ヱンドレス・ノクターナル・ヱンディング

 そのしにがみは、たいそう疲れておりました。


「確かに仕事は仕事さ。でもこんなにも忙しすぎるだなんて、文句のひとつでも云いたくなるというものだよ」

「あちこち引っ張りだこだものね。ほんとうにいつものやつでいいのかい?」

「もちろんもちろん。あゝどうも、ありがとうさね」


 蜂飼いは少しばかり困ったように笑いうなずくと、河岸の巣箱のひとつにもたれるようにして呻く、灰燼色の外套を羽織った人影に琥珀色に揺らめく液体の入ったマグをさしだします。

 じゃらじゃら、じゃらり……としにがみはクレイブルーの錠剤を骨張った手のひらいっぱいに取り出して、えいやっと口に含んでは琥珀色の液体で飲み干しました。

 ぶわわわん、と川岸の空気がしにがみを中心に揺れると、その仄暗い澱みに蜂たちが集まってきました。


「あんまり、アルコウルとトランクラは一緒に飲まないほうが良いんじゃないのかい」

「わかっているさ、わかっているとも。でもさ、やってられないときもあるじゃないか。わたしは”しにがみ”なのだもの」

「うん」

「みな皆の絶望は、たいそうこたえるよ。時代が進んでも、本質的なところは、ニンゲン何も変わっちゃあいないのさ」

「いまのニンゲンは、星空を眺めることすら忘れがちだからね」


 あゝそうさ。と、しにがみは深いため息をつきながら、そのがらんどうな眼窩の奥をきらりと光らせたようにも視えます。


 死を運ぶだけで、死を選ぶことができないしにがみは連日連夜、ひたすらにこのそらの中をあちらこちらへと飛び回っているのです。


「ニンゲンたちはわかっちゃあいない。死はすべての生き物にあるのに、彼らは——彼らだけは自分の感情で自分の死を選ぶことがある。それがわたしたちのスケジュールをどれほど狂わせているのかだなんて。彼らは知りもしやしないんだ」


 あゝけれど。そうもしにがみは呟きます。


「違うんだ蜂飼い。そうしないとやっていけないほどの悲しみを背負うニンゲンがいるのもまた事実。一概にそれがすべて悪いとは云わない。うん、ただわたしはちょっと疲れているんだよ」


 蜂飼いは黙ってそれを聴いていました。しにがみは、けっして答えを欲しがっているわけではないのだと、彼はもう充分に知っているからです。


 どれだけの死を運ぼうとも、しにがみだけには訪れないヱンドロール。

 いそがしさに魂を宙へと投げ込むニンゲンを迎えに行っては、どんなに忙しくともヱンディングを与え、けれども己れだけにはけっして与えられることはないその宿命を。

 悲しみの大海の中を揺蕩う彼の外套は、いつも灰燼の色をしてほろほろとその灰を風にあそばせておりました。


「ねえしにがみノクターン。きみはね、たいそう美しいよ」

「そんなこと、あるもんかい。こんなにも、煤で汚れてばかりだよ」

「それも含めて、さ。残酷なフリをして、きみはそれでも魂をはこぶ。そうそうできることじゃない」

「そんなことないさ」


 さ、今日も迎えに行かなくちゃ。

 そう呟くと「ごちそうさん、またね」とマグを蜂飼いに渡すやいなや、しにがみは煙と灰の残り香だけを残してすぅっと消えてしまいました。


 蜂や星屑たちは、首をかしげては、しにがみの居なくなった跡を眺めております。


「絶望くらい、いつでもふるい落としにおいでよ、しにがみ」


 川岸では、真っ黒な巣箱がいくつもいくつも轟々と燃えて、鎮火するまでそこらはしっとりとあかるく照らされておりました。


 そんなにつらいの?

 しにがみ、かわいそうなの?

 でもしにがみは死を運ぶんだよ。

 怖い、こわいってヒトは云うよ。

 疲れちゃうのに、やめないの?

 星屑たちが、そっとそう蜂飼いに問いかけます。


「どんなヒトの死も、唯一、誰にも知られやしないと思っていてもさ、しにがみだけは知っている。だからしにがみは全部をかなしんで慈しんで運ぶんだ。一見すると嫌われ者のそのシゴトを、此処にくるまでは口にもださずに黙々とやる——そんなしにがみは怖いかい?」


 わからない。

 でも、ぼくたち、わたしたち、はこわくないよ。


 星屑たちは、今日も何処かを飛んでいるであろう、灰燼色にそっと想いをはせるのでした。

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