BACKGROUND  遊

 ホスピタル最奥の回転扉から出たぼくは、遊園地に立っている。

 どこかで見たことある景色。 

 そうだ。これは、プロ高の門から見えた、あの日。ネガイゴトをランプに込めた時からずっと、遊園地の風景を見てきたように思う。

 

 巨大な観覧車が、遊園地の時を刻む時計のように、ゆっくり回転している。

 回転扉が、この世の辛苦を描いて回っているのとは違い、観覧車の回転は完全に均整のとれた平和を象徴している。 

 そんな遊園地に、父さんが立っている。

 父さんは、左手におもちゃのダーツボードがくっついたグローブをはめている。それが、滑稽で、なんともおもしろい。


 自然と笑みがこぼれて、変な父さんを、遠目に見ている。

「ミカエル!」

 父さんがプールぐらい離れた向こうから叫ぶと、手を振りかぶって、ダーツを放った。

 びっくりしたぼくの手にも、父さんと同じダーツボードがくっついている。

 いきなり飛んでくるダーツから、ダーツボードで顔を守ると「パツン」

 ダーツが刺さる?音がして、手にくっついたボードを見る。

 先端が吸盤のダーツが張り付いていて、思わず笑い転げる。


「ミカエル、来い!」

 父さんは笑いながら挑発してきた。だから、ぼくも笑いながら吸盤ダーツを父さん目がけて放る。

「パツン」父さんは笑顔でキャッチ。

 ぼくは構え直して「来いよ!父さん」

「パツン」すぐに父さんの吸盤ダーツが返ってくる。それもボードのど真ん中に。

 父さんは、自分のボードの真ん中を指差し、にっこりしながら、挑発してくる。

「行くよ!父さん」

 オモチャのダーツで真ん中狙って、パツンパツン投げ合っては、お互い点数を付け合って、自分が上だと主張し合う。

 百回ぐらい放っただろうか? 

 そんなゲームに熱中していたら、喉の乾きを覚えた、その時だ。


「お兄ちゃん」

 飛んできた吸盤ダーツが受け止められず、オデコに張り付いた。

「アハハ!」

 向こうで笑い転げている父さんに対し、ぼくの胸は高鳴り、打ち震えている。

 お兄ちゃん・・・?

「ミカエルお兄ちゃん。冷たいレモネード、飲もう」

 高鳴る胸、熱い高揚感。

 背中を太陽で照らされている。そんな暖かみある声に、たまらず振り返った。

 溢れる涙でぼやけた視界に、柔らかいソバージュがかった黒髪の少女が、真っ白い肌を艶やかに光らせている。


「ルチア?」

 微笑を含んだ薔薇の唇が、遠慮がちに言葉を発した。

「覚えていて、くれた?」

 グレーの瞳が、ニッコリ笑いかける。

「思わない日は、なかったよ」 

「やっと、会えた。ミカエルお兄ちゃん」

 振り返ると、サングラスをかけた父さんが、親指をたてて木陰に消えてゆく。

 すると、ルチアが並んで、ぼくの脇腹へスッとその白く細い腕を差し込み、ぼくと腕を組んだ。

「ルチア!」

 16年間の空白が激情に埋まると、感極まって、ルチアの小さな頭を抱き寄せる。

 ぼくの妹。世界でたった一人、純血の兄妹。

 この日を、どれだけ夢見たことだろう。

「ミカ兄って、呼んでもいい?」

 グレーの瞳を、涙で濡らしたルチアが、おそるおそる尋ねる。

「もちろんだとも、ルチア」

「はい、レモネード」

 冷たい瓶に入ったレモネードで、乾いた喉を潤して思った。

 ぼくは生涯この味を忘れない。


 ルチアが小さな歩を進めて、ぼくらは歩き始めた。

 すると、今まで夢みたいにボンヤリしていた遊園地が鮮明になり、その輪郭を顕にした。

 そんなに大きな遊園地じゃない。子供が楽しめる程度のジェットコースター、コーヒーカップ、回転する乗り物の数々、お化け屋敷。

 

 優しくそよぐ風、太い幹の茂った樹幹に潜む鳥たちの声、遠くで揺れる花畑の香りを優しい風がはこんでくる。

 ここは、なに一つ心配する必要のない、平和な居場所。

 

 ただし、平和だけあっても仕方ない。

 例え戦場になっても、ルチアが隣にいることがなにより大切で、かけがえがない。

 ここは、連れ子で窒息してまいそうな継母の家じゃない。

 そして、ぼくを無条件に愛してくれる妹ルチアが隣にいる。

 ここには自由な空気がある。

 いったい何を恐れる必要があるだろうか?

 ここでは、不安と恐れを見つけ出すことのほうが難しい。

 恐れと不安の元凶となる痛み。それが、どこにも見当たらない。今あるのは、ルチアの甘い黒髪の香りだけ。

 ここは、過ぎ去ってほしくない時間が留まり続ける場所。

 ぼくは本来のミカエルに戻っていた。


 継母の不安を抱えるミカエルじゃない。不安と恐怖の根源になる痛みが、棘みたいにスッと抜けて、身も心も解放されている。

「ミカ兄。なにか、心配事でも?」

「もう心配なんて、する必要ないよね?」

「うん。なんにも。だって、わたしたち一緒になれたんだから」

 ルチアが、長年突き刺さっていたトゲを抜いてくれた。もしルチアがいてくれなかったら、逆に、継母の痛みがなくて不安になっていたであろう。不自然な姿をしていた自分が見えてくる。

 けれど、妹ルチアのおかげで、抜かれたトゲ跡から夥しい血が流れるかわりに、涙が溢れた。

 そして長年固まっていた心が一気に氷解、ぼくは青矢からルチアの兄ミカエルに戻っていた。


「ミカ兄も、がんばってんだよね」

 ハッとしてルチアを見やった。

「母さんは?」

 ずっと、心のどこかにあった。

 心のどこかを、嵐だろうが地震だろうが、いつも実の母さんを差し示す羅針盤が今もなおぼくを引っ張っている。

 ルチアと巡り合った今、その埃被った羅針盤が露わになり、心の底に浮き彫られた本当の母さんが眼前に迫る。

 母さん!

 思わず駆け出しそうに。

「待って、ミカ兄。また、置いてっちゃうの?」

 ルチアに腕を掴まれて、我に返った。

「そうじゃないんだ。母さんが、母さん、どうしてるんだろう?って」

「それなら、急ぐ必要ない」

 ルチアがきっぱり言ったのに、妙な不安を覚えた。

「なんで、急ぐ必要ないの?」

「お母さんは、病気だから」

「病気?」

「そう、お父さんとミカ兄がいなくなってからずっと。その前に、お母さんにお花摘んでかない?」


 いつの間にか、ぼくらは遊園地の中にある、お花畑についている。

「母さんの好きな花、なんだと思う」

 ルチアは正午の優しい日差しの中、風に揺れる純白の花を嗅いで、とびきりの笑顔でぼくを手招きしている。

 


 


 

 

 

 

 










 

 

 

 

 

 

 

 















 

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