第37話 七〇年フォーク後期の頃に
ついに桜の季節。僕の好きな季節である。横浜のお伊勢さんも、舞い散る桜の花びらを纏って着飾る季節だ。ここ数週間忙しい毎日を送っていて、まだあと少しだけ忙しい日が続きそうだ。今週もきつかったのだが、なんとか時間をつくり、エッセイだけでも更新しようと奮起してみた(笑)。
僕が青春と呼べる時期を送ったのはきっと八〇年代なのだと思うのだが、音楽で心を打たれ始めたのは七〇年代の頃だった。もしかするとオンタイムではなくて、少し前の曲も覚えていて、真面目に聴き出したなんていうものも含まれているはず。
「秋の気配」、「路地裏の少年」、「青春の影」、「旅の宿」、「安奈」、「いちご白書をもう一度」、「夕暮れ時はさびしそう」、「学生街の喫茶店」あたりを今でも聴くと心がじんわりと緩むのが自分で顧みても興味深い。
僕は五十を過ぎてから、何故か見た目よりも若く見られることが多くなった。これらの曲を知らない世代だと思われるようだが、しっかり物心はついていた。登下校にはランドセル背負って鼻歌で口ずさんでいる。
クラスメートはスーパーカーの写真とピンクレディーの振り付けに夢中になっていた時期だ。僕はこれらラジカセのフォークソングと一緒に『マカロニほうれん荘』や『すすめパイレーツ』、『らんぽう』を読んでいた頃である。
皮肉なもので、二十代の頃は見た目、三十代などと言われ、若い時は年齢よりも上に見られていた。人生というのはどこで変わってしまうのか不思議なものだ。
「路地裏の少年」は今でも聴いていると心が締め付けられる。「秋の気配」と「青春の影」は気持ちが鼓舞されながらも寂しい気分になる。対して「旅の宿」は、小さな幸福感を感じるものだ。この時代の曲は素朴でシンプルな分だけ心に刺さる。
特に最近は「秋の気配」がお気に入りだ。二人の時代のオフコースが好きで、自然と口ずさむことも多い。ここに挙げた「秋の気配」も「路地裏の少年」も、どちらも横浜を歌っているのだが、対照的な歌詞で興味深い。なんというか、比較すると心に思うところがある。
家の窓から夜桜を見て、そんな感傷的になるのも季節のせいなのかな? 忙しい毎日がそうさせているのだろうか? おセンチな春の戯言を綴ってみた(笑)。ではまた。
※前回の近況ノートにも書いたのですが、来週辺り、うーんいや、中旬になるかも、……に一段落しそうなので、その後♥と★のお礼行脚に伺う予定です。留守にしまくりで失礼しております。
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