BACKGROUND  入

 体育館から出て、陽光を浴びると、かなり久しぶりに現実へ戻った気がする。そんな風に、椿の後ろを金魚のフンになってくっつきながら思う。

 金魚のフンか。それしかできないっしょ、この状況。

「あれ?」

 つるっと流れる液体を顔に感じて、鼻水を拭いた。それとも鼻血か?

「青矢、泣いてんの?」

 椿が振り向きながら、子供を守る母性を顕に心配している。

「へ? なんでオレが泣くん?」

 椿に言われて初めて気づく。

 頰を大粒の涙がポロポロ流れている。

「なんじゃこりゃ!」

「回転扉の後遺症。みんな大好きさんが言ってた通りね。ホントに青矢、回転扉から出てきたんだ」

「後遺症?」

「そう。見てごらん」

 椿が指差す方向を見ると、校舎にかかった垂れ幕に、遊園地の大観覧車が見えて、ゆっくり回転している。

 ぼくは瞬間沸騰機みたいに、その場で泣き崩れた。

「うんうん。わかるよ。あそこに自ら入って、あそこから自ら出てきたんだよね?」

 椿が屈んで、ぼくの頭を抱き寄せた。

「ホントは、オレ、自信がないんだ。Pro科に入れば、なんとかしてくれるって、人頼みでさ。でも、それは違う。これは、オレの問題だから、オレがなんとかしないと。でも、急に心細くなっちった」

「わたしは、あそこには入れないな。わたしを置いて遊びにいく母親が、地獄の業火で焼かれてるの。世界中の子供をお腹いっぱい、ポッコリ笑顔にさせるとか言っておきながら、そんな願望を心の底で描いてる。いまだに割り切れない怒りに、取り憑かれてるの、わたし」

「取り憑かれてる、か。そうだな。オレも取り憑かれてんだよ。母さんとか、弟とか、父さんとか。だってそられが、オレにとっての火だもん。燃え盛る地獄の業火で、きれいさっぱり焼き尽くしちまいたいよ。でも、なんだろう? みんな大好きさんて、オレと同じように、あの回転扉から出た直後に、そのハンドルネームつけたんだろ?」

「そ、そういうことになるわね」

 椿の顔がふと動揺して見えた。

「そんでも、やっぱ! みんな大好き!って、ことなんかな?」

「・・・・・・・」

「みんな焼き尽くして! みんな八つ裂きにして! みんな滅ぼしてやりたい! それでもやっぱり、みんな大好き!って、覚悟を決めたから、回転扉から出られたんじゃ?」

「うん。青矢がそう言うなら、そうかもね」

 椿が寂しそうな横顔を見せて、立ち上がった。

 その脇を、椿と同じPro科生としてぼくも立ち上がる。

「おまえ、優しいよ。怒りに呑まれないで、よくがんばってる」

「飢えた子供たちを、利用してね」


 椿の真っ赤なむき出し心臓エンブレムを思い切り掴んで言った。

「おまえ、気づいてないな。本当に人を助けられる人間は、助けられたことがある人間てこと。どうにもならない自分を、自分じゃどうにもできない現実を、ただ差し伸べられた救いの手をつかんで、地獄から引出してもらった。助けてばかりじゃ、完全じゃねえ。やっぱり助けられてないと」

「う、うん」

 椿が頰を涙で濡らして頷いた。そして、打ち震えている。

「この真っ赤なむき出し心臓エンブレムに賭けて、進もうぜ。この地獄を!」

 さらに、エンブレムに力を込めて言った。

「だから・・・・・・」

「だから! がんばろうぜ! モミモミ」

「いつまで、人の胸! 触ってんじゃねーぞ、コラ!」

 また、縞柄のパンツ垣間見て、椿のジャンピングニー!

「あーあ、ホント、回転扉から出てきたのか? 青矢。実は、いまだに回ってるんじゃないの?」

 椿はクスッと笑って、前を歩き出した。

「ち、チップは、払わねーぞ」

 ぼくは椿のジャンピングニーで脳震盪を起こしたまま、その見事な尻に敷かれていった。


 

 椿に案内されたPro科は、意外にも普通科に隣接した、これもまたありふれた普通の校舎だ。

「なんだよ、Pro科、いたってふつうじゃんか」

「それが、いいんじゃない」

「そういうもん?」

「そういうものです」

「この校舎って、Pro科建築家の藤堂君が設計して建ててるの。今日はこんなだけど、日替わりで変わるから」

「伊勢神宮か!」

「あれは、二十年ごとでしょ」

「たく、どんな魔術使ってんだよ。で、その呆れた眷属ども、Pro科生って、何人おるん?」

「それは、公開されていない。Pro科の人材は、世界情勢を左右するから。クラスも決まってないし。決まった教室も、登校日もないし。あと担任も一応いるけど」

「え!? やっぱ先生いんの? オレ苦手なんだよな。せんせい」

「だいじょうぶだよ。渡辺先生は、ノーベル物理学賞の受賞者で、Pro科の担任受け持つために、富士山くんの前で賞状燃やして、ハンマーでアルフレッド・ノーベルのメダルが金箔になるぐらい、叩きまくったらしいよ」

「踏み絵かよ!」

 聞けば聞くほど、Pro科恐るべし・・・

 いったい、どんな眷属どもがひしめきあって、普通科あがりのぼくちんを、鍾乳石のような牙と舌なめずりして待ち構えているのか?

「ガラガラ」

 一階ど真ん中のクラス、心臓エンブレムが揺れるほど、動悸を高鳴らせて入ってゆく。

 がらんとして、人っ子一人いない教室内を見渡す。

「おい、全員、授業ふけって、マージャンかよ?」


「あ、これ、Pro科の画家ピカドンの作品。最近は液晶をペイント化してカンバスに描くのに、ハマってるんだって」

 なんだこれは! 目の前が急にグランドキャニオンになったり、海底になったり、白亜紀になったり。

「め、目がまわる」

 椿が襲いくるティラノザウルスの大口の中へ入った。

 すっぽり、その胃袋へ収まってしまうと、目の前にエジプトのスフィンクスが。

「朝は四脚、昼は二脚、夜は三脚で歩くものは何か?」

 こ、これは、スフィンクスの謎々。答えられなかった人々を食らうとか? 

 だがしかし! 

 めっちゃ、かんたーん。

「乳児期は四つん這い、成長すれば二足歩行、年食えば杖ついて二本足にもう一本杖を足して歩く、それは人間、人間だよん。クイズ番組でやってた」

「タコ!」

「いや! 人間でしょ!」

「馬鹿!」

「どういうこと?」

「うんこ野郎」

「それは、言い過ぎだろ?」

 別の声がスフィンクスから。

「あの、なんなんなすか?」

 戸惑って尋ねた。

「答えは、おまえだ。なんかおもしろいこと言わないと、入れてやんない!」

「大人気ないな。初日から、あんまりいじるなよ。ピカドン」

 また、別の声が・・・

「そうだよ~、デイトレーダーの~宮地くんみたいに〜来なくなっちゃうよ~」

「あの、宮地、ここにいますけど」

「あ、ごめんなさ~い。ぜ〜んぜん、気づきませんでした~」

「謝りながら、トドメさすな。天野」

 急にスフィンクスから、いろいろな声がして騒々しくなる。



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