第9話 日が暮れて夜が明けちゃう話
「このタイトル、どういうことか?」
簡単である。僕にマッカートニーの話をさせたら、相手が聞いていようがいまいがお構いなく話し続けるということだ。
まずネタが尽きない。レノンとの出会いからバンドに参加、ハリソンを誘ってレノンに紹介するなどの十代のあたり。キャバーンクラブというリバプールのライブハウスで活動していた話。ジョニーとムーンドックス、クリケッツ、クオーリメン、そしてシルバービートルズを経てザ・ビートルズへと至るアマチュア時代。トニー・シェリダンのバックバンド時代。
甘いマスクのドラマー、ピート・ベスト。レノンの美術短大時代の友人でおしゃれなベーシストのスュチュアート・サトクリフ。そこにデッカ・レコードのオーディションからEMIへのデビューで知り合うリンゴ・スター。そしてプロデューサーのジョージ・マーティン。
この頃にはおきまりのマッシュルームカット。そしてレノンはリッケンバッカー、ハリスンはグレッジ、マッカートニーはヘフナーベースとトレードマークのような楽器を弾いていた。
デビュー後の公式英国オリジナルアルバムの楽しみ方や米国オリジナルアルバムの楽しみ方、そして日本オリジナルアルバムの楽しみ方もある。即ちデビューアルバムの『プリーズ・プリーズ・ミー』からラストアルバム『レット・イット・ビー』までのグループ名義のアルバムを基準とした年譜。
エドサリバンショーでの全米大ヒット。日本にも来た極東を含めた最後のライブツアー。『ハード・デイズ・ナイト』、『ヘルプ』、『イエロー・サブマリン』、『マジカル・ミステリー・ツアー』、『レット・イット・ビー』などの映画作品。切り口はいくらでもある。
その後ソロアルバム『マッカートニー』をリリース。シングル「アナザー・デイ」のヒット。ウイングスを従えて学園祭で全米を回る。
「007/死ぬのはヤツらだ」の主題歌、レノンへの追悼「ヒア・トゥデイ」、1980年代のCD化で再度ビートルズのアルバムのHOT100チャートインがおこる。1989-90年にかけての再びソロになったワールドツアーで、念願の東京ドーム公演。
ワンダー、ジャクソン、コステロなどとのコラボ作品。そして2000年直前にはビートルズ名義の「フリー・アズ・ア・バード」を発表。レノンの遺作をハリソン、スター、ジェフ・リンとともにアレンジして作品化した。衰えを知らないマッカートニーである。
どこからでもこのひとの話題、のっかれるし、語れる。多分他にここまで好きなアーティスト、歌手はいないと思う。当然、共同製作者であったレノンの情報もやはり覚えている。だからどちらの話題にも加われる。そのうちシリーズでも立ち上げて語りたいくらいであるが、上には上がいることも知っているので、おとなしくしている(笑)。まあ機会があれば楽しい談笑に加わりたいという感じだ。楽しさを忘れて、議論や音楽一徹になるとちょっと僕の手には負えなそう(笑)。
好きな人同士の夜通し、酒の宴の談笑で夜話として語り合いたいものである。マッカートニーの曲や歌詞、アルバムで楽しむのがいいと思う今日この頃である。
なんたって1990年代に訪英の際、真っ先に向かったのがロンドンのベーカー街、「ホームズミュージアム」と、リバプールの港湾ドックにつくられた「ビートルズ・ストーリー(博物館)」なのである。もちろんマージ-川も、エリナ-リグビー像、キャバーンクラブも行ったのはいうまでもない(爆)。
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