第35話 SFにまつわるよもやま話

 今回は前回の続編という側面もあるお話をしていきたい。SF小説というジャンルは、他の小説ジャンルとは少し違うユニークな一面があると僕は個人的に思っている。

 もとを辿ればジュール・ベルヌなどに代表される「空想科学小説(サイエンスフィクション)」が定義なのだが、今はそんな厳密な区分で話す化石のような人はいない。いたら国宝である(笑)。もはや、おとぎ話もファンタジーも内容次第ではその枠内に入ってくる。


 現代におけるその最たる顕在部分に「星雲賞」という賞の存在がある。この賞の存在が、SF作品を愛するようになった僕の読書生活の一因でもある。その昔からある、権威の申し分ない賞である。


 別軸にはなるが、文学には芥川賞や直木賞という絶対権威、世論沸騰の賞もある。今風な言い方、無敵で「鉄板な文学賞」だ。

 当然、僕の学生時代には純粋なSF作品はこれらの文学賞に該当しないというまことしやかな噂があった。本当のところはどういう基準、システムで選んでいるのか、などは知らないし、僕自身あまり考えたこともない。ただ作家の筒井康隆さんはご自身のエッセイ著書のなかで、この事実にSF作家の悲哀を嘆いていたのを覚えている(お得意の自虐パロディー文章かも知れないけどね)。


 一流文学の賞とSF小説のローカルな賞という位置づけと把握なさっていたのか、そこの境目がSF小説書きにとっての見えざる境界線みたいに感じられたのだろうか? でも小僧だった僕には格好良く見えた。小松左京さん、筒井康隆さん、星新一さんなどのSF大家、それに匹敵する眉村卓さんや新井素子さん、半村良さんなど、僕の青春時代を彩った小説の半分はSF小説である。


 話を戻すとこの「星雲賞」、別に小説の賞に特化したものではないし、翻訳ものもその対象に入る。即ち、換言すれば、創作小説、翻訳小説、コミック作品、映像メディア・コンテンツなどのミックス企画も受賞の対象なのだ。だから漫画家さんも、アニメや特撮の監督さんや脚本家さんもその対象に及ぶ。SFに限ってはいるが、現在のようにコンテンツ全てを含んだ対象として、ノミネートが行われているのである。いまなら当たり前の概念だが、既に高度成長期からその概念を保持していた賞なのだ。


 例えば筒井康隆さんや眉村卓さん、小松左京さん、新井素子さんなどは何回も日本小説の部門(長編、短編を含む)で、おなじみの顔ぶれだった。一方のメディアやコミックなどの各部門では竹宮惠子さんや松本零士さん(※総監督として受賞)、萩尾望都さん、高橋留美子さん、宮崎駿さんなどの名前もあり、海外勢ではルーカスやゼメキス両監督の名前も挙がる。


「星雲賞」は若かりし頃の僕にとって、物書き趣味の羅針盤だった。

 今思えば、その先頭を走っていた眉村さん、星さん、筒井さんは憧れだったのかも知れない。なので芥川賞などの文学賞も素敵だなと思う反面、僕のレールの舵取りはなぜか「星雲賞」だった。この頃から僕の独特の思考におけるプライオリティ(優先順位)はそこそこ「星雲賞」を参考にしていたようだ。新井素子さんの『グリーン・レクイエム』を読み終えた時、素直に「いいなあ。羨ましい。こんなの書きたい」と感じた。今で言う環境問題の走りだ。植物をテーマにした異類譚の走りでもある。同様に『風の谷のナウシカ』も劇場まで出向いて観ている。


 現在はあまり気にかけることもなくなってしまった「星雲賞」。今思えば、若い時分の僕にとって、当時の「星雲賞」受賞作品は芥川賞や直木賞に並ぶ価値基準だったのかもしれない。そう一目置く作品の宝庫だった。

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