第4話 大切なもの
それなりの人生とか、幸せを探すとか、人は人生の節目やなんかのイベントの時に必ず願望を混ぜた感想を言いたがる。「いつかは大きな舞台で……」、「夢はレーシングチームのピット整備士……」など果てしない可能性に向かって躍進を試みる爽やかな人々を微笑ましく思う。そして素直に応援している。若者だったらきっとそれが「大切なもの」なのだろう。
疾うの昔に幸運を諦めた僕には縁のないことと思っている(笑)。実際に、二十五歳を過ぎたあたりから自分自身の願望など叶ったことはほとんどない。思い通りに事が運んでいる人に「良かったね」と素直に言ってあげるだけの人生である。だからといって、幸運な人へのやっかみや嫉妬もない。努力した人はその恩恵を受けるべきだし、運の良い人はチャンスをモノに出来る何かを持っているのだ。完全に客観視できる年齢になった。
残念ながら今のところ、その両者ともに持ち合わせていない僕は、お先短い冴えない人生を無機質に送っているに過ぎない。いわば個々の性質や特性と言った各自おのおのの違いなんだと自分の中では割り切って処理している。すなわち客観視だ。いつかどこかで、僕の事を忘れていなければ、幸運の女神は微笑んでくれるかも知れないので、その時までこの「あるがまま」の生活を楽しんでみよう。
僕が故郷のことを言うと「帰らないのか」とたまにいらぬお節介を言ってくる人がいる。単なる興味本位や親切心で言ってくれた、と思うことにしているが、一方でそこまでのお節介はいかがなモノかとは思う。人には事情というモノがある。疾うの昔に祖父母は星になり、生家はすでに住める状態ではない。そんな意見を言う前に、あの山深い里で暮らすと言うことは、仕事もないようなところで何をすれば良いのか教えて欲しいものだ(笑)。若い人に言うのなら分かるが、僕のような年齢の人に言うのは控えるべきかも知れない。一時的な訪問というのなら出来る範囲でお彼岸などにお墓参りをしているので、それで御恩と礼儀は尽くしている。あとは生活の成り立つ場所で暮らすのが人間社会のあるべき姿である。どちらも僕には大切な場所なのだ。
「思い出や夢ではメシは食えない」という現実主義者が若者を諭すために使う、もっともなご意見をよく聞く。これは『縦割りの考え方』を持った人の意見だと僕は思っている。この選択肢で行くと人生は安定志向、良い大学を出て、銀行や商社などの良い会社や国の公官庁に入ることが一番の幸せになる。国民全てがそれになったら社会が成り立たない(笑)。誰が工業製品を作って、誰が食料を作るのだろう? おかしな理論だ。
『横で割った考え方』で考えるならば、どんな業種でも生活できるラインとそうで無いラインの境界線が重要になる。少なくとも下っ端で良いのなら続けていれば、なりたい職業、その職業には就けるという考え方だ。
サラリーマンをするのならブラックの会社も、超一流企業のエリートも職種で言えば同じサラリーマンだ。シンガーならドーム球場を聴衆で満員にする者も、町の歌姫や流しも同じ歌手だ。行商人のように青空市に出店する人も、デイトレーダーとして何億もの株取引をしている人も同じ自由業である。街角で似顔絵描きをしている人も、画伯となって大作を仕上げる人も同じ画家である。
嫌な仕事をやり続けて気を病むくらいなら、副業してでも己の道を歩き続けることが心のバランスになる人もいるはずだ。飽きたらそこでまた取捨選択をすれば良いだけだ。他人の評価と自己満足の折り合いが職業の優劣を決めているに過ぎない。仲間はずれや違和感の押しつけが職業を窄めている風にも思える。耐えられなくなったら、その時は自己責任で諦めて『縦割りの考え方』で異職種に梶取りすれば良い。その時に残された道を選択するだけだ。どちらが幸せなのかは、本人にしか分からない。気の済むまでやれば良いのだ。ものの大小にかかわらず、人様からはなりきったごっこ遊びの延長線上に見えても、気の済むまでなりたかった職業をやってみたい人もいるはずだ。やってみて良かったか、ばからしくなるかは本人次第だ。
おじさんになって人生を振り返った結果は、「生き方」においては人の意見などほぼ参考にならないと言うことだ。各自それぞれ違った生い立ちを持つ。生まれも育ちも出た家も学校も会社も、全てが一緒という人はそうそういない。僕が他人様の自慢話とアドバイスなどというものは、有り難がって聞く物では無い、という信念を持つのはそういうことだ。参考程度に納めれば良いのだが、成功した人や有名人の言ったことを本気で信仰している人を見るとため息をつく。でも批判はしない。それが彼らの生きる糧になることもあるからだ。なんらかの影響となり、困難を脱出するきっかけになるやも知れない。そうなると他人にとっては無駄なものでも、その人にとっては真摯なアドバイスになる。人それぞれだ。「世の中に無駄なものこそ必要なもの」と僕に教えてくれた人をたまに思い出す。
大切なモノ。平常心、心に思う場所と今を生きる場所、自分だけの仕事という価値観、そして無駄なもの。これが僕の「大切なもの」と思える考え方だ。持ち物ではなく生き方なので、あえてひらがな表記の「もの」である。もし漢字の「大切な物」だったら、僕ならギター、CD、文筆道具、書棚の本たちなどになるのかなあ? 結局は助けてくれた人もいるし、ただ自慢話をするだけの人もいる。ビッグネームもいれば、こわっぱもいる。それが社会であり、人生であり、人間生活だからだ。
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