第3話・女学校①

 広島は、西日本最大の軍都である。

 その契機となったのは、明治二十七年に起きた日清戦争。広島城内の第五師団司令部に大本営が置かれ、明治天皇が御自ら指揮をられ、臨時の帝国議会議事堂が建てられた。

 明治三十七年の日露戦争でも、軍都として重要な役割を果たしている。


 また市内の南、港を擁する宇品うじなには陸軍の輸送拠点たる船舶司令部、兵員や軍馬の食糧をまかなう糧秣支廠りょうまつししょう、衣類の調達を行う被服支廠、更にその南に浮かぶ似島にのしまには検疫所がある。

 宇品港から出征する兵員の輸送は、軍事専用線の鉄道省宇品線が主に担う。


 しかし、我が広島電鉄にも宇品線がある。

 君たちがここへ来るために乗ったのが、宇品線だ。兵員輸送に特化した省線とは違い臣民しんみんの足、支廠への人員輸送、工廠指定工場への工員輸送という重責も担っている。

 広島護国神社や陸軍第五師団司令部も、最寄りは我が社の紙屋町停留所である。

 我が広島電鉄は軍需充足会社として、八紘一宇はっこういちうの大理念を実現するため日々邁進する皇軍を、銃後から支えているのである。


「これを肝に銘じ、広島電鉄家政女学校の女学生として勉学に励み、広島電鉄の社員として業務に勤しみ、大東亜共栄圏建設の一翼を──」


 広島電鉄本社二階の講堂で、入学式と入社式が同時に行われていた。配られたばかりの学生服が身体に馴染んでいないせいか、慌ただしい日程のせいなのか、それとも大都会広島にうわついているせいだろうか。栄えある第一期生七十二名の全員が地に足つかず、校長の話がちっとも頭に入ってくれない。

 祝辞に御名ぎょめいがあれば、姿勢を改めなければならない。『天皇陛下』だけは聞き逃すまいと、少女たちは両耳に注意を募らせていた。

 美春は直立不動を保っているが、瞳をそわそわと左右に動かして、周りを囲む同期生や、正面にズラリと並ぶ教師陣の様子を覗っていた。


 雰囲気からして、うちと同じ田舎から出た娘が多いようじゃな。島育ち言うよりは、山育ちの娘ばっかりじゃのう。浜での仕事と野良仕事では、うまく言えんが身体つきが違うんじゃ。それに、空と海の両方から照らされとるけぇ、うちが一番焼けておる。

 隙間隙間にぽつぽつと広島の娘が混じっとる。落ち着いて先生の話を聞いとるし、千秋ちゃんと似た都会慣れした雰囲気じゃけぇ、ようわかる。

 先生はみんな穏やかで、今にも笑いかけてくれそうじゃ。今日からはじまる新しい学校を、うちらと同じように楽しみにしとる。

 頼もしそうに並んどる夫婦は、寄宿舎に暮らすうちらの世話をしてくれる舎監しゃかんさん。全寮制の女学校じゃけぇ、うちらにとっては広島のお父さんとお母さんじゃ。

 電鉄の制服を着た年配社員が、ずっとうちらを睨んでおるわ……。出来れば関わりとうないが、ここにおるけぇ、何かでお世話になるんかねぇ。

 でも電鉄の人が家政女学校で小娘相手に、何をするんじゃろうか……。


「美春ちゃん、美春ちゃん、学校行くよ」

 千秋に促された美春は、目が覚めたように飛び上がった。

「女学校は、別のところなん?」

「そうよ、先生が連れて行ってくれるわ。はじめは寮の部屋割りじゃ、同じ部屋だとええね」

 先頭を歩く先生の後ろを、雛鳥のように少女が並んでついて行く。ぼんやりして気づかなかったが、ここから二手に分かれているらしい。

 本社を後にする際、美春が名残惜しみにチラリと社屋を見送ると、その背後に電車が並んでいるのが目に映った。

「客車がいっぱいじゃ……」

千田せんだ車庫じゃ。奥の屋根は工場で、車両の点検を行っとる。右奥の煉瓦積みが千田町せんだまち変電所」

 美春は再び、夢から醒めて飛び上がった。鈴のような千秋の声ではなく、低く野太い心臓を掴むような男の声が、頭上に振り下ろされたのだ。


 見上げてみれば、女学生に終始睨みを効かせていた電鉄社員である。正面を向いたまま視線だけを美春に下ろし、いかめしく口を結んでいる。

 その印象は、鬼の一言に尽きる。

 氷柱つららのように冷たく鋭い視線が刺さり、美春の脚は止まってしまった。後に続く夏子と千秋が、行く手を阻まれ狼狽えている。

「ほれ、きりきり歩かんか。はぐれてしまうぞ」

 慌てて列をつないだ美春に、鬼社員がピッタリと並んで歩く。首根っこを掴まれた猫のように、美春は丸く萎縮している。

 怒られる……。

 少女たちの予想は、不幸にも的中した。


「入学式と入社式を一緒にやりゃあ、うわつくのも仕方なかろう。それにしても、お前はそわそわし過ぎじゃ。ちっとはじっと出来んのか」

 美春はひたすら、すんません、すんません、と頭を下げて、その度にしおしおと萎んでいった。

 それと同時に、落胆の雲がどんよりと覆った。

 やっぱりうちらは、この鬼社員さんのお世話になるんかね……。

 厚い雲は後ろへ前へと伝播していき、少女たちの足取りは徐々に重苦しくなっていく。

 それを悟った鬼社員は、眉間に深く皺を刻んでギリギリと歯を噛み鳴らした末、癇癪かんしゃく玉を爆発させた。

「シャンとせい! 軍都広島の銃後を担うんじゃないんか!」

 女学生の行列は、目一杯ゼンマイを回した玩具のようにシャキシャキと歩きだした。

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