第97話 着想とイメージ-概念表現と具現化-

 概念表現って、文字にすると結構堅い。僕の書く内容はそんなに堅くない。

 SFは基本概念表現が多い。着想自体が概念の具現化というのが多い。じゃあ、SFだけの方法論なのか? というとそうでも無い。児童文学にも多い。例えとしては、設定概念ならスイフトの『ガリバー旅行記』、人物概念ならバリーの『ピーターパン』かな。両者ともに何かを代弁している。かたや政治思想であったり、かたや心理象形であったりする。両者を上手く合体させてSFにしたのがエンデである。

 エンデはあまり覚えていないのと、僕より詳しい人がカクヨムさんには多そうなので、控えるが、スイフトのガリバーに限らず、ルソーなども設定概念を使う。なぜなら架空の世界の話として、理想郷や体制批判の道具として使われて来た歴史がある。

 今日ではおとぎの国に迷い込んだ巨人ガリバーというファンタジーのように扱われ児童文学とされているが、書いた本人大まじめの社会派である(笑)。

 十八世紀前後まで、検閲の際に露見し、時の権力者に逆らうものと分かると鉄格子のお家に収監されてしまうため、架空の世界を設定して、そこで社会批判などを行う作家が多かった。どの国にも探せば一人や二人はいるようだ。

 ゴールドラッシュや金本位制、はたまたプロレタリア的な視点で世の中を皮肉った内容などの富裕と貧困を扱ったものや、民主化のための権力者への抵抗などを物語にした作品もごまんとある。SFでこれをやった人は、地底人の国、未知の惑星が舞台の話と言って言い逃れの材料にしたのだろう。これも結局は時局やコンテンポラリーなメッセージの道具となっているので、今更感はある。

 そして現代に生きる僕はこういう物語はSFとは少し違うかな、と違和感を持っている。科学的未来世界や宇宙世界の人間ドラマや冒険ロマンなどを描くのが僕の考えるSFだからだ。その中に一部、微量の味付け程度に上の社会派的な内容がある分には問題ないが、主題がそれだと個人的には読みにくくなる。

 マンガで例えるなら、コスモクリーナーを取りに行く宇宙戦艦ヤマトはおおざっぱには環境にも繋がる。機械の身体をもらいに行く銀河鉄道999は機械世界を危惧する未来への警鐘と捉えることも出来る。こういった一般的な大義名分や万人共通の余地を残しておいて、特定層をターゲットにしないで皆の読み物でないといけない。設定概念を間違えるとプロパガンダ的な御用作品に落ちてしまう。エンターテイメントではなく、啓蒙家の教科書になる。


 一方でピーターパンのように……。心理面で幼い頃に自分の中にいた自由な生き方の概念が人物化したのがピーターパン。大人になると忘れてしまう概念の具現化だ。この類いとしては『ジキルとハイド』にも繋がるが、人格の概念化、そのイメージの具現化したモノが自由に動くと言うことだ。勿論『ジキルとハイド』はSFではない。けれどそれに近い内容だ。心の中の葛藤という心理支配を巧妙に使った文学ならではの作品である。

 こちらの分野も扱い方を間違えると道徳論に隣接してしまう。自分の考える正しいことの押しつけを平気でするお馬鹿を生み出すことになりかねない。世の中は様々な見地の人間がいるので、必ずしも自分の言っていることが正論だと思わないことであるし、それが理解できている人は道徳を押しつけたりはしない。自ずと自分だけで実行するのである。場所や時代が変われば正しさも変わるのだ。

 なのでピーターパンは決して清廉潔白な存在では無い。けっこう邪心と無邪気の狭間で無茶を言う存在だ。だって子どもなんだから。

 ファンタジーが児童文学と密接に絡む理屈の原因はこう言った心理効果を物語に載せることに成功したためと考えられている。でもこのセオリーは賛否両論存在している。ここで詳細は割愛するが、ピーターパンやティンカーベルなどを含む妖精などの存在を子どもたちに教えても意味は無いとする考えもある。実在しないものを見ようとする非現実主義の拠り所になるためらしい。

 でも考えて見れば自己体験ではあるが、「のんのさん」と祖父母が言っていた神さま、自然とピンチにあったときに「神さま助けて!」とおさな心の拠り所になっていたのも事実だ。いもしない妖怪が夜に自分のところに来るかも知れないから、神さまに助けてもらって、夜は家から出ないと誓っていたのも幼い自分だ。

 結構自分の心の成長には意味のある存在であった。実際は心の中にしかいないのかも知れなくても、気休めでも、子供心に人ではない「なにか」にすがったり、遊んだり出来るのは心の豊かさに繋がると信じたい。そもそも説話文学という古典作品は八割はそう言った部分から派生している。戯作と近代文学は除くと今存在する物語は昔話や民話というその類いとなる。『ゲゲゲの鬼太郎』や『ドロロンえん魔くん』の世界だ(笑)。


 なんか話が必要以上に膨らみそうなので、この辺でやめて、まとめにしたい。設定概念を具現化することはプロットで作る場合と人物概念のイメージや要素であるキャラクターで作る場合の二つが存在する。そう、あれれ、物語創作の二大要素、プロットとキャラクターに自然と繋がっているのである。だからSFやファンタージ―作品を作るときに、SF書きは先にイメージ図を作る人が多いという。僕もそうだ。毎回書き足していくような新聞連載小説っぽい書きかたは不得手だ。やっている人もいると思うが、僕は違った(最近は神明社シリーズなどで付け足しプロット手法でやっているけどね。ようやくできるようになった・笑)。世界を先に構築して、その中で人を動かしてプロットを作る。スジが出来てきたら、詳細なキャラクター性格を付け足して生み出す感じである。すなわち僕程度の凡人でも作品の善し悪しはともかく、概念をイメージできれば、SF小説らしきモノは書けると言うことになる。あくまでらしきモノである(笑)。なので概念のイメージを訓練するのが大切なのかな? まあ、カクヨムの書き手の皆さんは僕よりよくご存じだろうから、ここではなにも言いますまい。

 ではまた。


※来週は休載します。なので今週二本アップしました。

 


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