第6話 二人の願い

 私としても、何が起こっているのかよくわからず呆然と見ていることしかできない。

 叩かれたメイドは頬を抑え、驚いた表情のままシーラを見ていた。彼女が驚くのも無理はない、私の知るシーラは誰かを叩くような人ではなかったから。


「アストレイナ様に謝罪を……そのような敵意を向ける方ではありません」


 シーラから視線をそらし、私を一度見てから深く頭を下げている。スカートを握りしめ肩を震わせているメイドは、今何を思っているのか、深く考えるまでもないので私は目をそらす。


「申し訳、ございません」


 その言葉に対して、私は何も言えなかった。

 敵意を向ける。メイドたち、あの騎士たちも私の行動にいずれ我慢の限界を迎える。

 なんでこんな奴に、そう思われたとしてもおかしくはない状況。シーラが付き添っていることで、彼女は怒りを顕にしてしまった。

 でも、シーラにとってその行動が許されるものではなかった。


 まるで何事もなかったかのように、いつものように隣に座る。何を話しするわけでもなく、ただ鉄格子から見える窓を眺めるだけ。


 ため息を漏らし、ベッドの上に仰向けになる。


「少し寝る」


「はい」


 私はシーラの袖を引っ張り、ベッドを軽く叩く。

 キョトンとしていた顔が嬉しそうな笑顔に変わり、照れくさくなって背を向けて横になる。


「ありがとうございます。アストレイナ様」


 同じベッドで二人が寝ても十分な大きさ、何度もふふっと笑うシーラの声が後ろから聞こえる。


「ねえ、何でそうまでして私に付き合うの?」


「アストレイナ様お一人だけで、向かわせるわけには参りません。それに、今はこうして抱きしめられるだけで十分私は幸せです」


 不意に抱きしめられ、これは彼女なりの説得の方法だと理解はしている。

 でも、本気だとは思えない。

 こんなバカげたことを本気で付き合うなんて思えない。

 だって、そうでしょ?

 私は公爵家の令嬢でもないし、たまたまこの世界に巻き込まれただけ。それを知って……それなのに、なんで私を説得するために、こんなことを!


 身を寄せ合い眠り続ける私達。今を逃げる私、必死に戻そうとするシーラ。

 私は逃げることしかできない、でも……


「ねぇ……ねぇってば!」


「どうかされましたか?」


 もう何日経っているのだろう?

 メイドを叩いて以降、あの扉はノックされることはなくなった。私に比べて、シーラの顔色はとても悪く、朝の挨拶は……なかった。

 目が覚めて、呼吸をしている彼女を見て、ホッとしている自分が居た。


 浅い眠りを繰り返し、何度も彼女の様子を見ては不安が大きくなっていく。

 夜になり、弱々しい呼吸に私は手を伸ばした。


「お願いだから、ここから出ていってよ……私なんかに付き合う必要ない。このままじゃ、シーラが……」


「ご心配……ありがとう、ございます」


 何でここまで、上半身を動かそうとするだけでかなりしんどい。でも、私と違ってシーラはもう動くことができなくなっている?

 声を出すだけでも辛そうなのに……それでも、彼女は私に笑顔を向けようとしていた。暗いはずなのに、無理にでも笑っているように感じられた。


 私の我儘で、シーラが死ぬの?


 絶対そんな事にならないと思っていた。

 生きることを諦めた私だけが死ねばいいって思っていたのに……道連れなんてしたくもない。時間が経つたび次第に弱っていく彼女の姿は、見ているだけで辛かった。

 ここから声を出しても……外にいる人たちは何も答えてはくれない。

 シーラの行動を思い出し、日が落ちた薄暗い部屋を見渡す。


「そうだ、あのベルは?」


 こっちから呼ぶときにベルを鳴らしていた。

 ベッドの周りを手探りで探すが、あのベルはどこにもなかった。

 あの食事を持ってくる人以外ずっと誰も見ていない。


 何で?


 もしベルが見つからなかったら?

 このまま朝になるのを待てというの?

 それで、シーラが本当に助かる?


 私のせいで……


「シーラ、いいから目を覚まして」


 肩を揺さぶり何度も声をだすけど、シーラからは弱い吐息しか出てこない。


「……」


「シーラ、お願い。お願いだから……目を開けてよ!」


 どうしてなのよ、なんで……シーラはここまでして?

 死ぬのは私だけでいい、関係のないこの人を助けたい。

 シーラの服を探りあの小さなベルを見つけた。

 そのベルを掴み、立ち上がるがバランスを崩してしまう。それでも、ベルを手放すことはなかった。ヨロヨロと扉の前に向う。


「誰か! 誰か来て……」


 ベルを鳴らしながら、何度も扉に向かって声を出した。

 扉が開き、明かりを持ったメイドが立っていた。


「シーラを助けて……もういいでしょ? 私なんかを説得するにはやりすぎよ!」


「お嬢様は、お気づきではないのですね」


「どういうことなの?」


「なぜ、お嬢様はそれだけ意識をお持ちなのですか? あの日から五日、シーラはきっと意識が朦朧としていてもおかしくはありません」


「どういう……こと?」


 子供である私のほうが、先に意識をなくしてしまってもおかしくはない。

 それなのに何で?

 私はまだ立っていられる?

 今はそんなことの何が重要?


「シーラを助けて……お願いだから!」


「出来ません。シーラの覚悟を踏みにじらないでください!」


「おやめ、なさ……い。アストレイナ様に向かって……そのように、怒鳴るものではありません」


「シーラ……ほら、早く外に行って……」


 だけど、シーラは目を閉じてゆっくりと首を横に振る。

 何でそこまでするの?

 どうして、本当の令嬢でない私に対して……


 ただ何もかもから逃げたくて、死ぬことを願っていた。

 そんな私がわがままを言ったことで……どうして、シーラはそこまで。本当に命をかけるような真似をしているの?

 私に何を望んでいるの?


「私からの命令です。シーラを助けなさい」


 私は誰かに命令をできるような立場ではない。

 それは自分でもわかっているつもりだった。あの騎士だって私の命令を聞き入れることはない。だけど、アストレイナ出会った頃は多少のわがままも聞いていた。

 メイドである彼女なら、公爵家の令嬢の体。アストレイナからの命令になら……


「それは、シーラが望んではおりません」


「そんなの関係ない! 私はシーラに死んで欲しいなんて思っていない!」


「そうですか……一つだけ方法があります。こちらをまずお飲みください」


 そう言って、瓶に入った水を差し出している。

 水分を取るということは、私自身が生きるということ。シーラはこうなる事を見越していた? それで失敗すれば、本当に死ぬかもしれないと言うのに?

 でも、これがあれば……


「お嬢様。その水はお嬢様のものにございます。その意味をよくご理解ください」


 私のための水。私だけに用意されたとでも言うの?


「シーラの気持ちも考えて上げてください。命をかけてまで生きて欲しいのですよ」


 だけど、シーラからは生きて欲しいと言われたことは一度もなかった。

 食事の時間に強要されることはなく、一口でもという言葉すらなかった。ただ隣に居て、見守ってくれていた。


「分かったわ」


 そう言って手を差し出す。メイドは膝を付き瓶の蓋を開け頭を下げつつ差し出された、その瓶を受け取る。

 

 大きく何度も深呼吸をして、私はそれを持ったままシーラのところへと向かう。

 これをシーラに飲ませれば……きっと助かる。


 私なんかよりも、先にシーラに飲ませれば……


「お嬢様!」

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