有限への愚痴

イエスあいこす

時に

24時間。1440分。86400秒。

一日という枠組みの中で、人に与えられた時間だ。そしてこの時間は、あまりに不足していると思うのだ。まずやらなければならないタスクをこなすのと、睡眠。これで一日の半分以上は持っていかれる。そして俺も含めて多くの人は趣味を抱えている。それにも結構な時間を持っていかれる。そうこうしていると、一日は概ね終了する。まあこんな日常を送れたらきっと理想的だ。俺も出来ればこうなりたい。でもそうはいかない。人は往々にしてサボる生き物だ。往々にしてというか、程度に差はあれどそれが常だとさえ思うほどに。そういう時間は削れば良いのだが、どうにも削れない。ゴロゴロしてゲームはしたくなるし、おやつは食べたくなる。背徳感はあらゆる調味料を凌駕しうる。きっとそんなサボりの枠に、この文章も含まれるのだろう。実際その自覚は大いにある。今俺はラーメン屋に行こうと電車に乗り込んでいるが、そんな時間があれば今度のテストの点数を一点くらい伸ばせるし、ギターの練習も出来る。なら、これもれっきとしたサボりだ。

何故それほどまでに時間は足りないのだろう。タスクはこなさないといけない。趣味には傾倒したい。でも心の安らぎはサボりにある。だがそれらを全て成立させるのは無理だ。これはその理由を解き明かす文章ではない。というかそんなもの俺が教えて欲しいくらいだ。何もかもが中途半端な学生風情の、たかがサボりの、愚痴ごとき。意味なんてありはしない。ただ行き場のない苛立ちが、ここに詰め込まれているだけだ。

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有限への愚痴 イエスあいこす @yesiqos

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