カタストロフィ・トロフィー

そらにまたたいていない星々が、こうも綺麗だなんて存じもしませんでした」


 それまでじっと、黙って蜂飼いが二十ばかりの飴玉をこさえるのを川岸で眺めていた男はそう口を開きました。

 男の眼差しは、それでも蜂飼いではなく、川底で光り笑う星屑たちを見据えております。


「綺麗でしょう? 彼らは普段は視えない光ですから、珍しい輝きも実は沢山混じっているのです」


 男はじゃらじゃらと、まるで鎖のような錠の粒を身体中からぶら下げております。重そうなそれは、近づけば金銀にチカリと光って、まるでその存在を誇示する——それこそ星のような存在感がありました。


「疲れておいででしょう? いかがです、なめると肩の荷がおりたような気持ちになりますよ」


 男は少々戸惑いながら、その差し出されたなんともいえない色味の飴玉を、それでもほいと口に放り込みます。

 少しの苦味の後に、じんわりとした暖かさに包まれるような、甘い甘い蜂蜜の味が口いっぱいに広がりました。


「自分はね、それはもう幼い頃から金のメダルを獲るようにと、そればかりを望まれて生きておったんです。そりゃあ沢山沢山、努力はしました。けれども人というのは全くもって自分勝手なのですね、「努力を見せびらかせ」とも云えば、「努力は楽しくないから見せないように」なんてのも注文つけてくるのです」

「ふむ、それはなんとも酷い想いをなさったものでしょう」


「わからないのです。」そう男は心底疲れ切ったように、飴玉を口の中で転がしながら云いました。不思議と、さっきまで消えていた苦味がましたようにも感じます。


「自分は云っちゃあなんですが、器用ではございません。けれども人一倍ですね、我慢強いところが長所でした。折れても折れても立ち上がる、そうしてようやく金に手が届くかというところでした。けれどもねぇお兄さん、そうすると人ってのは、過程なんかどうだっていいんです。金じゃなきゃダメなんです。銀も銅も、それ以下も、全部がっかりされるのです。けれどもこの苦しみを話したところで、多くの人は自分のことを「ストイックなすごい人」呼ばわりするのです。同じ場所には誰も立ってはくれやしない」


 蜂飼いは黙ってそれを聴いておりました。

 ぶうううん、と蜂たちが少し水辺で羽ばたいて、その振動で星たちはウフフと笑いました。


「そうして「いいところ」で止まりっぱなしの自分は、誰の記憶にも残らぬのです。あゝ努力とはなんと虚しいものでしょうか、初めからしなければこんなに悲しむこともなかったでしょうに」


 男は自分の周りにくらげのように纏わりついている、たくさんの糸をひいた錠の粒を眺めては再びため息をつきました。


「ところで、自分はうまいことしねたんでしょうか?」

「さあ、どうでしょうか」

「もったいぶらんでくださいよ。ここは死後の世界でしょう?」

「そうとも云いきれませんよ」


 ごらんなさい、と蜂飼いは遠く、宙の向こうにひとつ輝く星を指しました。


「あれはシリウスです」

「シリウス……?」

「そう。近いようで遠い、あの輝きは七年前のものなんですよ」

「七年前、そんなにかかるのですか」

「そう。けれども、もし今日あのシリウスがしんでしまったって、それにヒトが気がつくのは七年も後のことってわけなんです」

「それはまた、なんとも」


 男は難しい顔をして俯きました。

 その足元をくすぐるように、川のさざなみに合わせて星屑たちが笑っては彼に寄ってくるのでした。


「そこまで何かに没頭して、誰かに望まれるままに努力ができたあなたは。きっと自分のためにだって生きてゆけるとぼくは思うのです」

「でも。それじゃあなんのためにこれまでの人生を歩んできたのかが、ほんとうにほんとうにわからなくなってしまう」


 男の口の中で、最後の飴の欠片がぱりっと砕けた音がしました。

 星屑たちはゆっくりゆっくりと彼を癒すかのように小さくまたたきます。


「それを探しに歩いてゆくのも、一興ではありますよ。けれども、これまでたくさん頑張り抜いてきたあなたには存分に休む権利だってある。そう、全てあなた次第です」


 星になれなかった星屑たちが、男のまわりをぐるりと囲んで大小さまざまな色でぽっと光りを放ちました。どうやら、幾つかの星屑が男のことを気に入ったようです。


 あとにはさあっと風が吹き抜けるだけでした。


 蜂飼いは遠いシリウスを眺めます。もしあの星が輝きを失ったとして、きっと人々は興味をなくして嘆き——けれども次の百年にそれを憶えているものはひとりもおらぬことを彼はよく知っていたからです。


「栄光とは、はたしてヒトの最上でさいわいなのだろうか」


 川岸では、ひとつ巣箱がその役目を終えて、ごうごうと音を立てては燃え崩れてゆくのでした。

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