 意識がぶっ飛んでいる間にも、マシンはコーナーへ。

 なんとか、しねーと・・・

 ぐんと眼前に近づいたコーナーをもう、曲がりきることはできない。

 すかさず、Zリング。

 マシンは、弾丸鋭角にS字コーナーを弾き飛んで、なんとか瞬の背中に食いついた。

 Zリングは、ほとんどアンコンシャス。

 左膝に食い込んだ鳥を引っぺがして、後方に放ると、脚はぐにゃりとして、まるで意志が伝わらない。

 股関節の蝶番も破壊され、これじゃ舜のコーナーリングを真似れない。

「マジ・・・いてえー、ゆ、湯川、意識が・・・」

「青矢! しっかりしろ!」

「つ、ばき?」

 猛烈な苦痛に歪んだ精神。

 痛みに屈して薄れゆく意識と共に失速してゆく。

 なんとかマシンにしがみつきながら、震える椿の声を聞いた。

 ぐいぐい瞬との差が開いている。瞬は青い空と同化してゆく。

 そうか、瞬、おまえ、空になりたかったのか。

 その体が、命が、限界が、邪魔なんか?


 白目むきながら、リアルな瞬の実像に迫っている。後続のスピードの修羅たちも迫っている。

 今度、アレらに呑まれたら無事出てはこられまい。ひき殺してやらんとする殺気が背中を刺してくる。

 


「どうした! 青矢! 回転扉から、なんのために出てきた? 弟さんとお母さんのためじゃかったの!」


『実況』これは、不運なハプニングだ! あのまま行けば、確実に守護天使ミカエルが、スカイアローを打ち抜くタイミングで、なんと自然的飛翔体、鳥と衝突するアクシデントに見舞われてしまいました。おーっと! しかも、今入ってきた情報によりますと、守護天使ミカエル、左足を粉砕骨折、これは重症です。まさに手追いの状態で、レースを続行しているとのこと。これは危険ですねえ、クマちゃん、この状況、どう思いますか?


う、うーん、いのちを、たいせつに、なのらー!


私もそう思います。プロ高の理念にもある通り、テクノロジーのための人ではありません。最初に人ありきのテクノロジーであります。ここは、守護天使ミカエル、勇退を示すのも、一つの選択枝ですねー、クマちゃん。


せんたくする、なら、いまなのらー!



「青矢・・・そんなに痛いの?」

 椿の心配する声が、この爆風の中において、優しい風になって包み込む。

 みんなのいる、平凡な高校生活。

 その中にあるふざけた冗談。

 光差す学舎。


 ああ、もどりてえ。

 こんな魔空間から戻って、椿のご馳走。食いてえ。

 もう、マシンを光らすの、痛くてムリ。

 母さんの膝枕で眠りたい。

 このまんま、子守唄に包まれて。

 気持ちよく、眠ってしまいたい。

 そうだ。眠っちゃおう。

 目蓋が降りて、意識のシャッターが閉店ガラガラ。


 眩い木漏れ日を全身に浴びて、ケヤキの木をよじ登ってゆく。

「瞬! それ以上行くな!」

 瞬が突然、母さんの制止を振り切って、制服のまま木登りし始めた。

「瞬! 母さんが心配してる」

 太陽が眩しくて、枝を折りながら、葉を振り落とす音しか聞こえてこない。瞬が枝かきわけながら、大木をゆすってどんどん登ってゆく。

「あぶない!」

 ぼくは、枝にしがみつきながら、腰砕けになって、瞬を追いかけるのが精いっぱい。

 ただひたすら、地面で心配そうに瞬を見守る母さんが可哀想で、登りたくもないケヤキに上っている。

「どうしたの? 兄さん」

 遥か上の木影から、瞬の声がする。

「どうもこうもない! おまえを連れ戻せって、母さんが下で心配してる」

「地べたの人はほっといて、兄さんもおいでよ」

「おいでよ、言われてもさ」

 真下眼下の地面を見て震え上がる。

 あそこに叩きつけられたら?

「母さんて、みじめだよな。いっつも、いっつも、あんな真下で、つまんなくないのかな」

「それを言うな!」

 怒り心頭、バキバキ枝を折りながら、瞬を目指して、ケヤキをよじ登ってゆく。

 

 いつも、いつも、いつも、瞬っばかり、目にしかない母さん。

 ぼくのことなど、視界にない母さん。


「誰のために、体張ってると思ってんだ!」

 どうしても、枝から枝を伝えないポイントで、自分の体を持て余しながら叫んだ。

「兄さん、オレさ。空になりたくて。この木、空に上る梯子に見えない?」

「だとしたら、おまえ、とんでもないボケかましてんぞ。何本、こんな木積み重ねても、空になんか辿りつけない。とっとと下りて、飛行機に乗れ」

「それじゃ、ダメなんだ。囲われてちゃ、空にはなれないんだ」

「意味わかんねー。とにかく、下りてこい。母さんが心配してる、もう気がすんだろ?」

「そうだね」

 ボキ!ボキ!ボキ!ボキ!

 ケヤキの天辺から、枝を折りつつ、人影が現れた。

「瞬?」が、落ちてくる!

 すかさず、両腕を広げて落下する瞬を、キャッチ。

 重たい重力を纏った瞬を、抱えきれず、ぼくもろとも落下してゆく。

 地上で、瞬が心配でたまらない母さんの絶叫が響き渡る。火事場の馬鹿力が湧いて、両膝裏を最後の枝に引っ掛けた。

 中空でぶらーん、ぶらーん。


「やっぱり、兄さんなら、受けて止めてくれると思ったよ」

 腕の中で瞬が、ニコリとしながら言った。

 どうしようもなく、めちゃくちゃで、かわいいぼくの弟。

「瞬!」

 母さんが泣きながら、腕を伸ばす。

「こんなの、つまらなくない? 兄さんも、いっしょに行こうよ。あの空の世界に。兄さんなら、行けるよ。もしかしたら、オレなんかより、ずっと高く」

 瞬はくるりと宙返りして、地面に下り立った。

 心配でにじり寄る母さんをするりとよけて、屋敷へ戻ってゆく。そんな母さんの脇にドサリ!と落下。

「瞬! 怪我はないの?」

 瞬を追いかけて、屋敷へ消える母さんを見つつ、寝っ転がって空を見上げた。

「オレだって、解放されたいよ。こんな泥臭い地上から離れて、自由な空へ。瞬、おまえみたいに」

「兄さん! おいでよ!」

 今度は、煙突の上から無邪気に手を振る瞬。屋根を転がり落ちて、またまたぼくがキャッチ。下敷きのぺちゃんこに。


「瞬!」

「怒らないでよ、兄さん。ただ、そっから、出てきてほしくて」

「うんうん、わかったよ」

 わかったから、瞬、死ぬような真似はしないでくれ、母さんの大切な瞬、ぼくのかわいい弟・・・・・・抱きしめてあげるから。



 前方を煙のつむじが巻いている。

 転倒で燃え上がったバイクから、硝煙に似た炎が上がっている。

 ぼくはまだ、転倒していない。

 なんとか、マシンにしがみつきながら走行を続けている。


 ここは、どこだろう?

 



 














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