第121話 時代世相と様式論
久々の真面目モード。芸術の秋ということで、長年僕が興味を持って調べ続けている主題のひとつである様式論についてのざっくばらんなお話。ゆるい芸術思想についてのお話。
学生時代に芸術史、文化史、文学史のどこかで必ず勉強させられるのに、いまいち把握出来ないと多くの人たちが述べる、ぼやっと雲のなかのような実体が見えない、捉えられないと言われてきたモノが様式論である。でもそれぞれの単語、用語自体は何となくどこかで聞いたことがあるのだ。しかしながら、それはどういうモノ? それって何? って中身を訊かれると、多くの人が途端に眉間にしわを寄せて「うーん」と唸るのも事実だ。
例えやすいモノでその要素を鑑みてみよう。西暦の一八〇〇年代後半と言えば、政治史や元号の時代区分でいえば、明治時代なのだが、様式論、美術史や文学史の時代区分で言えば、ロマン主義時代なのである。文化史様式論の時代名称では、「ロマン主義」という用語は大きな基本用語である。我が国の近代化の象徴芸術と捉える人も多い。
その文化史様式論の基本用語、時代名称とは、時系列にいけば、主要様式でルネサンス様式、バロック様式、ロココ様式、新古典主義(美術史のみ)、ロマン主義、写実主義(一部自然主義と混同)、印象主義、後期印象主義、世紀末美術、アールヌーヴォー、シュールレアリスムなどなどを実年代ではなくて、文化や思想のカテゴリーで時代区分をする文化史の方法論の形式であり、その時代の特徴を大雑把にまとめたものである。
文学部の外国文学専攻出身の僕は学生時代、この類いの講座を物凄く履修している。もっと言えば履修しなくて良いモノまで履修している。文学好きなアホの行動である(笑)。この情熱、今の僕に欲しいモノだ。
勿論選択科目、必修科目にも「○×文学史」などという講義がわんさかあった。ちょっと大袈裟に言えば、ヨーロッパの国や地域の数だけ講座がある感じだ。
例えば僕の好きな十九世紀の芸術文学論なら、ロマン主義といえば、一般に文学ならワーズワース、ルソー、ゲーテ、森鴎外、音楽ならショパン、シューベルト、リスト、美術ならターナー、ドラクロワなどのジャンルこそ違えど、みなロマン主義の思潮に乗った旗印のもとで作品を発表した芸術家なのである。なので人によっては様式論とは言わずに「芸術思想論」などと換言する人もいる。
ちなみに各国全てで登場する様式名もあれば、局地的な様式名もある。
ロマン主義はヨーロッパ、アメリカ、日本にも伝播した芸術思想なので、世界的なムーブメントであるが、ロココなどはフランスの一部、ラファエル前派はイギリスのみ、ロマン主義の分派である
ちなみに美術では最後の芸術思想はナビ派と言われることが多い。ただこれは一部の専門書の区分でそう言われているだけで、その後も人間の文化はグループ分けが好きなので各ジャンルでそこそこ生まれている。キュビズムやダダからの進化形でシュールレアリスムは美術、文学で発展するし、
「じゃあ、そういう名称があるのは分かったけど、ロマン主義の思潮、共通概念はどういったイデオロギーなのさ?」という質問が来そうなので、特徴を挙げると、おおよそ三つの意味にまとめられる性質がある。
❶壮大さ、荒々しさ、煩雑と静寂、激しい情熱
❷自然との調和、果て無き旅、旅情、局地的な風景や地域性への賞賛
❸美術なら新古典主義、他なら古典主義やロココ様式への反復作用
というのがおおよその文化史の書籍には類似傾向も含めて書かれている。
具体例で行こう。ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」なら例えやすい。フランスという国家的な地域性とデッサン技法に基づかない誇張やデフォルメの構図を許した構図。人体の比率、直線的、幾何学的な理路整然とする新古典主義のような調和でなく、イメージを彩る煩雑さが前面に出たモノである、と一般に捉えられている。
同じロマン主義でも視点を変えてターナーの「雨、蒸気、速力-グレートウエスタン鉄道」なら、
森鴎外では『舞姫』は異国での果て無き人生観や旅情を回想するもの。また与謝野晶子の『みだれ髪』は恋愛を情熱的、叙情的にしていると言われている。
そして局地的ロマン主義の代表は、イギリス特有として、牧歌的ロマン主義というパターンが伝統のように囁かれ、自然賞賛、自然回帰の概念で成立している。詩歌ならワーズワース、湖水地方の豊かな自然を謳ったり、絵画ならコンスタブルの牧場や農場の穏やかな風景、
こういった各項目のパラメーターを纏った芸術作品をひとつの時代としてカテゴライズしたモノがロマン主義と世間では呼ばれている。
ちなみに印象主義なら技法としての点描、色使いとしての光源や補色、中間色の当て方なども共通のアイテムとなる。それぞれの様式にそれぞれの特徴が存在して、その時代や流派の概念が根底には存在している。
光源としての太陽を一つのシンボルと捉える動きも見逃せない。ここに被せたのは音楽の印象派たちである、ドビュッシーやラベルなどだ。ハープの音色を陽光に見立てることで、彩色の豊かさを音で表現している。油性絵具の明るさを試みた美術の印象派を追った形だ。高村光太郎などは自分の目に見える色があれば「それを描けば良い」という印象派の教えを作品に活かしているという。
興味のある方はそれぞれの様式や流派の特徴を頭に描きながら芸術鑑賞をするとまた違った角度での芸術鑑賞が楽しめるのではないだろうか。
どっぷりと道楽的芸術思想を囓ったことのあるポンコツおじさんの芸術史、文学史の
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