第67話 僕のエッセイ(ブログ)の性質?

 随分と以前に、まだブログをやっていた頃、エッセイのコンテストに応募すれば良いのにと言って下さった方がいた。とても有り難いことだと感謝はしたが、このエッセイを読んでいる方なら分かると思う。僕の書くエッセイ、とてもそんな技術やセンスの代物ではない(笑)。

 実際、その応募者の作品を見たが、珈琲のスペシャリストやDIYの達人など、文章じゃ無くて、機材が揃えばYouTubeでも作品をアップできるような洗練された内容が多かった。僕の書くような、のほほんとしたゆるいエッセイ、とてもそれらに太刀打ちできない(笑)。


 ブログから始まったこのエッセイは、単に人様にご迷惑のかからない程度に、適当に話題を設けて、ただ徒然に書いているだけだ。カクヨムの前にやっていたときは、文学の他に芸術と生涯学習活動の案内なんかの情報も載せていた。後者は自主廃業中である(笑)。そんな訳でゆるい僕のエッセイは現在、小説と身の回りの出来事(ほぼ日記?)というお茶目な内容になっている。


……とは言っても吉田兼好や清少納言、紀貫之のような感受性豊かな、文化の素養を持った内容でも無いので、「あー、あれ好き」とか「あー、そこ行った」とかというのを書くだけだ。さりとて社会派でも無い僕は、時事問題など扱えないし、とんちんかんな内容になりそうなので避けている。すると知的好奇心という立場から見れば、このエッセイを面白いとは思わないし、知性のかけらも無い(爆)。まあお暇つぶしに寄っていってねえ、って感じの小規模なものだ。


 なので、僕という人柄を概観的に見て頂くか、作品の意図や創作の工夫を知って頂く程度の説明内容になる。このエッセイの目的などはそれで十分だ。このエッセイごときでコンテストを戦うなどおこがましいにも程がある(笑)。


 ただ作家のエッセイを読むのは好きで、眉村さんの奥さんとの二人三脚の生活や、遠藤周作さんの客観的な世間を見る目、筒井さんの世間を俯瞰するエッセイなどは、それぞれためになり、面白く読んだ。

 またよく現代文の問題などに出される小林秀雄や増田四郎などの学者の随筆もそこそこ読んだりもしてきた。


 エッセイというのは、気ままな文章という僕の定義とは裏腹に、レトリックの施された技術を持つ教養を隠し味にした日本語の「随筆」という言葉が似合うモノが評価の対象なのかな? と長いことを考えてきた。勿論、人それぞれなのも十分に承知の上だが、僕ごときの経験値程度で文化の集積である随筆を試みるのはまだ時期尚早と思い続けている。


 そんな僕の文章だが、おそらく小説の文章が一番しっくりいくのだろう。それもSFやショートショートの類い。出来の善し悪しや上手い下手はともかくとして、向き不向きでいえば、このジャンルが一番しっくりいくのかなと感じる今日この頃である。今週はなんとかこのエッセイ、アップ出来た。ではまた。


 

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