第74話 巫山の夢といきたいものだ
CDショップに行って訊くと例の青盤は特典なしと言われて、出鼻くじかれた(笑)。なのでいつでも良いということが判明。急ぐことも無く価格がこなれた頃に考えることにした。赤盤、青盤の両方を揃えたいしね。今持っている古いヤツはどうしようかな? 知人にあげようかな? 売っても二束三文だろうから、あげて、一杯おごるよ、って言われた方がお得かも(笑)。
さて本題に入ろう。今回は真面目に人生哲学の真似事。
ほぼほぼ人生のリタイア組に入る僕だが、未だにこだわりとかあるのだろうか、とふと考えてみた。
いまも、いままでもわりと諦めが肝心というのを常にしていた。こだわりや諦めの悪さを、年長者の意見で、若いときに粘りとして美化させてやってみたこともなくはない。しかし今や、おおよそ平成末期から令和の時代はそういうのは、たいがいガバナンスやコンプライアンスの兼ね合いから敬遠されている職場が多い。ムリしないでくれ、というらしい。
ほんの十年ほど前は、今で言うサブスク、携帯電話やデジタル回線のプロバイダーなどの粘り営業や紐付け営業が流行り、また客には嫌がられた時期だ。年配者にはわかり難く、勝手に契約されないように、と注意することが、ニュースなどでちょっとした話題に上がることも多かった。僕自身もなかなか解約させてくれないので
かつてこだわりや粘りが美化された時代もあったが、平成の初めまでには、恋愛や営業などにおいてはすでにその限りでは無くなった。フラれて諦めの悪いは良くないし、しつこい営業も嫌われる。僕はそういう立場にはいなかったが、そういう社会的なパラダイムと思って、場所や職は違えど、共時性を重んじ慣例に従うようにしている。
過去を懐かしむ懐古主義は決してイケないことでは無いし、むしろ奨励できることなのだが、古くなった社会ルールを自分のなかで更新していかないと何をやっても上手くいかない、世間とずれを生じる、摩擦や軋轢を感じる立場に自らを追い込んでしまう。最近、上手くいかず、すぐにその違和感に感情を出す人が目立ち始めたのは、たいがい過去に会得した自分の経験や生活習慣と、世の中のルールが一致していないことに起因する場合も多いようだ。世代間のギャップもその現象のひとつだ。
大人しく自分の立場でコツコツやることが今の時代に合っているのかな? なんて気持ちで、ここ十年ぐらい、僕自身は自己矛盾を消去しているのである。
もともと爪の先も無い人生など諦めかけている仙人生活なので、こだわりもなければ、仕切り屋でもない僕。出来る範囲で、ただ淡々と仕事を真面目にこなし、淡々と家事をこなし、文章を書いて、身体を休めて、そのルーティンで毎日を乗り切っているだけの生活だ。
音楽と文章、僕の好きなモノがすぐ近くにあるのも幸せなのかも知れない。ショパンを聴きながら、物書きをする、癒やされるこの時間が僕の小さな励みになる。夢なんかこんな程度で良い。あとは十分な静養と実入りで生活が楽になればもっと良いけど(笑)。
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