第3話 デジタル社会
普遍的な対立概念の中で、「静と動」、「光と影」というのがあるが、最近は「デジタルとアナログ」という概念も主題にする人が多い。オーディオのアルバイトを長くやっていた学生時代、ちょうどCDが出始めた頃だった。光伝送やらサンプリングやらと制御機器に電子回路の名前が多くなっていったのを思い出す。だがこの頃の「デジタルとアナログ」などは可愛いモノだ。
1970年代から1980年代はアナログからデジタルに移行していた過渡期。商品も時計とカメラ、音響機器などにその特性が顕著に表れていた時期だし、セールスポイントだった。カシオさんは「♪デジタルはカシオ~」などとCMキャッチに使っていたし、1980年代の後半にはCDの売り上げがレコード(アナログ盤)の売り上げを抜いてしまった。
そして決定的にデジタル社会を作り上げたのが1990年代。その顕著たるモノは1995年以降、PCのWINDOWS95のOS出現である(当時僕はMacintosh派だった・笑)。時期を同じくしてEメールとウェブというものが世に出回り、デジタルの波はPCを使って、あっという間に生活習慣を塗り替えた。企業のネットワーク化が進んだのもこの頃だ。
まるでここまでの文章からだとデジタル優位の趣旨を披露しているようにも思うかも知れないが、述べたいのはここからだ。今この時期にレコード針の生産数がピーク時の半分近くに戻っているそうだ。一時期はピーク時の一割を切ってしまい、廃業に追い込まれた関連企業も数知れず。ところがレコード会社もアナログ盤での楽曲パッケージリリースが好調だと聞く。
レコードプレーヤー、すなわちターンテーブルに至っては新製品が登場する事態になっている。とりわけ以前からあるテーブルを回す手法二つ、ベルトドライブ方式とダイレクトドライブ方式に加えて、磁気を利用して駆動させる磁気ドライブ方式という新方式が登場してにわかに活気づいている。限りなく回転数のズレをなくすという正確緻密なレコードプレーヤーが誕生したと言うわけだ。アナログを下支えするデジタルと言った感じの製品である。面白い。
『長所は短所』という物事の二面性はギリシャ・ローマ時代から存在する概念だが、『短所を補い合う妥協案』という止揚法的な感覚で登場したアナログプレーヤーには脱帽である。
そのうち高額商品ではなく、我々が手の届く価格まで落ちてくるのも時間の問題。そうなるとまたレコードがコンテンツの主流のなるのだろうか? スマホで十分な時代になった今、それも考えにくい。まあ、生きているウチにお目にかかれると良い程度に高みの見物と行こう。
追記
最近、藤沢の南図書館が小田急百貨店建物内に引っ越してきたんだけど、便利になったなあ、と感じる。その昔、西武があって、十字屋があった藤沢南口、どんどん寂しくなったんだけど、図書館が来てくれたのは、僕にとって前向きになれる一番の幸せ。市役所も綺麗になって、あとは僕の借家住み替えが綺麗な場所になれば言うこと無し。いつになることか、とほほ……。
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