ドゥーム・コーラス

「おやまぁ、聴こえたかい?」


 巣箱の手入れをしていた蜂飼いが、ふとその手を止めて天上を見上げました。 


「ドゥーム・コーラスだ」


 少し寂しそうな目で、蜂飼いはそうぽつりと呟きます。

 ざわりと川の中にいる星屑たちが震えたのを見て、つとめて彼は穏やかに蜂たちへと合図をします。きっと今日はまた絶望と憎悪の巣箱がいっぱいになってしまうのでしょう。


 この世界に来るとき、ニンゲンは最後に抱えた感情のカタチをしてやってきます。団体で来ることもあれば、ひとりで落ちてくることも……それはさまざまです。


 煌びやかな『ニジイロ楽団』、地位のある『イヱロウ会合』、激情と笑いの『クレナヰサアカス』、『水底ヱメラルド』——そして『群青フリヰクス』。


 青い青い、澄み渡る空は平等であるのに。誰もかれもが、平等に幸せばかりの世界に生まれ育ち、平等に死んでゆくわけではないことを、蜂飼いは痛いほど知っていました。




 世界が滅べばいいと思っていた。

 全部全部なくなって仕舞えばいいと思った。

 そしてある日気づいたのだ。


 ——なくなるべきなのは自分自身だと。



 眩い群青の移動型見世物小屋がやってきました。蜂飼いは「やっぱり」と古ぼけた帽子を目深に被り直します。

 今日は飴をたくさんこしらえておいて、正解だったなと思ったのです。


 水の子供たちが、ドアが開くとわーっと駆けて行って、星屑たちを拾っては遊びはじめておりました。

 新入りの子は、紹介される前にすぐにわかりました。

 蜂飼いは、ここにいる皆の顔を、今いる子も去っていった子も全て覚えていたのです。


「はじめまして、ぼくは蜂飼い」


 蜂飼いが声をかけたのは、ポインセチアとカラーの花びらでできた髪の毛と、首には不恰好に結われた太い縄がぶらさがった女の子でした。


「なんで……?」

「世界のおわりを願ったのはきみ?」

「……そうだけど。けれど残念、終わったのはアタシみたい」

「そっか」


 ドゥーム・コーラス。それは世界の始まりで終わりの大合唱。

 そう、それは誰かの世界のヨアケでヒグレの合唱なのです。

 悲しい哀しいドゥーム・コーラス。世界の終わりのはずなのに、終わるのは誰かの世界だけ。星たちもそれはわかっておりました。


「いいの、世界じゃなくても。アタシがアタシを終わらせたのなら」

「じゃあ、どうしてきみは泣いているの?」


 川底の星屑たちが、女の子の傷だらけの足にそっと歌を歌いました。


「アタシは人形と一緒なの」

「人形?」

「そう。アタシは親が作ったお人形。好きな時に殴って、いたぶって、遊んで。それをずーっとこの先一生引きずるのよ、そう思うともうたくさん」

「ここにはきみを殴る親はいない、そして絶対にやっても来ないよ。安心をおし」


 蜂飼いはそう云っては、帽子を深く下げて息をはきました。


「きみの救いは逃げじゃない。ぼくがそう誓おう、だってきみはきみを救ったんだから」


 そうして、その首にはしる群青の傷痕のように鮮やかな碧い飴をひとつ差しだします。


「お近づきのしるし。元気がでるんだよ、ほら食べてみて」


 ぱくりと口に含むと、甘さがとろけて広がって。今まで味わったことのないおいしさに、女の子の表情が瞬く間に綻びました。


「あれっ、足の怪我が消えてる」

「そうさ、星屑たちは傷を癒すし、その飴は元気の出る飴だからね」


 鳴り響く不協和音。ドゥーム・コーラス。

 世界ごと、自分自身の存在を否定する悲しみの音色、ドゥーム・コーラス。

 抱えているニンゲンは多々あれど、踏み越えてしまった悲劇に謳うドゥーム・コーラス。


 女の子が去った後、「蜂飼いは時々嘘をつくね」と星屑たちがヒソヒソとこぼしました。蜂飼いは苦笑しながら、それぞれの蜂を撫でたり合図を出したりしております。


「これっぽっちの嘘くらい、いいじゃないか。"忘却の味"、あんなに美味しそうに食べるほど……あの子は生きる事こそが苦しかったのだからね」

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