第109話 食べ物の話
僕の好きな食べ物。少し考えてみた。ほうれん草ごまあえ、茄子と小松菜の煮浸し、レバニラ炒め、野菜炒め、ハンバーグ、玉子丼、マグロ丼、牛丼、肉じゃが、煮物、焼き鳥丼、アジフライ、干物等々。まあ、ほぼ全部自分で料理するモノだ。まあ焼き鳥は出来合モノを買ってくるし、マグロ丼はのせるだけだが。
昔、子どもにつくってあげていたのが、僕特製の「なんちゃってそぼろ」。これをご飯にかけると恐ろしく食欲があった。普段の二倍はごはんをたべてくれた(笑)。 ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつける、毎日のルーティン、そんなとき大活躍のメニューだった(笑)。
この料理(料理なのか?)大学生の時に大量のそぼろが食べたくて、見よう見まねで作ったのが始まり。
フライパンに油を落として、合挽のお肉を炒める。すぐに醤油とサトウとタマゴ、それにみりんを微量、まぜてとろ火で延々、焦がさずに炒り卵を作る要領でかき混ぜる。サトウが多いので焦げないようにするのが唯一の注意点。ただそれだけの料理。それをご飯にかけてたべるだけである。
ただ昨今合挽のお肉も結構値段があがっているので、なんちゃってのわりに高くつくのであまり作ることはない。
お肉は普通に豚きりおとしや鶏の胸肉などが安く手に入るので、そう言ったモノで豚丼や煮物を作る方が安上がりである。しかも野菜もとれるし一石二鳥だ。タマネギやジャガイモ、ニンジン、ネギ、白滝、厚揚げなどと煮たり、あえたりするだけで、美味しい和食になる。
料理ではないが、生麺類、即ちラーメン、そば、うどん、そうめん(これは乾麺が多いね)、そしてもろ味噌や納豆、冷や奴なども手間いらずの食事なのでわりと好きだ。
そもそも僕の育った佐野や足利近辺は僕が子どもの頃は三食すべて麺が出てきてもおかしくないほどの麺文化の地域だった。麺類のことを「めんこ」と言う。「はあ、夕飯はさらさらっと、めんこで済ませんべや」という言葉を祖父母と一緒に暮らしていると何度聞いたか分からないほどだった。すると晩のメニューにはうどん、そうめん、ひやむぎが出てくるのだ。生姜とネギ、ほうれん草と油揚げが入った温かな醤油味の付け汁と一緒に。
やはりそういう地域性だったのもあり、僕が大学生の頃には佐野ラーメンというのが市民権を得て、ご当地名物になった。それまでも乱ぎり麺、薄色スープのラーメンはラーメン屋とか、町中華、食堂にいくと、結構普通に存在した。それこそいも串と一緒に注文できた店もあった。そして法事などでなぜか出前の寿司と一緒にあの澄んだスープの乱切りラーメンも出前で届いて、親戚のあつまりでの食卓の定番だった。だから僕はいまだに佐野ラーメンを食べると、親戚の家での集まりを思い出す(笑)。まあ、美味しいし、結局、好きは好きなのだ。
公務員を退職した祖父は畑をやっていたので、いつでも畑に行くとなす、きゅうり、プチトマト、トウモロコシ、ネギ、菜っ葉などが手に入った。なので僕が子どもの頃のあの家では野菜を買うという習慣がほぼなかった。
そうだ、食生活の面からも正真正銘の田舎者ということが実証されただけである(笑)。でもあの当時お隣の足利市は大都会だった。県都に次ぐ第二の都市だった。県立図書館も百貨店もあり、放送局や新聞社の両毛地区の総合支局、公開模試の会場もあった。映画館も多くあって、娯楽のほとんどは足利だった。
そんな都会の隣の田舎にある僕の生家であり、かつ祖父母の家の昭和の中頃の食生活と食べ物のはなしである。昭和は遠くになりにけり、ってか。ではまた。
追記 本日夏越大祓が終わった。神事も参加できて満足。今年の後半も頑張ろう。
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