第128話 想い出と優しさと私

 なんかタイトルが、部屋とワイシャツと私、風と雲と私、恋しさとせつなさと心強さと、のようだが、特に意識してはいない(笑)。


 最近はあまり言われることは無くなったけど、何年か前までは、書き仲間の皆さんにこういう穏やかな、「はんなりとした物語をなんで書きたくなったんですか」、と訊ねられることが多かった。当時は珍しかったんだと思う。「一杯のかけそば」ブームも止んだあたりだった。

 もうこのエッセイもラストスパートだし、今回はこれを問題提起、お題にしてみたい。

 はんなり物語。これねえ、僕の半生と直結してます。だから今まではあえてぼやかしていました。言ってもしょうが無いこともあるしねえ。やがて、僕が持って行くであろう冥途の土産の中身のひとつ、では人生の思想観の一部を含めてご紹介しよう(笑)。そんな大袈裟なモノでも無いけど。


 時折世間では作品や作家の色なんて言い方されるときもあるが、その作品や作家の色というのは、確かにある。ジャンルの垣根を越えてもそれが繁栄されている色だ。僕の作品ならSF、ファンタジー、掌編喜劇を横断して、愛情や思いやりが織り込まれている。これは巷にある自伝小説とはちがって完全虚構の物語の持ち味である。モブキャラ一般人の僕の人生などは、私小説の題材になるような魅力も無い(笑)。


 そう作家や作品の色。それは私小説のようにあったことをそのまま書くようなものとは異なる。そんなバックグランドに潜む色のようなモノ、たとえ僕のごとき、ちっぽけなアマチュア文章書きでも、大小の差こそあれ、それに似たものは存在するのだ。


 繰り返しになるが、僕の作品の色、それはなるべく「人の思い」を大切にして、優しさと健気さを前面に出すものだ。それを主軸として書いている。たまに「どうした?」といわれそうな弾けたモノも書くけど(笑)。その昔読んだ、とある作家のエッセイで公共の主題で書きたいものがあるうちは、それをやり続ける方がいいと読んだことがある。まあ、そのとおり指針として、長く誰に遠慮もなく、そして目にとまることもなく、この柔らか路線を書き続けている僕だ(笑)。


 しかし、まだ僕が必要以上に元気良いころの三十年以上前は、作品の毛色が全く違った。躍動感のある男気たっぷりの勇気を持った主人公の冒険スペースロマンや、日常生活の中で好きな女性を知性を駆使して守るような超能力SF作品も書いた覚えがある。またアイドルをイメージした女性を主人公にしたタイムトラベルSF作品もあった。これ若気の至りとして、すべて無かったことにしていますけどね(大爆笑)。


 こんなおじさんでも、十代の頃は、はちゃめちゃとドタバタを基本とした青春グラフティのジャンルを原稿用紙に書いていた時代もあるのだ。おそらく当時の流行り物をふんだんに織り込んで意識した作品だった。でも下手だったんだろうな。箸にも棒にも引っかからなかったからね(今も同じか・笑)。


 ちょうど二十年ちょっとぐらい前から、私生活において人生岐路が僕に訪れる。好転とは言えない転機だ。大きな心情の変化だ。全てにおいて思い込みからの脱却というのを試みた。自分の好きな世界を書くのではなく、皆が楽しく感じられる、寂しい人が慰められる、悲しい人が上を向けるようなもの、公共の利益となる心の世界を目指そうという意味だった。


 これは別に小説の中だけと言うことで無く、自分の生活全般、その中の自分の生き方の指針という意味で始めたものだ。気負いや思い込み、思い入れ、願望などおおもとがほぼ同じような諸元をできるだけ排除した。要はできる限りの主観の排除だった。

 まあデカルトの言葉にもあるように(かの「思う故に我あり」ですな)、僕という感情、意識が存在するということは、主観の全てを排除することはできないので、できる限りの排除である。その考え方が創作物である小説の本質にもしだいに波及したと考えるのが、今の僕自身の自己見解となる。


 その考えられる直接的な出来事で検証。命と絆と家を考えた自分の経験である。換言して原動力とも言う。だからその出来事自体を私小説のように書くことなど決してない。僕の人生の出来事など読んで面白いと思う人間などほぼいないからだ。


 ではその原動力となった出来事の数々。

 まず白血病で早くにいった最大の親友のこと。 親や家族よりも大切に思えた親友が不出来な僕を牽引してくれたのは明らかだった。目標や先達を失って、糸の切れたタコ、それが当時の僕であった。三十を過ぎてすぐの頃だった。



