第8話 プロットと主題って?

 僕が小説の主題を選ぶときはもうほとんど決まっている。「愛」、「恩」、「夢」のほぼ三つ。おそらく今風のものを書かれる方々からすれば単純に見えるものばかりだ。でもそれが僕にとっては一番の創りやすい世界観なのだ。どんな方も世界観は自分の自己体験が多少なりとも影響している。読んだり、影響を受けた作品にもよるだろう。

 時代小説なら「忠義」みたいなのを出す人も多いが、これは「恩」のひとつである。家族愛、親子愛、兄弟愛、動物愛護などの感動物、そして王道の恋愛小説なら素直に「愛」であるし、青春小説に欠かせないのが「未来」や「憧憬」であり、ほぼ換言すれば「夢」となるものが多い。すなわちジャンルはともかくこの三つのテーマに沿った人間模様を描くことで物語は成り立つ場合が多いと言うことだ。

 ただし最近は「チート」というサイコパワーに絡む「してやったり感」や「騙し合い」、「歪んだ正義」などという正論とは逆の立場の視点なども多く散見するが、隠し球だらけのそんな思考模様は、僕にとって高度すぎて扱うことが出来ない。単純な頭にはシンプルな物語がお似合いなのだ。


 そんな作品鑑賞において、得意がって自負する部分がとても少ない僕がお伝え出来るものとしてプロットのコーティングのお話だ。同じ筋立てでも、それを包むものが違えば違うお話に化けるというエピソード。僕のような拙いものでも、あるいは単純な主題でも、描きようによっては自分の世界観を広げてみせることが出来そうだというお話。

 たとえプロットが同じでも、小道具や社会環境(時代背景・場面設定)を変えるだけで別のお話になる。

 ここでは、おとぎ話のような説話的発想と現代の習慣から生まれる社会生活的な発想の二パターンを用意して遊んでみよう。

 まず昔話の例からだ。ある山奥の神仏への信心深い若者が、道に迷っていた高貴な身なりの旅の女性を里まで案内するという物語設定をたてよう。それで、彼女の訪問先である目的地、里の家にお連れする。その女性の訪ね先は、なんと神主である若者の伯父の家だった。しかもその女性は、その神主や若者が信仰対象にしていた神仏の大きな社のある門前町から来たひとだった。これがご縁で神や仏のお導きで二人は夫婦になった、というめでたしの話。これが私の言う説話的発想である。芥川などはこういう類いの物語を書くのが上手だ。

 一方、ある田舎町の若者が通学途中に、黒塗りの外車に乗った女性に呼び止められる。お付きの者を通じて彼女は目的地である華道の家元である知人の家を訪ねる途中と伝えられる。若者はその家を知っていたこともあり、一緒に車に乗り込んで、道案内をする。着いた先は自分の伯母の家だった。実はその案内役の若者も華道一族の一員であり華道の師範だった。なので彼はその黒塗りの彼女よりも遙かに腕の立つ、美しい花を生けることが判明する。やがて二人は共通の趣味から恋に落ち、めでたしめでたし、となる。これが社会生活的な発想からくるものだ。媒介物が神仏から華道や家柄に変わっているが、物語としては同じ筋立てである。

 当たり前の事だが、プロットは同じなのに、小道具と社会環境を変えるだけでテイストが驚くほど変わる。しきたりや時代設定も読み手にとっては興味を持つための大きな動機になることは間違いない。これを上手く活用して大ヒットさせたのが『ウエストサイド物語』と言われている。もとはシェークスピアの古典文学。ところが小道具を入れ替えるだけで当時の若者が飛びつく新しさを持った現代作品に化けて大ヒットしたという訳だ。このあたりの設定変更に関するレジェンドは逸話として、いろいろな場所で解説されているので調べてみると良い。


 非才な僕にはこんな物語を構築することは出来ないが、理屈を知っているのと知らないのとでは随分世界観が変わる。ただ自分の書きたいまま書くのも才能なら、技巧的な中から描けるものをピックアップできる器用さを持つのも才能である。

 まあ、才能のない僕が言っても説得力はまるでないのだが……。あしからず(笑)。


 



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