※第74話・実践女学校②

 うーみーはー

 ひろいーなー

 おおきーいなぁー


「うるさい! うるさい! うるさい、うるさい、うるさい!」

「そこの看護婦! あいつを黙らせんかい!」


 狂ってしまって大声で歌う女の子の元へ向かうと、魔法のようにピタリと止んだ。

 もう、歌は歌えなくなったんね。

 動かんようになってしまった女の子を引きずり出すと、赤井先生はそっと抱えて亡骸の山に積み上げた。

 その周りでは、怪我や火傷が軽いとされて講堂に入れん患者さんがテントの下に座っておる。

 せめて、中に入れれば……。


「かゆい、かゆい、看護婦さん、取って」


 きびすを返して講堂へ。うちを呼んだ人は、全身を蛆虫に食われておった。蛆虫を払い除け、摘んで抜くと痛い痛いと身体をよじる。包帯の下にビッシリおって「ごめん、痛いよ」と声を掛け、意を決して引き剥がす。


「あああああああああああああああー!!」


 身体を仰け反り苦痛に悶えて、そん人はパタリと気を失った。

 これ幸いと蝿がたかって、卵を産みつけようとする。油と血、蛆虫にまみれた手で払う。

「こら、やめんかい、これ以上つらい思いはさせたらいかん」

 こんなことをしとる間にも、色んなところから呼ばれとる。どっから手ぇをつければいいのか、何をしてあげたらええのか、うちにはわからん。手近なところから出来ること、ほんのわずかな力になることしか出来んのじゃ。


 無力。その言葉がよぎると、夏子ちゃんに視線が向いてしまう。

 新型爆弾が破裂してから、二日。虚ろになった瞳は濁って暗く、何も映っとらんようじゃ。息は浅く、ずっとうわ言を繰り返しとる。

 夏子ちゃんに縋るように、そばに座った。

 うちはアホじゃねぇ、縋りたいのは夏子ちゃんのほうなんに。ほんでも、今のうちにはわずかな薬を塗って包帯を変えて、蝿を払い蛆虫を取ってあげて、あとは見ていることしか出来んのじゃ。


「ごめんね、夏子ちゃん。包帯は取れんのよ」

「森島さん、安田さんがどうかしたのかい?」

 赤井先生じゃ。うちが夏子ちゃんのそばにおるけぇ、心配して来てくれたんじゃ。

「夏子ちゃんが重い、重いって言うとるんです。ほんでも包帯を取ったらいかんし、もう肌着一枚じゃけぇ。どうしたらええんかね」

 赤井先生が返す言葉に迷っておると、講堂の耳という耳がつんざかれた。


「美春、おるかー! 森島美春ー!」


 うちの名前が講堂いっぱいに響き渡った。聞き覚えのある声じゃ、信じられんがあの声は──。


「お父さん……お父さんなん?」


 講堂の扉にもたれ掛かって、息を切らせとったのは、紛れもなくお父さんじゃ。夢でも見とるんかね、うちは。

 ほんでも、今にも泣きそうな笑顔を見せて歩み寄り、太い腕で抱きしめたのは、間違いなくお父さんじゃ。


「お父さん、どうして来たん?」

「言うたじゃろうが、何かあったら船を飛ばして駆けつけるって」

「あんなポンポン船で来たんかね?」

「頼み込んで島中の油を積んできた、エンジンも予備を借りたんぞ。新型爆弾にやられた聞いて、じっとしていられるかい」


 お父さんは身体を離し、講堂に寝そべっておる怪我人を一瞥すると、縮み上がったように固い息を呑み込んだ。

「こりゃあ……酷いのう」

「そうなんよ。赤十字から薬が届いたけぇど患者さんが多すぎて、薬も手も足らんのじゃ」

 お父さんはスッと立ち上がり、講堂にいっぱいどら声を張り上げた。

「怪我の軽いモンは、船で近くの島に移送する! 誰か、島に行ってもええのはおらんか!?」


 そこかしこから、弱々しく手が上がった。わしは島から来たんじゃ、島に帰してくれるんか、島に帰りたい、かすれた力強い声に希望が見えた。

 お父さんは横たわる人の間を縫って、上がった手のほうへと歩いていった。うちは、そのあとをついていく。

「ほんなら、行き先を教えてくれ。美春、こん人は帰ってもええんかのう」

「二日間とるけど、少しずつようなっとるよ。島も近いし、ええんじゃないかねぇ。お医者さんに聞いてくるわ」

「こん人は、どうじゃ。どこへ帰るんか? こん人は? こん人は?」

「お父さん、そんな焦ったら間違えてしまうわ。帰れる島にも帰れんわい」


 島での治療を希望したうち、お医者さんに許可をもらえた患者さんをトラックの荷台に乗せた。最後にお父さんが乗り込んで、見送りをするうちを寂しそうに見つめとった。

「美春……頑張れよ」

「お父さんも、患者さんをよろしくね」

 トラックのエンジンがかかり、患者さんもお父さんもブルブル震えた。舌を噛まんようみんなが黙ると、トラックは船が係留しとるほうへと一目散に走っていった。


 敷かれたゴザがぽつぽつと空いて、溢れとった患者さんを導き入れる。やっと横になれるねぇ、お父さんありがとう。

 それを見ていた患者さんが、うらやましそうにしておった。患者さん言うても軽い火傷と切り傷だけで、明らかに軽症じゃ。

「ええのう、わしもテントじゃのうて屋根の下にりたいわ」

「あっちこっち歩けるくらい元気じゃあないですか」

「あちゃ、こいつは厳しいのう」

 元気な患者さんが苦笑いして頭を掻くと、髪がズルリと抜け落ちた。「おや?」と不思議そうに掌を見つめると、穴という穴から血が吹き出して突っ伏した。


「先生! 先生ー!!」

 駆けつけてきたお医者さんは症状を診ても、何が何やらようわからんで狼狽えとった。

「何じゃ? 赤痢……いや、違う」

「先生、こん人は……」

「……こと切れておる」


 ついさっきまで元気じゃったんに、何でなん?

 うちも、お医者さんも知らん病気がある言うんかね?

 うちも、いつかああなってしまうんかね……。

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