 その後、数年後には病気になった我が子の日々を守ることも、そんな子どもが可愛かったからこそ、自分の夢や未来を諦めての療育活動専念だったろう。僕の三十五から四十歳は仕事どころではなかった。でも講義は休まずに単位修得の厳しい学生のためには時間を削っていた。いよいよ両立不可能になってきた時期に職を辞している。


 まあ、こんな事続きでは家庭もギクシャクする。なので、その後の離婚、一連のことも含め、基本的な一般人間の生活や家庭からの逸脱、それらをほぼ心の洞観どうかん、普通に生きている人間はあまり体験しないダメージの大きい出来事が集中した時期で僕には重すぎた。燃えかすのように残った何とも言えない劣等感と無力感、そして全てが喪失感、あきらめ、悲愴、万事休すの、そんな中で感じたのは、悲しみの対極である美学としての概念、きっと人生の応援歌なら小さな事でも出来ると考えて作風を変えた。

 今流行の物語の主人公ならここでヤミオチするんだろうけど、現実の僕はくそまじめ、そんなことは無かった。それからずっと世間からの仕打ちに耐え続ける人生を選び送っている。これが僕がいつも言う、他人や家族のために奉仕し、人生のやるべき事を終えて仙人になってしまったという具体的な事項である。


 人間の儚さや痛み。それらを自分の作品に小さく織り交ぜ、完全な虚構の物語にして、所々に、その一部のみを組み込むだけだ。でもどんなにぼやかしても経験は経験なのだ。不幸な運命や悲しみから人々を回避させることができる拠り所のような作品、人生を応援する物語を紡ぎたい、たとえそれが小さな気分転換程度の回避でも良い。誰かの役に立てばいいのだ。最近活動をやめたが、長く生涯学習の活動に協力してきたのも同じ意味合いからだった。


 僕の物語、もちろん読者が数名でも良い。こんな思いが原動力のひとつなのだ。最初に挙げた僕と親友との関係、きっとエピソードゼロの夏夫と春彦の関係にほんのり滲ませている。ほんのりなので、丸ごとまんまではない。でも一割程度は、そうカリメロとチョビンの関係を目立たないようにして混ぜている。(興味があれば本エッセイ、第七十七話のカリメロとチョビンをご参照のこと)。


 つぎの本質は家庭と僕の祖父母、助け船と心のサポートの話。

 また少年時代の自己体験。荒れていた学校や社会も含まれたかも知れない。関係を切る以外に逃げ場所がなかった。そして自分本位だった威圧的な父親の方針などに怯えて絶えきれなくなったときに、それを傍らから見ていた祖父母が見かねて「そんなに辛かったら佐野こっちに来たらいかんべな」と優しく手をさしのべてくれたことが本質に繋がる、ここが今の僕の性格の根本こんぽんになっていることだ。家庭での孫少年の怯え、垂れ俯いた姿勢に、耐えられずのことだったのだろう。生まれ故郷の佐野市近郊に戻るキッカケはこれだった。


 僕は『切手のないおくりもの』という曲の「年老いたあなたへ この歌を届けよう 心優しく育ててくれたお礼がわりにこの歌を」というフレーズと、『案山子かかし』という曲の「元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか さみしかないか お金はあるか 今度いつかえる」というフレーズを聴くと無性になぜか祖父母が偲ばれる。涙を誘い感極まるのだ(なのでこの二曲は好きなのだが、あまり聴かないようにしている。僕を泣かしたかったら、意地悪するよりこの二曲を聴かせた方が早い・笑)。

 この恩が、田舎の人特有の祖父母の持つ優しさが、やはり僕の作品創作の原動力の一つとも感じている。


 ちなみにウチの祖父母もお伊勢さま、大切にしていた。こっちも隠れた原動力かも?


 昔から必要以上の大金を得ることや人を従えてお山の大将になって人海を司るなどの欲に興味がない僕。多分根底で父親が反面教師になっているのだろう。おまけに人間をどこかで客観的に冷めた目で見ている。皆自分たちが無意識にこうありたい、というなりたい自分の性質を演じながら生活している。だから所詮人間なんて……って感じだ。

 僕は、ただ自分が自由であることと、人の悲しみや不幸に静かに寄り添えること、外圧や屈辱から無言忍び耐えることで心が研鑽されるという信念で生きてきたら、なんかある時不意に自ずと答えが出てきた。無論こんな思いも結局は同じく自己満足のひとつなのだろうけど。


