BACKGROUND 園
朝の陽光で目を覚ますと、厚手のカーテンから光が漏れている。
ブラウンのカーテンを除けて、窓の外を眺めると、森は朝日に輝いた緑の宝石箱になって、この世界で最初の一日を祝福している。
はたして、今日が最初の一日なのかもわからなくなる。
ずっと昔から、ここに住んでいた気もするし、足を踏み入れた瞬間から、ここが我が家みたいな気がしていた。
時間や歳月なんて、つまらないものに感じられて仕方ない。
窓のカーテンを開けて、起き上がろうとすると、隣でふっさりとした感触が頬をくすぐって驚いた。
「ルチア!」
脇でルチアが眠っている。しかも、胸元が見える肌着から胸の谷間を垣間見せて、無防備に転がっている。
「ミカ兄」
寝ぼけているのか、起きているのか定かでない声音で、首をハグされて抱き寄せられる。
「ルチア、目を覚ますんだ」
ぼくはルチアを諭すように言った。ちょっとだらしがない。こんなのルチアらしくない。
「ごめんなさい、ミカ兄」
ルチアはぼくの首に巻き付けた腕をほどきながら謝った。
「いいんだよ。でも、なんでこんなところで?」
「ここ、わたしのベッドなの。お家で眠るところって、お母さんのベッドとわたしのベッドしかないから」
「言ってくれたら、床で眠ったのに」
「だって、ミカ兄、ぐっすりだったんだもん。子供みたいに、かわいかったんだもん」
「母さんの子供に戻っちゃったのかもね。一夜だけの」
淋しく母さんの寝床を見ると、そこはもぬけの殻だった。
「母さんがいない!」
「慌てないでミカ兄、今朝早く、母さんはお葬式のために連れて行ってもらったの」
「いったい誰に?」
「森の住人に」
「森の住人?」
「そう、わたしと母さんは遊園地に住まない、森の住人」
「他にそう言う人たちが、いるってこと?」
「いるよ。遊園地みたいにみんなで集まって暮らしていないけど、森のあちこちで
、お互い姿を隠して暮らしているの」
「そうなんだ。ルチアはずっと、森で暮らしてきたの?」
「だって、お母さんを一人にしておけないから。でも、お母さんは亡くなった。今日から遊園地で暮らすことができる。わたしの夢だったの」
一種の世捨て人だろうか?
とにかくルチアが、遊園地で暮らしたがっていることは理解した。
そして、森だろうが墓場だろうが、ルチアのいる場所がぼくの居場所だ。
「遊園地には、いつ引っ越す?」
「ミカ兄しだいかな?」
「ぼくしだい?」
ルチアは微笑みながらベッドを下り立った。一枚布を巻き付けただけのような姿に思わず目をそむける。
「遊園地に出かけよう」
ルチアは椅子に畳んだ衣服に着替えながら言った。
「母さんの葬儀は?」
「わたしたちは遊園地に行ってから参列することになってる。それとも、ミカ兄には、ミカ兄の考えがあるの?」
ルチアからそう言われると、とてもさびさしい。まるで、自分だけ違う生き物のような気がしてくる。この世界に一匹しかいない。
「ルチアと同じでいいよ」
「よかった。じゃ、ちょっと、遅めの朝食を食べたら、遊園地へでかけましょ」
「そうだね。朝食って、なんなの?」
「ないしょ」
それから、ぼくらは遅めの朝食を食べ、昨日来た夜の道を、今朝は木漏れ日を浴びながら、遊園地へ向かう。
森を歩いていると、母さんがどうして森に住まねばならなかったのか、わかる気がする。森は傷ついた心を、優しくくるんで、覆ってくれる。
ひらけた遊園地は楽しい場所だ。けれど、そこに居場所を失ってしまう気持ちも理解できる。遊園地が楽しくなくなったら、遊園地に住む意味なんてないだろうから。
「ルチアはどうして、遊園地で暮らしたいの?」
「結婚できるから」
心と体を稲妻が貫いて、真っ二つに引き裂かれる衝撃。
「どういうこと?」
ルチアは黙ったまま、昨日母さんの花を摘んだお花畑を歩いている。
恐ろしいほどの沈黙が流れると、どんな爆音よりも恐ろしい。
「ミカ兄と、わたしで、結婚式を挙げるの。ダメ?」
ホッと一安心。
しかし、それって? どういうこと?
口に異物を突っ込まれたように言葉が出てこない。
「ダメ?」
ルチアは相も変わらず、愛くるしい笑みを浮かべて、まるで罪がない。
「将来は、お父さんのお嫁さんになる、みたいな?」
「将来じゃなく、今日、ミカ兄のお嫁さんになるの。ダメ?」
「ダメもなにも、それは禁じられている」
「それは、区別のある世界の話しでしょ?」
「それは・・・区別のある、世界の話し、だけれども」
語尾が近づくほど、弱まる声で返答するぼくは、自分でも、いったい全体どうしたいのかわからない。
「とにかく、遊園地に行きましょう」
ルチアだけ小走りに遊園地へ急いだ。ぼくは取り残されたくなくて、ルチアの影をひたすら追いかける。
遠くから止まって見えた大きな観覧車が、ここからだと確かに動いているのがわかる。
不思議と観覧車を構成するそれぞれのカゴは、どれも空っぽ。
遊園地のシンボルとして、そこだけは人の出入りを許さない。そんな聖域に観覧車を感じて、遊園地の平和と秩序を今日も保って見える。
「どうしたのですか?」
いきなり目の前で、声をかけられて視界を塞がれる。
化け物に見えたが、よく見るとそれがマスコットであることに気がついた。
「ぼくは、ジョナサン。かもめのジョナサンだよ」
何がやりたいのわからないが、かなり太ったカモメで、これじゃ低空飛行もできまい。
「ルチアさん、ミカエルさん、ようこそ、遊園地へ」
「ありがとう、ジョナサン」
ルチアはこの日を待望した笑顔で、ジョナサンの挨拶に答えた。
「ミカエルさん、これが、結婚指輪ですよ」
ジョナサンがふさふさの白い翼を差し出すと、その上に緑に輝く指輪が光っている。
「これって?」
「そう、ミカ兄が昨日拾ってくれた石を磨いてもらったの。素敵じゃない?」
「こんな宝石だったんだ」
「遊園地は宝石箱みたいなものですから。黄金だって、普通に転がっていますよ」
ジョナサンが得意気に言った。
「これは?」
「エメラルドです。緑に輝くルチアさんに、とてもよく似合う。ルチアさんは、いずれ遊園地の妃になられるお方ですから」
「遊園地の妃?」
「遊園地で、最も美しく尊いお方に与えられる称号。その方にミカエルさんはふさわしく思います」
だって、ぼくは兄だから・・・
言いかけて、喉元で止めた。心のどこかでこう思うようになった。
もう、流れに身を任せてしまえ。
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