※第69話・炸裂

 高度九六三二メートルより相生橋を目標にして投下された一発の爆弾は核分裂を進行させて致死量を超える放射線それはさながら死神の鎌を降り注ぎ建物内外関わらず肉体を地下室までも貫いて内部温度が二百五十万度にまで上昇すると島病院の上空約六百メートルで炸裂し青白い火球となって膨れ上がり紫色に染めた空気で生活の朝を呑み込んでいき地上を家屋を行き交う人を約三千度の熱で焼き尽くし直下近傍の人々は血流が沸騰し肉体を蒸発させてあああああその姿は影だけを残して揮発した塗料はふつふつと泡を立て屋根瓦には原因不明の硝子質が浮き上がり銅板張りのドーム屋根は溶け落ちて道行く人の皮膚を焦がして指先まで剥がし肉を焼き血潮を蒸発させた熱線は音速を凌駕する衝撃波に乗せられて相生橋をめくり上げ欄干らんかんを薙ぎ倒すと市内全域へと広がって逃げ場のない人々を沸き立つ川へと払い落とし枝に刺し家屋をスレート屋根を肉体をも押し潰し耐える間もなく服を焼き血を沸かせ肉を千切り骨を断ち腸が腹を突き破り目玉を落とし髪を根元まで焦がして熱い熱い熱い変わり果てた人々を爆風がさらい壁に塀に叩きつけ血濡れた身体に衝撃波が追い討ちをかけ生活のはじまりは火の手が上がる梁に挟まれ屋根に潰されお母さーん放射線に貫かれた肉体は流れる涙まで焼き尽くされるのを待つしかなく助けて難を逃れに飛び立つ鳥は紅蓮の翼を羽ばたかせ空の彼方へと消えた護国神社の扁額も広島城も吹き飛ばし燃え上がった陸軍第五師団司令部は午前八時十三分中国軍管区情報敵大型機三機西條上空を西進しつつあり厳重なる警戒を要す警報を知らせられぬまま一瞬にして西日本最大の戦力を失った建物疎開に従事する少国民も挺身隊ていしんたいも分け隔てなく放射線が穿うがち身体を焦がす肌を衣類を剥ぎ取っていくお母さぁぁぁん窓枠ごと膨れ上がった硝子窓は瞬く間に限界を超えて木端微塵に弾け飛び無数の破片が瓦礫が壁に身体に突き刺さるあああああ煉瓦にコンクリートに亀裂が走り露わになった鉄骨が飴のように歪み座屈し崩れ店員を買い物客を踏み潰していく街を巡る電線は炎を上げて車も電車も押し流し乗員丸ごと焼き尽くし木の一本草の一葉までをも炭化させ営みに溢れる街並を鉄筋コンクリートの壁だけが残る更地に変えたあああああ駅舎の屋根は振り下ろされて否応なしに願わぬ場所へと連れ去られた母の作った弁当は高熱に晒されてお母さーん口にするはずの子供ごと炭になった梁に挟まれ身動き取れず溶ける硝子瓶と肉体がひとつになるのを望まず待っていることしか出来ず熱い熱い助けて熱風に晒されぬよう愛する我が子を抱きしめて母は服を燃やされ皮膚が剥がされ肉を露わにされるのをやめて私の赤ちゃんただ耐えるのみ青空から光を浴びて闇を見た窓辺の人は全身に放射線を砕けた硝子の嵐を浴びて夥しい鮮血に染めた柔肌は爆風に晒されて血を焼き皮膚を焼き露わになった肉も骨までも熱せられ殺して殺して歪んだ窓枠に吹き飛ばされて壁に激しく打ちつけられて骨の髄まで砕かれて肉が血潮が放射状に飛び散り業火が襲い潰える生命が苦悶に歪む火炎は女子供病人であろうと罪なき人を表すように揺らめいてへらへらと嘲笑う悪魔の顔さえ覗いて見える地獄の光景を壁に逃れて恐怖する五体満足の人々も拡散された放射線に貫かれ燃え盛り薙ぎ倒されて吹き飛ばされる人や家や街を見て言葉を失うばかりで自らの異変に気づくはずもなくただただ無力さに胸の奥を深くえぐるそれは心だけではなく身体を急速に蝕まれていく視線の先の人々は燃えるような赤い肌をはち切れんばかりに膨れ上がらせてどこの誰だか男か女か幾つなのかを思い出す間もなく崩れた煉瓦に押し潰されて一縷の望みを求めた腕から肉が落ち骨が露出し助ける術を失って微かな光を見るまでもなく希望は消えたのならば朝は何色に塗り替えられたのか地上は暗い灰色で家々や血濡れた人や腫れ上がった人は赤く黒く変質した瓦を輝かせるのは橙色や紫色に光る暗雲に照らされて紫色の爆風を映す視界は青白く見知った地獄絵図とはかけ離れた生き地獄を見せつけられて人知を超えるを目の当たりにした自らもこの地獄にいるのだともはや人の姿ではない人々の喘ぎに耳孔を貫かれ恐れをなす彼も決して救われたわけではないと知るのはいつになるのだろうか赤く黒く縮み膨れた異形のそれは人の姿を辛うじて留めているが確かに微かな息がありやはり人だ人を人ならざるものに変えようと血を沸き生皮を剥ぎ肉を焦がし骨を砕いて腹を裂いてなお人の苦痛を与えるなどと悪魔であっても躊躇う所業にいっそ殺せ殺してくれの願いさえ叶えてくれず導かれるのは人馬を流しけぶる川その向こうは現世にあらず渡ってはいけない川に入ってはいけないと水水水身体が熱い燃えるように熱い水水水防火用水はどこだ全身を浸からせて冷やしたい水水水早く水を誰よりも先に水を火の玉のように熱い我が子に水を衝撃波は半径四キロメートルを瞬く間に駆け抜けて辺り一帯を覆い隠した暗雲は夏の朝を吸い上げて燃える雲が天を突いた昭和二十年八月六日午前八時十五分のわずか十秒のことであった。

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