 その後父親に関しては僕が二十五歳を過ぎた頃に、僕の昔の話をすると済まなそうに、バツの悪い顔をしていたので、触れないようにしてやっていた。本人が一番悔いていたのだろう(笑)。あの時優しくせずに説教の一つでもくれてやるべきだったかな? 今頃あの世でくしゃみでもしているだろう。いや祖父母に叱られているな(笑)。

 でもそんな圧迫を人格形成期にやられたので僕の心理面にはトラウマと禍根が残ってしまったようだ。いまでも極度な恐怖を感じるとあの時と同じように咳き込んだりすることが時折ある。

 そんなわけで、自分が今無敵だからと言って、人に横暴な指示をしたり、上から目線でぞんざいに命令するなどの行為はあまりしない方がよい。もしかするとうちの父親のように十年後には思わぬ未来がかえって来る(笑)。最近ではこういうのをブーメランと言うらしい。いずれにせよ、優しさをもって接する方が得策だ。


 そんな思いの数々が高じて、甘やかしとかではない、それとは別の段階にある優しさに近づきたい、と自然に思うようになったのだ。人間は生きていくだけで大変。でもそれ以上の災いがふとしたことをキッカケに誰にでも起こりうること、そんな当たり前のことが実は起こってみないとわからない。僕もそうだった。当事者だけが本当の意味で分かる苦難だ。外から「可哀想」なんて言うのは誰でも出来るのだ。

 その経験を励ましの必要な人々に表現をしたい、物語に活かしたい、と思うようになった。それが今の拙作の作風なんだろうな、と思う。何度も言うがそれの自叙伝などは書かない。だって自分が不快になる想い出なのだから。

 勿論、いろいろな立場の多くの人たちにも楽しんでもらえるような工夫もしている。だが今で言う陽キャ、街でたむろする楽しみを持っているような外交的な人たちは文字作品などを読まなくても、既に楽しいことを知っているし、沢山経験をできる。そんな環境に自分たちを置いている。

 だから全ての人々の話題とならなくても、心に翼を持とうとしている人の傍らで一緒に楽しめる作品を紡いでいけたらなあ、という思いのアマチュア文芸として書き続けている。換言すると、なるべく社会モラル上、不快にならない程度の許容範囲のコンテンツで、ゆるくて優しく、少し笑える作品を目指し続けている僕なのだ。


 答えと結びは出た。これが人に言える、自己分析した今の僕らしい作品の色なんだろうなあ。そして「何故はんなりの物語なのか」という解答である。意外や意外、SFばっかり書いてきたのに、根底にあるのが人文思想や文学っぽい、笑っちゃう。

 まとめれば、文章を使って「人の思い」を表現する手法のひとつ、小説や詩を使って思いの丈を出力する。それが僕の作品なんだろうな、と自己分析にいたる。


 ただし、ここは別に格好つけて言っているわけではない。素人創作活動の人間が宣った戯言たわごとだ。だって詰めも甘く、文学賞やコンテスト落ちまくってきたし、穴だらけのポンコツ創作作品だもの。そして実生活、現実の僕だって、省みれば、言葉数少なにしているし、いつも周りにバカにされまくってきた人だしね。今でもそれは変わらない。

 でも作品のなかの僕の創った世界では常に正直者、愚直であり続けたいという願いでいつも溢れているように思う。要は原動力や本質概念は「人の思い」、それだけである。その思いは、拙作の登場人物の山﨑くんや夏見くん、一色くんがきっとどこかのページ、どこかの作品で伝えてくれている筈である。逢野くんは……ちょっとちがうかな? (笑)


 そんな訳で、このエッセイ、最終回も近いので、この場で書ける範囲で僕の創作の源泉、拙作の本質を僕本人の性質と自己体験などを合わせて総合的に自己分析してみた。人生を含め、初めて真面目に書いてしまった(笑)。

 振り返れば僕自身、まわりに性善説のない、あまり楽しくない人生だ。けれど、それと対照的な世界観、善と美で紡ぐ穏やかな物語を作っているときだけは幸せな僕なのだ。そんな世界にずっと浸っていたい、時間をそれに費やしたい、それが僕の数少ない今の願望の一つとも言えそうだ。その思いが原動力、今の僕の作品を書かせてくれているというのが、今回の問題提起の答えである。


 ここでわざと自虐的な茶々を入れておこう。あまり真面目に書きすぎると良くない。それと相反してドジな僕は繕えずカッコ悪いのだ。人気は出ないし、賞レース落ちまくるし、後一歩でいつも逃すし、詰めの甘いアホである。そう、良い事ない人生と思っている人たち、僕も結構仲間だよ、とフレンドリーにしめよう。ではまた。


 

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