BACKGROUND 脱
エメラルドの結婚指輪を受け取り、もう流れに任せることにして、ルチアの薬指へ嵌めようとした。
「その前に、ルチアさん。この遊園地のルール、説明しました?」
ぷいとルチアは、そっぽを向いてメリーゴーランドの方へ行ってしまった。
「あは、まだ、説明がなかったようですね。ミカエルさん?」
「まあ」
ぼくらから距離をとって、つまらなそうにメリーゴーランドを見つめている。そんなルチアの背中が凍りつくように冷たく感じる。
「二人は結婚を望まれている? それで、よろしいですか?」
「・・・・・・」
「いえいえ、なんにも、否定も非難もしてませんから。ただの確認と説明です。指輪を嵌める自由は、ミカエルさんにあります。ただ、ごらんの通り、まだ遊園地には誰もいません。どうしてだと、お思います?」
「わからない」
「それは、まだ、お二方が森の住人だから、遊園地の住人と接点が持てない。なにせ、森の住人なのですから」
二度も森の住人を強調するジョナサンが、やけに気になる。
「森の住人をやめるためには、ネガイゴトの成就が必須です。ルチアさんのネガイゴトは、ミカエルさんとの結婚なんです。いいですね? ここからが大事なポイントですよ。注意して聞いてくださいね」
「その前にジョナサン、どうして君は、ぼくらと接点が持てる?」
「それは、ぼくがカモメのジョナサンだからです。水先案内人、とでも呼べばよろしいかな? カモメのジョナサン、まだ、忘れていないはずです。ミカエルさん」
こちらと、あちら、あちらと、こちら・・・あちらはあちら、こちらはこちら。
思考回路が激しく摩耗して、今にもショートを起こしそうだ。
「説明して、よろしいかな?」
「ルチアさんと晴れて結婚、ネガイゴトが成就されれば、お二人は遊園地の住人です。それは完全無欠の存在になることを意味します。そうにでもならなければ、遊園地の永続的な平和は維持されませんから。ただし、その場合、ミカエルさんのネガイゴトは叶いません。以上です」
ジョナサンはそれだけ言い残すと、踵を返して去っていった。
ぼくのネガイゴト? そんなのルチアと・・・いや、待てよ。
ぼくのネガイゴト、それは。
「ミカ兄、コーヒーカップに乗らない?」
見ると、ルチアがエメラルドと全く同じ、緑に輝くドレスを身にまとっている。
「これ、結婚式の衣装なの、ダメかしら?」
「そんなことないよ。君は綺麗だ。ドレスなんか着ていなくても。でもなんだろう? 今のほうがもっと綺麗だ」
言葉通り、結婚の話しが出てから、ルチアは更にその美貌を増している。
リアルタイムで、画家が天上の絵画をどんどん完成させてゆく。そんな工程を眺めているようだ。
もし、ルチアのな美が完成してしまったら、ぼくはもう、ルチアに抗うことができない。おそらくルチアの奴隷になるだろう。
ルチアの美は、ぼくとの結婚で完成するのだ。
かってに足が、天上美の輝きにつられて、ルチアの乗るコーヒーカップへ引き込まれた。
「ミカ兄、どうして、そんな寂しい目をしているの?」
「寂しいと言うか、なんと言うか」
ルチアは左手を差し出して言った。
「この薬指に、ミカ兄が指輪を嵌めてくれるだけ。そしたら、わたしたち、完全に結ばれるんだよ」
「パズルで言うところの、最後のワンピース?」
「そう、わたしと完全に一つになる。完全な世界に空いた、それが最後のワンピース。それを自分で嵌めることは、できないの。ミカ兄じゃないと、ダメなの」
ルチアが瞳に涙を湛えながら、痛々しく訴えた。
ルチア、どうかそんな顔をしないでくれ。取り払ってあげたいよ。君を苦しめるものなら、なんでも、どんなことをしてでも。
ルチアが高貴に輝く白い指を差し出すと、ぼくは握りしめた指輪をつまんで、その指へ向けた。
「母さんは? 母さんのお葬式は、どうなってるの?」
ふと思って、指輪が宙に止まった。
「母さんのお葬式には、結婚したら出られないよ」
「どうして?」
「だってわたしたち、遊園地の住人になるんだし。森にはもう、戻れないよ」
「は、話しがちがくない?」
「このまま、森の住人として戻れば、母さんのお葬式に参列できるよ。ただし、森の住人として」
ルチアは、世界一つまらない話しをする素振りで、ゆっくり回転するコーヒーカップから降りてどこかへ行ってしまいそうだ。
神の怒りに触れたように恐ろしい。ぼくには遊園地の住人になるしか選択肢はないのだろうか。
観覧車はあいも変わらず、ゆっくり回転し続けている。
「母さんがね、あんな風になってしまったのって、わたしのネガイゴト、叶えるためなの」
「そんな風に言ってたよね」
回転するコーヒーカップで、母さんの死に顔を思い浮かべると、遊園地のどこかしこに、母さんの顔が投影された。
母さん?
その中に、母さんの顔が思い起こされた。ぼくの妃の母さんの顔が。
察したルチアが、指輪を握るぼくの手を鷲掴んでいる。
「ルチア、降りよう」
「降りたとして、どこで指輪を嵌めてくれるの?」
「森で、母さんの葬儀に参列してから」
「それはできない。わたしのネガイゴトじゃないから」
「母さん、生き返るんじゃないかって気がするんだ。ぼくが森に戻れば」
「お願いだから、やめて。母さんには、わたしのネガイゴト、叶えるために死んでもらったの」
まるで、ぼくの思念で動いていたかのように、コーヒーカップが止まった。
「母さんのところに行かないと」
「死んでる母さんのところに行って、どうするの?」
「生き返らせてやるんだよ」
「わたしを置いて? あんな死人を? ミカ兄になにもしてくれない死人を、生き返らせて、またイタぶるだけの母さんと、ミカ兄を愛するわたしと、どっちを選ぶ?」
内側から引き裂かれるほど巨大な思いが込み上げてくる。
ルチアを、この世界一可愛い妹を、ずっと抱きしめていてやりたい。
一人ぼっちにさせたくない。置いていきたくない。
そんな激情に駆られながら、ぼくは一人遊園地を走り抜けて、森へと向かっていった。
母さん! 母さん!
開けた遊園地から暗い森へ一人迷い込んだ。
後ろの大観覧車が、どんどん小さくなってゆく。
ルチアからどんどん離れてゆく。
とても淋しい。とても、とても。
言葉では言い尽くせない、寂寥感に苛まれる。ハラワタを裂かれて、引きずっているように痛い。
足どりはトラバサミで挟まれたように重く、体中を嫌な汗が覆ってゆく。
いやだ。戻りたくない。
あんな醜くて、辛い世界になんか。
それでも、トラバサミを引きずりながら進んだ、とにかく進むしかなかった。
母さん、母さん、ぼくの母さん!
森の闇は更に深みを増し、いろいろな悪さをしてくる。
「戻るのか? 醜く不完全な世界に、完全なルチアを置いて」
オークの木々が、呪われた樹木のシワを寄せて、迫ってくる。
「戻るんだ。戻らなきゃならないんだ」
「この先には、闇と恐怖、そして絶望しか待っていないぞ、なぜなら、それがおまえのネガイゴトだから」
「それでも、行かないと、進まないと」
目の前が真っ暗になって意識がショートした。
辛いよ。ルチア、ずっと君のそば、いてやりたいよ。
「母さん! 母さん!」
「よくぞ、回転扉から戻ってこられました」
暗黒と化した視界に、オーロラの輝きが照らし出す。
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