BACKGROUND  瞬

 無名時代の若き白山しろやま恭四郎は、自らを工業デザイナーと名乗り、欧州に単身乗り込んだ。

 誰にも負けない、レースへの情熱を持っていた。

 情熱だけじゃスピードの覇者になれなかった。

 誰よりマシンに精通する天才メカニックだった。

 恭四郎のマシンイメージに、100%近づくことができなかった。

 また、そのマシン性能を100%引き出すレーサーに巡り合えなかった。


 若くして、欧州レース界で頭角を現した。

 あらゆる可能性を兼ね備えた工業デザイナー。

 名門レーシングチームの監督に大抜擢された。スピードの本場で、スピードの修羅たちを従えた。

 スピードの修羅の世界を制す覇者となるべく、果てなきレースを生きてきた。

 

 完全無欠の可能性を秘めた白山恭四郎だった。

 それが欧州生活10年目にして、隙間ゲージじゃ測れないズレが生じ始めた。


 全てが、可能性にすぎない。これじゃ、幻想にすぎない。

 

 海を越え、新時代のレースをデザインするため孤軍奮闘する恭四郎を、一人のイギリス人女性が猛烈に愛した。

 当初こそ、スピードの覇者たる自分だけを欲した。それ以外は、遊びの世界。

 けど、女性の猛烈な情熱が、恭四郎の隙間ゲージじゃ測れないズレに、なだれこんだ。

 ほどなくして、二人は相思相愛となった。

 サーキットで挙式をあげ、ハネムーンにレース戦線を転戦しながら、やがて二人の子供をもうけた。


 最初は男の子、次は年子の娘だった。

 恭四郎は、男の子が生まれてすぐ、次の子を熱望した。

「そんなに急がなくても。まだ、ヴェネツィアにも連れてってくれない」

 すねながら、妻は最愛の夫を抱きしめて、言った。

「とにかく急がないと。スピードの世界は日進月歩、約束された明日なんてない。このままじゃ、置いていかれる」

 恭四郎は無理を言って、次の子を孕ませた。


「娘を、家族の絆として置いてゆく」

 娘が無事生まれたのを確かめると、恭四郎は泣きじゃくる息子を抱えて、追いすがる妻から離れた。


 恭四郎に唯一欠けていたパーツ。

 そのパーツさえ揃えば、全てのズレが補修される。

 そのパーツ、を手に入れるべく、恭四郎は世界的大企業の日本人令嬢と婚約した。

 このフィアンセは既に恭四郎の子を身ごもっていた。

 日本に帰国してすぐ、日本人令嬢との間に男の子が生まれた。

 その子は、しゅんと名づけられた。

 未来のスカイアロー。瞬は、恭四郎のマシン性能を120%引き出すべく、幼くしてデザインされた。

 

 瞬と恭四郎の連れ子は、乳児期はそれほどでもなかったのに、幼児期から、容貌が瓜二つになっていった。

 それが、後妻を苛立たせた。


 どうして前妻の子と、そっくりなの? 私たちの子よね?


 恭四郎は嘲笑いつつ、瞬をÐNA鑑定にかけたが、恭四郎と後妻の子である事実が判明しただけだった。

 欧米人より際立った、乳白色の肌を持つこの美しい淑女は、連れ子と寸分たがわぬ容貌の我が子に戸惑った。

 淑女ゆえに、寸分たがわぬ愛情を、寸分たがわぬ容貌の連れ子に注ぐ義務を感じたからだ。

 けれど、連れ子の顔に、前妻の面影をどうしても映してしまった。

 コレが、一卵性双生児のように同じ身体じゃなかったら。

 コレにも、違う愛情を注げたはず・・・


 実の母でも、瞬と連れ子が混同して区別できない時がある。

 そんな時、なぜか母は、瞬を消された気がした。そうして血相変えながら、駆けつけて瞳の色を確認した。

 連れ子は、灰色がかったグレーの瞳をしていたからだ。

 唯一瞳の色だけが、二人の同じ身体を、区別した。

 けれど、その灰色がかった瞳を覗き込むと、母はすっかり吸いこまれて、こう思った。

 

 自分は、前妻の日本版なのじゃ?。しかも海賊版。

 

 そんな疑念を払しょくしたくて、とうとう恭四郎に、詰め寄り声を荒げた。

「どうして、瞬ばっかり、イジメるの!?」

「瞬は、レース用。おまえにとって連れ子のほうが、私の本当の家族だから」

 初めて、恭四郎の本心に触れ、その冷血な眼差しを注がれて以降、この淑女は心のバランスを崩し始めた。


 しかし、恭四郎の連れ子は、この世の何にも増して、継母の愛情を欲した。

 全てを手に入れたはずだったのに、その事が、恭四郎の心に隙間ゲージじゃ測れないズレになった。

 スピードの修羅へと成長し、命知らずに生き急ぐ瞬。

 不安定な母は瞬の生き方を心配するあまり、しだいしだいに心を病んでいった。

 連れ子は、いつもそんな継母の安定剤になりたかった。そして継母は、その安定剤をひたすら拒絶した。


「コレの、グレーの瞳、大っ嫌い。おぞましい」

 

 罵倒されながら、連れ子はうずくまって泣く、継母の艶髪を撫でながら決意した。

 

 ぼくがレーサーになって、瞬を守るから。

 愛しい母さん。

 ホントは、ぼくら兄弟を、一つの愛情で包みたい母さん。

 それが、崩れた心のバランスを整える、母さんの本当の在り方なんだ。

 母さんのエアバッグになって、瞬を守るから。

 ぼくは決意した。


 その時既に17才。瞬より16年も遅く、絶望的周回遅れで、スピードの修羅の世界に分け入った。

 この絶望的周回遅れを、母さんへの愛で、巻き返した。

 スカイアロー青矢と、全日本ロードレースで激突した同じ身体の兄弟は、そうして一人になった。


 


 

 


 















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