第36話 和菓子と供物の話

 僕は古社古刹にお参りするときに楽しみなのは和菓子と供物である。もちろんお参りが本分ではあるが、これらがお参りのご褒美となることもあった。各地の参道脇には結構な頻度で、和菓子屋があり、社寺の境内の御札配布所ではお守りなどとともに供物をいただけるときもある。


 参道の和菓子屋で、代表的なのは伊勢神宮参道の赤福である。定番中の定番かな? 直接は関係ない余談になるが、かつて赤福の関連会社であるマスヤさんで、「おにぎりせんべい」大使というのをやった事がある。楽しかった。いまでもたまに食べたくなるおやつである。そもそもの起業のきっかけは、和菓子や仕出しなどの材料仕入れに融通が利く、商売がら、それを活用して、「お米を通して、子どもたちに健やかな食生活を安価で提供したい」という思いから、かつての赤福の社長さんがはじめたそうだ。


 話を戻そう。同じ伊勢の二見興玉神社ならお福餅である。見た目は似ているが、あちらが五十鈴川の波を表すあんこなら、こちらは夫婦岩で有名な二見ヶ浦の波を表しているそうだ。


 鶴岡八幡宮なら鳩サブレー(洋和菓子のような菓子だけど)。また半月うさぎも、最近は有名だ。江ノ島参道のしらす丼としらすコロッケ。浅草観音は雷おこし、西新井大師なら草だんご、川崎大師はくず餅ときり飴、足利の織姫さんと大日さまなら最中。熱田神宮のきよめ餅。京の加茂社はみたらし団子。日光東照宮は甚五郎せんべい。大神神社は手延べそうめん、深川八幡はあさり飯。


 昔ながらの参道脇の仲見世に並ぶ名物のお菓子やお土産。古き良き日本の伝統文化を伝える和菓子や食事を通して歴史を学ぶというのも案外いいものである。伊勢のおはらい町やおかげ横丁、鎌倉の小町通りや若宮大路は休日ともなれば、人混みで通りは埋め尽くされる。こういうところで古き良き伝統に触れる機会を持つ人達は幸せものだ。


 その昔、僕が祖父母に連れられてあちらこちらの社寺を回ったとき、昭和四十年代のお参りというのは、参道脇にある和菓子店、写真館、おもちゃ屋さん、仕出し割烹店を使うというのがお参りと一体化した定番だった。お祝いごとや社寺参拝に必須の業種だったのだろう。

 多くの社寺でお祝いごとをするたびに、ご祈祷が終わってからの座興として、暮らしのバロメーターや親族行事の中に、これらのお店が密接に結びついていたはずだ。だから各地の古社古刹の参道両脇にはこれらのお店がお決まりといった風に軒を連ねていた。


 内容的には、七夕頃の花火や七五三の千歳飴はおもちゃ屋さんに置いてあった。長寿のお祝いごとは仕出し屋さんで予約をして、感謝のお参りののちに身内で食事をした。七五三、お食い初めなどの子どもの成長を祝うときに写真館は必須の場所だった。そしてお気に入りの社寺の名物をお土産にして、お祝い返しの品を選ぶことも多かった。そんなニーズからいまでも上述の大きな社寺の参道では、こういった習慣は生きているはずだ。


 ただ地方都市の中規模以下の参道仲見世は難しい局面を迎えている。

 時代も変わり、町も変わり、生活様式も変わった現在。伝統文化を自然な形で伝えていく、そして残すための秘策が、こういった仲見世からまた生まれてくれることをひっそりと願う僕である。どうやらそんなヒントは、自然発生的に民間から生まれるもののほうが長続きする秘訣のようだ。ニーズから生まれるものだからだ。


 そんな各地の寂れてしまった仲見世、昭和までは社寺と一体化して賑わっていたはずだ。地方都市の弱体化、人口減少が原因と言われて久しい。参道脇の仲見世がまた新しい形で業種を変えても、その時代に合ったお参りに必要なお店で満ち溢れていくことを切に願っている。


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