※第71話・ヒロシマ②
電車は屋根も扉も窓枠も木製じゃけぇ、金属製の車体と骨組み、台車を残して焼け落ちとった。
車内じゃあ、お客さんが座ったり吊り革を掴んだりしたまま、黒焦げになって亡くなっとる。
運転台では、運転士がハンドルを掴んだまま黒焦げになっとった。間違いなく千秋ちゃんじゃ、溶けてしまっとるが、とんぼ玉の髪留めをつけておる。
誰よりも綺麗な千秋ちゃんが、誰だかわからんようになってしまった。鈴みたぁな歌声も、もう聴けんのね。すぐ恥ずかしがって真っ赤になって丸くした目も、もう見れんのね。広島の案内も、もうしてくれんのね。千秋ちゃんの電車に乗ってお喋りなんて、もう二度と出来んのね。
「千秋ちゃん……千秋ちゃんなん?」
「……千秋ちゃんじゃ。千秋ちゃんなんじゃ」
千年前の観音様みたぁになってしまった、千秋ちゃん。手ぇを合わせたかったけえど、そしたら夏子ちゃんが倒れてしまう。
泣きたいけぇど、目ぇが乾いてしまっとるわ。
それに、夏子ちゃんを何とかせんと。どんどん弱っていってるようじゃ。
「……千秋ちゃんに、さよならしよう」
夏子ちゃんは、霞む瞳を震わせて頷いた。うちと夏子ちゃんは、千秋ちゃんにさよならを言って女学校へと歩いていった。
「熱い! 熱い! 熱い! あああああ!!」
突然、瓦礫になった街が炎を上げた。えらい火じゃ、福屋百貨店よりも大きな火が広がっとる。
「夏子ちゃん、川沿いに行こう」
うちらは、火に包まれた人を見捨てた。悲鳴に胸をえぐられて、痛い。ほんでも、あん火の中を助けに行ったら、うちらまで死んでしまう。
ほうじゃ、川じゃ。川に浸かったら、火照った身体が冷えてくれるわ。川に人が押し寄せとる、うちらも川に──。
川に入った人たちは、みんな動かなくなってしまった。上流からは、真っ黒な人や真っ赤な人がたくさん流されとる、あっという間に亡骸で埋め尽くされてしまったわ。
「水……」
「夏子ちゃん、つらいけぇど我慢して。毒が流されとるのかも知れんわ」
突然、夏子ちゃんの足が止まった。やっぱり、つらいんかね。
そう思ったが、違った。
「助けて……身体が抜けんのよ」
瓦礫に押し潰された人が、夏子ちゃんの足首を掴んどった。助けてあげたいけぇど……押しても引いても持ち上げてもビクともせん。うちなんかじゃあ、どうにもならん。
「痛いんよ……熱いんよ……助けて」
潰れた家が燃え上がって、夏子ちゃんの足首を掴んどった手が絶望して開かれた。
うちらは、その場を離れるしかなかった。何度も何度も謝って、その場を離れた。
「助けてえええええ!!」
ごめんなさい! ごめんなさい!
「熱い! 熱い!」
ごめんなさい! ごめんなさい!
「水……水……」
ごめんなさい! ごめんなさい!
気づいたらうちは何にも見んと、夏子ちゃんを引きずって逃げとった。
怖い、怖い、怖い、怖い。
瓦礫に押し潰された人、焼き尽くされる人、川に入っていく人、パンパンに腫れた人、真っ黒な赤ちゃんを抱いた真っ赤な人……。
うちは、みんな見捨ててしまった。
女学校に帰ることしか、考えられん。
うちは鬼じゃ、悪魔じゃ、やっぱり地獄に落ちたんじゃ。
夏子ちゃんを道連れにして、千秋ちゃんと一緒に死んだほうが、よかったんかね。
ほんでも、うちは逃げることをやめられん。
「夏子ちゃん、もうすぐ日赤病院じゃ。頑張ったねぇ」
瓦礫の中にぽつんと残った日赤病院は、窓硝子がなくなっとった。破裂しそうに歪んだ窓枠からは、患者さんのうめき声が漏れておる。怪我した看護婦さんが廊下を走って、硝子を浴びたお医者さんは叫んで指示をしておった。
こんなんで、夏子ちゃんを診てもらえるんかね……。
玄関先で躊躇ううちを、夏子ちゃんが引いた。
「ええよ、美春ちゃん」
「……うん、帰って校医さんに診てもらおうね」
日赤病院から電車道を歩いてすぐ、電鉄本社。
本社の端がかじり取られて、折れた電柱が引っ掛かっとる。壊れとるのはガスタンクと反対じゃけぇ、女学校は無事じゃろうけど……。うちにはようわからん、何があったんじゃ。何があって、こんなになってしまったんじゃ。
呆然としとるうちに、冬先生が気づいて事務所から走って、嬉しそうに肩を抱いてくれた。
「おお、森島君に安田君、生きとったんか」
「冬先生、何があったんですか?」
「わからん、電話も通じん。今、総出で状況確認しとるところじゃ」
ああ、途中まで川沿いを歩いとったから、すれ違わんかったんね。師匠も、どっかを走っとるんじゃろうか。
「えらい怪我じゃのう……」
「日赤病院はえらいことになっとりました。校医の先生に診てもらいます」
「それがええ、そうしんさい。わしは、ここから離れられんのじゃ。森島君、みんなを頼む」
冬先生の手に力が入って、うちの背中がピリッと痛んだ。そうじゃ、忘れとったが、うちも怪我をしとった。背中は、どんなになっとるんかね。
「冬先生、うちの背中……」
恐る恐る、後ろを向いた。冬先生は顔を歪めて
「……森島君も、
よっぽど酷いみたいじゃね。
傷が残ってしまうんかね……。
うち、お嫁さんになれるんかね……。
……綺麗に治ってくれたら、ええね。
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